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    富澤赤黄男 『天の狼』吾以天地爲棺槨

     吾以天地爲棺槨

     句集『天の狼』。應召後,中國戰線に投入された赤黄男の,前線の從軍句が多い。
     おそらくは河北の地,長城から長城へと,大砲を牽きつつ輜重隊とともに行軍した
     赤黄男の句を昨日から書いている。
     赤黄男の他の句集 『蛇の笛』,『黙示』 にくらぶれば,
     それほど前衛的ではなく,かどかどしい峭削の筆もない。
     シュルレアリスティクな手法はもちいられず,逆に,漢語の古拙の響きをよく
     傳える。樸(あらき)なるがゆえに,一層の凄愴感がある。

     前衛とは,型式の進化の過程をとばした・・・古拙からの坦直の接ぎ木,であること
     がよくわかるゆえ,よけいに影のような單純な容貌に見え,黑さが際立つ。
       
     そして中國の大地,華北の戰線から武漢,長江へと南進する過程に書いたのか
     《阿呆の大地》章の,「ある民族」と題せられた七句は,
     あつまれば一篇の七言古詩のようである。一幅の畫。


      「あ る 民 族」
      
     と あ る夜 は 呼 吸(いき)と め て き く 長 江 の 跫
     
     民 族 の 郷 愁 鶏 を 焼 く に ほ ひ
     黄 風 に と ほ く 家 鴨 を 裸 に す
     水 車 ふ む 悠 久 に し て 黄 な る 大 地
     銅 幣 を 掌 に う ら が へ し た る
     烈 日 を 溶 か さ ん と 罌 粟 を さ か し む る

     瓜 を 啖 ふ 大 紺 碧 の 穹 の 下


        《阿呆の大地》『天の狼』



      戞 戞 と ゆ き 戞 戞 と 征 く ば か り

      《蒼い弾痕》の章。そのなかの章題とおなじ「蒼い弾痕」は,この句からはじまり,
      この句,から蒼天のもと展開される兵士の戰いを詠む。十五糎榴彈砲,飯盒を,
      繃帶を,塹壕を,匍匐を。雨と血のじっとりと滲む空氣を詠む。そして

      寒 月 の わ れ ふ と こ ろ に 遺 書 も な し

      でおわり,つぎの句題,どこか,天からの眺望を思わせる,
      漂漂と詠む「空中戰」。
      ふたたび從軍行。「武漢つひに陥つ」「木の實」「枯野」,そしてきのうの,
      馬の句,困憊の句に致る。☞ 「ある地形
      さらに「不発地雷」「東洋の雲」「江岸要塞圖」「寒山寺」
      とつづいておわる。



     
      民无天扎,境无烽燹
       
      死生,存亡を日月に,蒼天に,夜の闇に身をまかせきるしかない,
      曠野の孤獨と,醒悟の朝。ふたたび戰火のなかに一歩をふみだす。
      一日の行軍を終えるころ地平線の彼方を突如真っ赤に焦がす夕陽。
      紅蓮の炎。死の覺悟,死の具體のイメージは,“火”,だったのだろう,
      烽火ではなく,業火。
      この火のイメージは,弔いである。太陽と乾いた土による葬送曲,
      蒿里のうた。

      兵 燹 を み る あ め つ ち に わ れ は ひ と り
      風 錯 落 錯 落 と し て 焚 火 か な


    燹・焚 
        *燹(セン)=野火,兵火,戰火
              燃やす,焼く。
        *兵燹=戰亂に遭遇して焚焼破壊される
               こと。火炎,煙が高低變化
               することをもいう(烽燹)
        *焚(フン)= 本義は,林を焼きつくす火。 
        *錯落= 參差不齊,縦横紛亂。
              メチャクチャに,亂れかきまわす
               順序が不規則なこと


      と,このように昭和十六年初版の(『天の狼』所載)
      「東洋の雲」で朔地の風と烽火をうたう。
      燹,焚,錯,すべて亂七八糟滅茶苦茶にかき亂されたイメージの語。語感。
      しかし靜かに終わる。あとには静寂。




