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    絲調と聲樂

      絲調と聲樂と ポリフォニー

    彈奏隋代樂俑



      西洋の古典音樂,とくに古樂(いわゆるバッハ以前*)をよく聞いている。 
      その古樂の弦樂器というとヴィオラ・ダ・ガンバ,ギターラ,リュートなどだが,
      つま彈く,撥る,弦樂器の曲はとりわけ好きである。

      原來カトリックの教會では,器樂演奏は忌むべきものであったので,
      それらはすべて世俗の音樂ということになる。
      聲樂でいえばモテト(宗教曲)に對してマドリガルである。
      戀のうたの調べ,豊穣の秋をことほぐ祝祭のうたの陽氣な伴奏・・・,そのような,
      酒と豊穣の神デイオニソス(バッカス)の “教え”にみちびかれてしまうような
      “淫靡で野卑な陶酔” を,教會はおそれていた。

      とはいえ,カトリシズムは陶酔自軆を否定していたわけではないのである。
      修道士が作り出してはじまったリードオルガン,(つまりふいごのオルガンだが)
      だけは教會内部に設置されて比較的初期から(10世紀頃にはあったらしい)
      禮拝につかわれた。
      簡單には “もちはこべない”し,だれで彈けるものではないことは言うまでも無い。
      ずっと後世バロックの時代になると,巨大なパイプオルガンが大教會にそなえられ
      莊嚴の音色が禮拝堂に響きわたり,信者は,神の愛に陶酔,信仰の恍惚に
      導びかれていく。

      教會音樂,グレゴリオ聖歌をはじめとするアカペラの聲樂は,
      崇高な神への信仰を歌い上げる。
      ちなみに,グレゴリオ聖歌が整備整頓されてほぼ今の形になったのは13世紀。
      教皇イノケンテイウス,ルイ八世,十字軍の軍旅を発動したり,異端カタリ派
      アルビジョア十字軍の彈壓が熾烈であった。
      つまり,異教徒との文化交流さかんな時期,その必要があって整理された,と
      言えるかもしれない。
      歴史の有因有果,世に文化事業とは・・・必要があっての必然なのだ
      たとえば,代の輝かしい “四庫全書” の編纂事業など,ある特定の種類の
      言論を排除するために,なされる必要があった・・・・
      というようなことだ。

      *バッハ以前」というのは音楽史を語るによく使われる言い回し。
      嚴密にバッハの作品より以前に作られたものだけを示す,というより音楽史的に
      時代を區分するさい便宜上使われる。「ルネッサンス音樂」,などほかにも
      言い方はある。

        koto0001.jpg


       ポリフォニー polifonico 

      ところで,複數の聲音の,調和することを眼目,第一義としたポリフォニー,
      これがバッハ以前の聲樂なのだが,ポリフォニー polyphony 音樂というのは,
      普段の生活ではまず耳にしないもの。
      現代のポピュラー,シリアスミュージック問わず,ほぼ全てのジャンルの音楽が
      モノフォニー monophony 音樂である。
      傳統的な(・・・滅びかけてるようなといってもいいかもしれない)民族音樂には
      意外とポリフォニーが多い。
     
      モノ,フォニーは一,聲音,ということだが大雜把にわかりやすく言うと,主旋律
      がある,ということ,それに陪伴する,伴奏がある。
      バッハ以後はほぼ,現代に至るも,西洋音樂の99%といっていいのかもしれな
      いがほぼこの形式である。
      一方ポリフォニーとは,たとえば四聲(よんせい)であれば,均等の音“量” で
      四つの旋律があり,合わさったときにはじめて,“” たる旋律が完成される。
      その構成,ということだが。
      これはユニゾン Unisonoの概念とはまったく異なるもので,
      一つの聲が獨立しては,つまり個個には甚だ不完全(でおもしろくもない旋律)
      ではあるものの,それぞれ “主”としてなりたちうる。
      つまり他に隨わず,陪伴ではない。
      合唱されるとはじめて調和をもたらし,完成される。
      一が缺けても不完全となってしまう主旋律,(それは甚だ魅力的である・・・)が
      あらたに成立,立ちあらわれてくる,ということだ。
      嚴密にポリフォニーの理論に基づけばリズムもばらばら,ということにもなる。

