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    富澤赤黄男 『天の狼』―《蒼い弾痕》より 華中戰線從軍句 

    秋は ほそみち まむかうに 日の沒つる徑  
                     ―― 天 の 狼 


     以前,富澤赤黄男の中國戰線に從軍した際詠まれた,いくつかの句を載せた。
     赤黄男は多くの詩を昭和十年(1935)一月に創刊された『旗艦』に發表しているが,
     以降発表された句のうち,37年応召して華中を轉戰する間に詠まれた從軍句
     の數數。それらは『天の狼』に所収されるが,從軍句にかぎれば量的にたくさん
     ではない。
      深い意圖はないが,あまり有名でない俳人であるのと,したがってあまり言及
      されることがないだろうと勝手に思っているからここにあげる。

      わたしがこのブログにのせてきている漢詩は,日本で愛好される “漢詩” の
      主流をなすものでない。しかし時代を區切ってこまかくみていけば,たしかに
      時代時代の主流に挿棹するもの,であり,いや,すくなくとも“渦中”,のもの
      であることはまちがいない。古詩が日本でそれほど,唐詩ほど知られてない,
      というだけである。
      富澤赤黄男の俳句が現代俳句,前衛俳句のどの
      あたりをどう挿棹したか,ということは俳句を詳しく知らないわたしにはわから
      ないが,今,深深と大河の底につきささり,“かわ”をゆけば,必ず眼にする
      事蹟であろうことは間違いない。
     
      從軍の前後を簡譜によってみれば・・・・

    昭和十二年(1937年) 
      五月  (五日) 第三回後備役演習召集を受けて,香川県善通寺へ応召
      五月  (十二日) 病氣のため召集解除。
      六月 自選句集『斷崖』(稿本)をまとめる。
      九月  (十二日) 日中戦争の動員令が下る。香川県善通寺へ入隊。
      十一月  華中を轉戰。
    昭和十三年(38年)
      四月 潤子(長女)が小學校へ入學,
      十一月  『旗艦』年刊句集『艦橋』刊行,四十二句を寄せる
    昭和十四年(39年)
      十月   『俳句研究』の「新鋭十六人集」に作品《蒼い彈痕》を寄稿
    昭和十五年(40年)
          (マラリヤで中支野戰病院へ入院。ついで小倉陸軍病院へ歸還,
           ただちに善通寺の病院に 転送された。このとき中尉に昇進)
      二月 日野草城が『旗艦』の指導的立場を去り俳壇をしりぞ
      二月  (十四日) 平畑靜塔,井上白文地,仁智榮坊ら『京大俳句』の關係者が檢舉
      五月 召集解除   
      五月  (十三日) 三谷昭,渡邊白泉,石橋辰之助らが檢舉される
      六月 單身上京,句集『風昏集』刊行を計畫したが實現せず
      七月 日本油肥販賣(株)に入社
          『旗艦』作品欄「檣頭集」審査員となる。
      八月 家族が上京,四谷箪笥町に住む,西東三鬼が檢舉される
      九月 『俳句研究』に作品《陽炎》を發表
    昭和十六年(41年)
      一月 『旗艦』の作品欄「旗艦作品」の共同審査員,「旗艦賞」選考委員となる。
      五月 大阪府俳誌協會結成に伴い『旗艦』は改名され他三誌を加えて『琥珀』となる
      八月 句集『天の狼』(旗艦發行所)刊。
      九月 再度の動員令,善通寺第三十七部隊入隊
    昭和十七年(42年)
      一月  『琥珀』に《朱欒日記Ⅰ》を執筆