      花 が 咲 き 鳥 が 囀 り 戰 死 せ り
      人 多 く 死 に た る 丘 の 風 と 鳥 
      鶏 頭 の や う な 手 を あ げ 死 ん で ゆ け り



      は,昭和二十六年再版の 『天の狼』抄,におさめられる
      「東洋の雲」の句。
      戰時下發行の十六年初版には當然のことながら収められえなかっただろう。
      屍を喙む鳥。この句によってもそれと察せられるが死の覺悟はあったであろう
      赤黄男の,風の丘とは。
      所謂荘子の丘, “吾は天地をもって棺槨(ひつぎ)と爲す”,

      “在上爲烏鳶食,在下爲螻蟻食”『荘子』《雑篇・列禦寇》

      であるはずだ。
      而して,赤黄男は生きのびた,
      風の鳴る阜のうえで鳥たちに啄ばまれず蟻にも毀壊されず。

      吾 は な ほ 生 き て あ り 山 河 目 に う る む

      この「武漢つひに陥つ」中の句が眼をひく。
      ああ,生き殘った,という,いのちの實感がつたわってくる。
      と同時に,わたしは沈みこみ,陰鬱に考えこんでしまう。
      憂憂の氣分をぬぐえないのは,このごろの世の空氣,のせいである。

      この山河は,赤黄男の山河は,日本の故郷の山河なのか,中國の
      山河なのか?
      そんな,疑問をさし挟む餘地が,あるだろうか?
      ないね

      戰地に立って。眼にうるむ
      かの地もこの地もおなじ山河である。それをことさら言い立てるのは
      偏執,狭隘ではないか?
      しかし,それが今のナショナリズムなんだとも,おもう。

      コッカシュギ。つまりは ただの“群れ”だ。
      集團の,國家の,チカラを過信し,國益という美名に
      盲從するかのごときヒトビトにとっては,すべて山河は定規をあてれば,
      線を引っぱり色づけできるもの,となんだろう。

      國を護る,故郷をまもる,といって懲らしめにわざわざでかけるバカものだ。

      畑を踏み荒らす軍靴をむかえなければならなかった,
      かの地の・・・・銃前だ,黑土も,
      軍隊を送り出し銃後をまもる,畑の黒土も,いささかも變わらないはずなのに。

      加害なのか自虐なのかをいまだ,口角泡を飛ばして論じ合わなければならない
      現實に,こういう詩歌はもちろん必要ないのだろうとおもうが。

      日本では故里では,鋤をもち鍬をいれて,農民として土と共に生きてきた
      兵隊は,
         好く耕された黒土を踏みにじって進軍するのが,はじめは
         なによりもつらかった。 けれどもしまいに慣れっこになった,
         ―― それが戰爭というものだ


      と述懐する。
      こうした大地の啾啾,哭哭,をみまもりつづけた中國の山河であったのだ。

      八 年 艱 苦 的 抗 戰   Bā nián jiānku de kàngzhàn,
      同 胞 受 苦,河 山 待 復  Tóngbāo shòuku, héshān dài fù

     
      という美しい歌もある。私は日本に生まれ,日本の大地を愛してもいるのだが, 
      かの邦の黄色い大地も愛している。

      虚心に耳をすましておらねば,遠い雷鳴も歌聲も聞こえない。何も聞こえない。
      ましてやみずから耳を塞いでしまうことへの,聞きたくない言葉に耳を塞がせる
      ものへの,恐怖感。おしまいには何も喋れなくなるのだろうか。

      再版の『天の狼』におさめられたる,もっとも痛烈な反戦のうたはなにか,
      といえばわたしはこれだと思う。―― 聾,の意は本義の愚昧のことではないか,
      すなわち被騙の戰爭ではないだろうか。