      こうなると作るのも,むずかしい。 聽くほうは,といえば
      一般に旋律をとらえ聽きとることが,まず耳慣れない,というところで,
      (その點だけなのだ,と思うが)非常に難しい。
      が,一度耳に慣れてしまうとこれが心地よい緊張感である。
      慣れ心地よく感じるためには,ある程度,聽き込まなければならない。
      早道は,ポリフォニーだけをひたすら聽くという。
      英語を何とかモノにするには “日本語のない” 環境におけ!
      というようなカンジかもしれない。が,ポリフォニー音楽の場合,現實には
      それはほぼ不可能なことである。
      自室にこもってひたすらCDレコードだけを,聽き續けるというの苦行に近いが
      自室の外に一歩でたとたん,巷にあふれかえるのはモノフォニー音樂ばかり。
      クラシック音樂にひじょうに詳しいといわれる方でも 
      ポリフォニー,は,ちょっとカンベン・・・という人は意外といる。

      餘語
      一方,弦楽器をこなすひとは,比較的ポリフォニー音楽を聴く人が多いのでは
      ないかという氣がする。
      エレクトリックギター,アコースティック とわず,ロック,ジャズとわず。
      知人に,クラシックなんか一度も聽いたことがない,と豪語する,ボトルネック
      奏法が得意な黒人音楽フリークのギター彈きがいる。その人にポリフォニー
      を聞かせてみたとたん夢中になった,ということがあった。
      思えば,スチール・ギター,スライドギター,みなオープン・チューニング。
      常に弦の一本,一本の存在,主張とその價値,その個性を熟知しているから,
      なのかもしれない。
      つまり,ポリフォニーとは,“個性” を主張しながら一個の楽器をつくりあげて
      奏でる,そうしてはじめて出來上がる,“全體”。
      ということかもしれない。
      ひとりひとりおのおのの聲音,が,まるで弦の一本,一本がたとえばEADG,
      ミラレソの聲音(というか弦の場合テンションということだが),それが合して
      コードが構成されるような,ポリフォニーの構造。
      四人の聲で一つの樂器となる,そんな感覺,といえるか。

      ま,個人の聲は小さく,聽きとりづらく,同じ考えの集團,とりわけリーダーの聲は
      伴奏を伴って大聲音になり,聽きやすい,のは,世のならい,とこれこそ餘語だが。

        gakki4.jpg

       ア・カペラ と カストラート

      そしてア・カペラ。A Cappella。 
      choral music。 without instrumental accompaniment。
      ア・カペラは本來教會の,器楽伴奏のない聲だけの樂曲のこと。無伴奏の合唱。
      語意は,ア・カペッラ。聖堂,禮拝堂に於いて,という意味のイタリア語。
      さて。 
      當然,聲による神の讃歌はきよらかでなければならない,カトリック教會は,野卑に
      陥りやすいとして女の聲を忌避した。神に仕える修道のものが獨身でなければ
      いけないのとおなじ理窟であるである。

      カストラート Castrato   (カウンターテナー・パート)
      そこで,いびつで靡靡たることに,アルト・パートやトレブル(ソプラノ)パートを
      去勢した男性と變聲期まえの少年によってまかない,世界の調和をもたらす
      四部を構成させて聖歌をうたわせた,ということである。
      それがボーイソプラノ の意味であり,カウンターテナーの起源である。
      カストレ(去勢)されたカウンター・テナーをとくにカストラートといったわけ。。

      儒家のいう淫靡な亡國の音樂,新聲百里とか靡靡之楽とは,またちがう。
      ちがうのだが,ある體制を維持するために,音樂を色分けし規制する發想は
      おなじもののようにもに感じる。それ以上に・・・・ry 東西同じ。
      それはそれ  
                   つづく,かも


      勝手な喩えをたのしめば,世界の調和をもたらす四聲ポリフォニーのネウマ譜
      (四線譜)は,四言詩しかも四聲(しせい=平上去入)の律を具えた四言詩。
      どちらも,そんなものは存在しないが。
      五線譜は。五律。?バッカスのことほぎは樂府歌辭?
      てきとーだなあ。
      李白がモーツァルトとすれば,謝朓はジル・バンショア。
      そうなるとジェズアルトはさしずめ孟郊賈島といったところか。

     ☞ 孟郊 五古詩「亡國之音」相互侵陵 《遣 興》 
     
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    Author:詩囚

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