    昭和十九年(44年)
      三月 動員解除 東京四谷箪笥町に歸る




      天 の 狼   ―― 《蒼 い 彈 痕》 の章より

     ラ ン プ   ― 潤子よお父さんは小さい支那のランプを拾ったよ―

       落 日 に 支 那 の ラ ン プ の ホ ヤ を 拭 く
       や が て ランプ に 戰 場 の ふ か い 闇 が く る ぞ
       燈 は ち さ し 生 き て ゐ る  わ が 影 は ふ と し
       靴 音 が コ ツ リ コ ツ リ と あ る ラ ン プ 
       銃 声 が ポ ツ ン ポ ツ ン と あ る ラ ン プ
       燈 を と も し 潤 子 の や う な 小 さ い ラ ン プ
       こ の ラ ン プ 小 さ け れ ど も の を 想 は す よ 
       藁 に 醒 め ち さ き つ め た き ラ ン プ な り



      ここで書かれたランプ。
      わたしは,沈從文が,屋根裏部屋に燈した孤獨の 『ランプ』 を, また,
      なぜか 巴金の 『寒夜』 を想起した。
      「やがてランプに戰場のふかい闇がくるぞ」 と,おそらく燈をともされない
      ランプに語りかける赤黄男の孤獨。
      しかし「このランプ小さけれどものを想はすよ」と,燈火の靜けさをいとおしむ。
      マッチ賣りの少女が夢見るかのクリスマスの家族の圍む夕餐の卓,その上
      にやわらかくはなつ光の暖かさをもおもえば,それゆえよけいに哀しげに
      美しい。
      うっそりとして,のち思う。
      赤黄男の「ある民族」からつづく「ランプ」,のリリシズムが
      異常に重く深く感じられるのは,これまでに讀んできた五四文學特有の,
      人民蒼生への目線の,素樸な “あたたかみ” を知るからである。
      しかし,その民族の,五四文學の “素の姿” の表裏には,兒戯にもひとし
      かった,20年代の “中國の近代化” がある。
      同時に我我の日本が明治維新の一歩を先んじてたゆえの優越感,侮蔑
      の心をもって,中國という 歐米からコヅかれ,苛めぬかれ,東亞の病得る
      滅びかけた大國に,牙をむけた動機,氣質體質とはいったいなんだったの
      だろうかと,沈沈と,鬱鬱と考えつづけてきた。
      日本人の燐寸賣りを蔑すむかのごとき心だったのか。



     蒼 い 彈 痕

       戞 戞 と ゆ き   戞 戞 と  征 く ば か り
       秋 風 の ま ん な か に あ る 蒼 い 彈 痕
       斷 雲 よ  ち に あ る は  十 五 糎 榴 彈 砲
       秋 ふ か く 飯 盒 を カ ラ カ ラ と 鳴 ら し 喰ふ
       ま つ か う に  雲 耀 か せ  強 行 渡 河
       鱗 雲     流 れ 彈 き て    流 れ た り
       雨 あ か く ぬ れ て ゐ る の は 手 榴 弾
       繃 帶 の 血 の に じ む 夜 の 鴈 鳴 き わ た る
       滾 滾 と 水 湧 き あ つ き わ が い の ち
       塹 壕 の  腹 が ま つ か に  う ね る 雨
       蒼 天 の  キ ン キ ン と な る 釘 を う つ
       寒 月 の わ れ ふ と こ ろ に 遺 書 も な し

     
    空 中 戰

       湖 は    し ん し ん と あ る    空 中 戰
       向 日 葵 の  貌 ら ん ら ん と   空 中 戰
       罌 粟 の 花  う つ う つ と あ る  空 中 戰



    あの時代にあって,仕方なかった。
    日本も時代に翻弄された。
    そのようなつぶやきで思考停止しているかのような加害國。
    行って歸ってきて忘れる國。  一方で今でも同じ山河天地に生きている國。
    兵隊たちは忘れられていても。
    傷をおうて生きていたはずである。
    大地を冒瀆した悲しみを内に抱えている。
    わざわざ出かけて行って,行うた,爲したのである。
    侵入し劫略したのである。
    外から新しくやってきたものどもが侵犯,入寇し,
    内にもとよりたたずんでいたものが抵禦,抗拒した。
    この立場關係はどうあっても絶對變えられない。
    飜翻できようはずもない。