        戰 聾 の 雨 だ れ を き か ん と は す る か



      追記;
      確證があるわけでもなし,あまり知られてないような,しかし知れば非常
      に説得力がある,カンタンに納得できえようか,という場合以外は,
      わたしが考えすぎたことの道筋までは書かなくてもいい,といつも思って
      しまうのだがあまりにも無頓着な書き方にすぎると反省した。
      少少のつけたしを。

      戰聾の 雨だれを きかんとはするか

      この句を自分なりに解釋するに,“きかんとはする,雨だれ” とは,なになの
      かを考えに考えた。

      なぜかというと,戰聾者(これは戰によって聾,もしくは聾啞者となったもの
      の意味ととるが)が聞かんとはする,のはなにか,たんに雨だれる音のこと
      なのだろうか,と。
      氣になってしょうがなかったからである。
      そして,いまだはっきりしない。
      しかし,「雨垂穿石」 の雨だれではないか,という想念
      から,結局のところ,離れられなくなってしまったのである。
      つまり・・・・戰爭の苦しみ,一滴一滴の雨しずくにも似た兵隊の命のしたたり
      その永きにわたるむなしい時間・・・・。

      そこではじめて戰聾とはなにか,を吟味しなおした。
      兵士のことだろうか。
      いや耳を塞ぎたくなる,虚心に耳をすましておらねば,遠い雷鳴も歌聲も
      聞こえないが,聞こうとしなかったひとびとのことだろうか,と。

       聾を調べなおせば“聾”の本義とは,無聞,事理不明。
       聾の時代,この事態。
       すなわち, の時代,である。
       おしだまってしまうことである。
       瘖は 喑,啞,のことでもある

      そこから,愚昧の戰爭,という結論にいたったさいには “一足飛び” だったが
      そこに辿り着く囘り道の永さゆえに,そこまで書くべきだろうか,と
      ためらっていた。
      しかし
      戰爭の起こしやすさと終わらせ難さ,とは,この,“瘖”,である,“聾” である
      ことによる,という確信は今はゆるぎないものになっている,
      だから

      再版の『天の狼』におさめられたる,もっとも痛烈な反戦のうたはなにか,
      といえば。
      ―― 聾,の意は本義の愚昧のことである,すなわち被騙の戰爭である。

      と言い換えたくなり。
      ・
      ・
      ・
      ・
      と書いた,この追記からも一年半がたち瘖聾はますますふえ
      聲はきこえず聲を立てず。
      靜まりかえった“國”
      今やますます黑沈沈, 酣睡“國” ,萬人齊瘖究可哀~
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    テーマ: - ジャンル:小説・文学

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    非公開コメント

    ありがとうございました。

    こんにちは。
    先日はコメント,ありがとうございました。
    読んで頂いている事が分かり,更に嬉しく思いました。
    今日の詩は途中で同じような情景が浮んできました。
    とても深い所からの詩作だったのだろうと思います。
    感謝です。

    コメントありがとうございます!!光栄です

    Yokoさま

    とんでもありません,こちらこそ,読んでいただけたことも,貴方からそのように言っていただけたことも大変大きな励みになります。
    熱い夏本番ですね。
    実り多いご活動に,一市民として感謝申し上げます。
    これからもどうぞよろしくおねがいします。
    お身体にお気をつけて

    玄少子さんへ!!

    おはようございます!
    分からずながらも少しずつ勉強させていただいております。!
    亜細亜民族は皆、友人だとおもいます。!

    緋鯉はトラに苛められとりますけど!

    荒野の鷹虎さん
    ご訪問ありがとうございます。

    です。好朋友です!
    こんごともどうぞよろしくおねがいします。

    No title

    こんにちは~♪
    郭沫若の記事、鹿地亘の記事、金子光晴、北川冬彦…玄少子さんの気になる記事は山ほどありながら、私がそのテーマとなる作品を読んでいないためにコメント書けない…という情けない状態がずうっと続いているわけですが(苦笑)、えっちらおっちら後を追いかけてようやくこの記事に、少しコメント書くことが出来るようになりました~。(笑)富澤赤黄男、高屋窓秋、渡邊白泉の本手に入って、ようやく少しづつ読めているからで。とは言っても、もしこの玄少子さんのページの解説による導きがなかったら、それでなくたって俳句にも中国における戦線に関しても無知の私、ぽわあっとして何が何やら味わうことも出来ず、「むずかしいわ…」と思って本を閉じてしまったかもわかりません。^^

    先ずね。富澤赤黄男については、彼の北支における輜重隊の将校としての経験を知らなければ、これらの俳句の意味するところのほんとうの鑑賞はやはりできなかったろうと思います。よく作品は作者の人となりや時代背景と切り離して鑑賞し得るか、という議論がありますが、そうするべきだ、いやそうじゃない、というどちらの方が正しいとかそういうことでなく、作品によってはその時代背景を知らねばやはりちゃんとした観賞は出来ない、というものは絶対的にありますよね。『天の狼』などの作品は、私、玄少子さんの記事や、ここのところの自分自身の多少の勉強がなかったら、全然意味がわからなかったと思います(汗!)。

    富澤赤黄男の漢詩の素養…そのことも知っていなければ、ここで紹介くださった俳句の美しさや玄少子さんがなぜ赤黄男の作品に魅かれるか、のわけもなにもかもわからずにいてしまったでしょうね。

      蝶 墜ちて 大音響の 結氷期

    『 蝶チョウ,響キョウ,冰ピョウ,という音,その絶對的な静謐の宇宙の中,キーーン,とさえわたる空気の中で,無音の音ともいうべき音の響きを,みごとにあらわした,前衛的な表現。』

    という玄少子さんの鑑賞の手引きがなかったら、私、ただ一句一句の意味だけを追って、音としてのこの句の見事さには全然気づかなかっただろうし、また、赤黄男の句を並べて見たとき、それは一遍の見事な漢詩のようだ、などという視点も全然考えてもみなかったでしょう!
    俳句でも漢詩でも、その意味だけでなく視覚的な美しさや音としての表現の美も勘案されている見事な作品がありますのにね。私などはつい意味が何となくわかれば、ふうん…とそれで安心してしまう(笑)

    そう考えると、『無知』であるということは、無論人生を誤るということにもつながるけれど、それ以前にどれほど損をしているか!ということでもありますね!(笑)詩歌の楽しみ、文学の喜び、というこういう人生の旨酒を、知らずに過ごすということですものね!(笑)

    『「ある民族」と題せられた七句は,あつまれば一篇の七言古詩のようである。一幅の畫。』

    これ読んで、この俳句群を見て、「ああっ!」と思いましたもん!自分一人じゃ絶対こういう鑑賞は出来なかった。

    歩兵も大変だったけれど、それを支える輜重隊、工作隊も大変だったろうなあと思います。
    昨夜は伊藤桂一の『雲と植物の世界』という北支での騎兵隊兵士としての馬との暮らしを書いた小説、ちょうど読んでいたので一入また、黙々と中国のクリークや山岳地帯を馬に車引かせて行く輜重隊の姿も映像として目に浮かびました。時には馬と一緒に泥に浸かって車を押し上げ…。馬の死を兵の仲間の死と同じように悼み…。『馬』という一語が象徴するものの深さ!

    また、石川達三の『武漢作戦』。これも読みなおしていて、同じ戦闘を日中両側から見るという経験もほんの少し今、しているので、なおさらに戦争というものが両軍の兵士や戦場となる地域の民衆に否応なく課してしまう労苦や悲劇を想います。

    伊藤桂一という作家(存命)も、この作品は私はささやかな一遍の反戦文学だと思いますが、他の作品における従軍慰・婦についての彼の発言の一部が反・ジギャクシ観のネット住民などに取り上げられ、従軍慰・婦が、そこそこいい暮らしをしていた証拠、などという言説に利用されているのを残念に思います。
    昼も夜も真夏も冬も黙々と歩いていざ戦闘となるとばたりと撃たれて死ぬ歩兵の悲しみや、輜重兵ら工兵らなどそれを支える部隊の大変さは、日本も中国も変わりはない。そして何よりそれらが通過していく中国の大地に根づいて生きている民衆の、双方の兵から受けた略奪やごうかんやいわれなき虐さつなどの艱難辛苦。かの侵略戦争の本質というものは、戦場のとんでもない広さというその大きさと共に、一人一人の人間の悲しみの、いわば全体図を見ないと語れないものだと思います。もっと極言すれば、あの戦争を戦った兵士でなければ、きっとその本質は真にはわからないものなのだろうと思う。