    そして
    “銃後”
    の日本内地。
    しかし
    “銃前”
    銃口にさらされつづけた戰地。中國。大陸。



     武 漢 つ ひ に 陥 つ

       眼 底 に 塹 壕 匍 へ り 赤 く 匍 へ り
       耳 底 に  紅 い  機 銃 を   一 つ 秘 む
       網 膜 に  は り つ い て ゐ る 泥 濘 な り  
       胸 底 に  灰 色 の 砲 車   く つ が へ る
       め つ む れ ば 虚 空 を  黑 き 馬 を ど る   
       掌 が   白 い 武 漢 の    地 圖 と な る
       吾 は な ほ  生 き て あ り  山 河 目 に う る む


     木 の 實

       砲 音 の 輪 の 中 に ふ る 木 の 實 な り
       赫 土 は 彈 子 と 木 の 實 と こ ろ が せ り
       茫 茫 と 馬 哭 き け れ ば ふ る 木 の 實



     

      富澤赤黄男の句中,さりげなくつかわれる “漢語” には,
      赤黄男に蓄積された “漢詩” の深さが語られている。
      古詩好きならば,なおよく解かるはずだ。



     枯 野

       梅 干 の 紅 が  眼 に し む  枯 野 な り
       梅 干 は  酸 ゆ く  流 彈  こ そ ば ゆ し
       流 彈 に 噛 ん で 吐 き 出 す 梅 の た ね


     あ る 地 形

       困 憊 の  日 輪 (ひ) を こ ろ が し てゐ る 傾 斜
       蒼 茫 と   風 の 彼 方 に   雲 あ つ ま り
       幻 の    砲 車 を 曳 い て    馬 は 斃 れ
       彷 徨 へ る   馬  郷 愁 と な り て   消 ぬ
       一 木 の   淒 絶 の 木 に   月 あ が る や
       眼 を 貫 く は し ろ が ね の す す き の 穂


     不 發 地 雷

       戰 鬪 は  か く ま で 地 (つ ち) の つ め た さ よ
       戰 鬪 は   わ が ま へ を ゆ く   蝶 の ま ぶ し さ
       一 輪 の  き ら り と 花 が   光 る 突 撃
       雲 な が れ  雲 が な が れ る  不 發 地 雷
       め つ む れ ば   祖 國 は 蒼 き  海 の 上


     東 洋 の 雲

       息 つ け ば 東 洋 の 雲 と い へ る が 飛 び
       風    錯 落 錯 落 と し て     焚 火 か な
       焚 き 火 し て  あ る と き  蒼 い 海 と な る
       蛇 よ ぎ る 戰 (い く さ) に あ れ し わ が ま な こ
       沛 然 と あ め ふ れ ば 地 に 鐡 甲 (て つ か ぶ と)
       彈 彈 を   擔 う   激 怒 の   雲 炎 (あ か) 
       地 雷 ま ろ ま ろ ほ り お こ し た る 雲 の 冷 た さ
       兵 燹 (せ ん) を み る あ め つ ち に わ れ は ひ と り
       草 の 香 よ  愛 欲 と  へ だ た れ る か な



    ランプ,いやともしびすら,めずらしかった大陸の農村の
    まずしさがある。
    深い闇にとざされて,なお,息を潜め,體制の苛斂誅求と,自國の軍隊,
    他國の軍隊に,崩壊寸前の家を畑を踏みにじられる。
    日本人の軍靴がわがモノ顔に闊歩する。
    陵辱や,劫略のことは・・・・いま,書いては詮なきに陥る。
    しかし。

    それを行うた手足,それは悲しきことに兵隊なのだから。

    しかし。
    虎威狼心の上官たちではない。それを書けば赤黄男を糺すことにもなる。
    ただ幾重にも凄愴となるだけだ。

    しかし。

    赤黄男の從軍句《蒼い弾痕》の前の章に《阿呆の大地》がある。
    その《阿呆の大地》のなかに「ある民族
    」と題された一連の句がある。
           「ある民族」富澤赤黄男② 吾以天地爲棺槨

    これがあるからわたしは救われる。兵隊の悲惨以外に詠うものがなかった
    ら・・・・,もし,赤黄男に中國の民を詠ったものがなければ・・・・,
    赤黄男の從軍句,そのなかにはわたしがもっとも好きな赤黄男の一句も
    あるのだが,その佳き句は損なわれただろう,その光耀は翳っただろう。
    (文學のとらえかたとしてマトモでないことは百も承知であるが,)つまり,
    一句の花は,咲き誇ることもなくしおれてしまったろう,わたしにとっては。
    そんなことがゆえに兵燹と鬼啾を詠む句の前に置かれた
    「ある民族」,のたたづまいには異常に重い關心を寄せてしまう。




     江 岸 要 塞 圖

      魚 光 り  老 文 明 は 冲 積 せ り
      囘 想 は 鶴 要 塞 を か が や き 翔 び
      執 着 の 砲 座 は 晝 の 月 を の こ し
      陽 炎 の 砲 身 迂 愚 の  裸 と な る 
      要 塞 と 烟 と 瓜 の  蔓 か ら ま り
      江 光  り  艦  現 實 を 溯 る

     寒 山 寺
      鐘 つ け ば  春 雨 の 音  鐘 の 音
      壁 く ら く 「月 落 」 の 詩 に つ き あ た る
      石 刷 り の   墨 の 匂 の あ ま き 雨
      雨 ほ そ く 魚 板 の 魚 は 瞳 を つ む る


                 以上『天の狼』 昭和十六年 (初版所載)


         轉戰中蘇州市楓橋鎮に至り,ということだ・・・・




    天の狼 (昭和二十六年再版・天の狼刊行會)より



     い く さ の は て

      に ぎ り 拳 が 白 い 髑 髏 ( し や れ か う べ )と は な り
      わ が 疲 勞 く ろ い す す き が む ら が り 起 ち


     東 洋 の 雲

      人 多 く  死 に た る  丘 の 風 と 鳥 
      戰 聾 の 雨 だ れ を  き か ん と は す る か 
      鶏 頭 の や う な 手 を あ げ 死 ん で ゆ け り


     不 發 地 雷

      花 が 咲 き 鳥 が 囀 り 戰 死 せ り
      泥 濘 の 昏 迷 を 匍 う 毛 蟲 と な り 




    兵燹に,焚きつけられ炙られる中國の民草の塗炭,銃火のかたわら
    蒼茫の屍を積み上げてゆく農村。いやおうもなく,やってくる兵隊,
    日本がもたらす兵亂になすすべもなき農村。一方,大陸の,大地に屍
    をさらし,故郷から遠く離れた地に塵土となり尸骨を鳴らす日本の兵士。

    こうした日中戰爭の真實のすがた,をどう考える?
    中國,日本の侵略の果ての殘潰の,燼灰の山河大地を知れば・・・・,
    やられ放題だった彼らの一九二十年代から三十年代初頭・・・・。

    なすすべなくたちすくむばかりだった彼ら中國の民の當時の無氣力を
    知り,想像すれば,そしてその後の彼らの激しいレジスタンス,徹底した
    抗戰,餓えても拷問されても慘殺されても抵抗した,彼らの民族の魂を
    思いはかれば,日本は“自存自衛”の闘いでやむをえなかった,侵略
    ではなかったなどと言い放つやからは,まともな感性を持っているとは
    とてもおもえない。

    いったいどういうことなんだろうか。
    ・・・・
    それらの醜い類いが日本の政治,經世濟民を,
    輕輕しくも,背負うているとは・・・・
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    Author:詩囚

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