    ああ、書きたいことたくさん思いつくんだけれどな。なかなか一度に書けません……。
    このひとつの記事に取り上げられた句やまた戦場風景の、なんと多くのことを私達に告げていることでしょう。とても一回のコメントでは書ききれませんね。

    あとひとつだけ。最後の句。

    戰 聾 の 雨 だ れ を き か ん と は す る か

    ですが。
    『聾,の意は本義の愚昧のことではないか,すなわち被騙の戰爭ではないだろうか。』
    という解説を読み、なるほど~!と思ったものです。
    私は、単純に、あまりの銃撃戦などの騒音に耳が一時聞こえなくなった状態のことを言っているのだろう、くらいにしか考えませんでした。^^
    それも、何か読むこちら側もし~ん…としてしまうほどの静かな怒りと悲しみを籠めた反戦の句だと思えますが、さらに深いところでもっと大きなもっと強い告発を感じ取ることもできるスケールの大きな句である、ということですね。^^

    ちょっと前、あることを調べていて、兵士の戦場心理の記事にぶつかって興味深かったので
    「保存」してありました。それがこの句を読んでいて、ばばっと回路が繋がった…
    いつかそれも記事にしてみたいと思います。

    ああ、…時間が足りない!下手くそなキーボード操作しかできないので、ああ!まどろっこしい!手が十本くらいとパソコン5台くらい欲しいです!(爆)








    初物の柿たべました

    彼岸花さんコメントありがとうございます~~
    下手な解説,おやくにたったようでとってもうれしいです^^
    赤黄男の俳句群。かなりヘンでしょうw
    俳句のイメージからおよそほどとおい句もたくさんありますよねー
    むしろ安西冬衛などにも近い一行詩,というかんじです。

    日本以外では,「これってタイトル?」くらいにしかならない少ないシラブルで,世界をあらわそう,という俳句は,本当に世界に誇れる詩形式ですよね。
    究極が赤黄男,という存在なのでしょう,俳句,という型式にあくまで拘ったこと,それ自体が俳人として代表されるべきだと思うのですが,なかなか多くの俳句好きは,それをみとめませんねえ・・・・。フシギなことです。

    赤黄男は,おそらくですが,他ジャンルの詩愛好者から熱狂的な支持をうけているとはおもいます。ざんねんながらいまだかつて赤黄男好きに出会ったことが有りませんが・・・・。

    『天の狼』は一見して赤黄男のそれ以降の句とは違っていますよね,どちらもいいのですが,やはり戰爭のかげ色濃く,(多くのほかの文学者とは真逆ですが)型式よりも私情を,文學よりも時代にこだわった(拘らざるを得なかった)のかもしれませんね,そうかんがえると,又感慨深いものが有ります。
    逆にその後の赤黄男の創作がより純化された表現法,詩魂,詩情,の根源的なものをみつめて,核心にむかって収斂されていく過程に勢いをつけたのかもしれません。

    伊藤桂一の小説は読んでいませんでした,なんとなく時代小説作家というイメージをもっていたのですが。
    うちに「かるわざ剣法」という文庫本があるんです。・・・(爆(←=同居人の本棚に)
    今検索してみるといろいろ面白そうですねえ。へええ・・・。
    ―― 「戦友会」が生まれる契機となった ―― ー。ほえ~。そうかあ。ふむ。

    おもしろそう。
    読んでみたいと思うものがいくつも有りました!!!!
    いつもありがとうございます^^
    ではでは~~

    追記:ちなみに私の同居人は硬い本をよむとアタマが痛くなる人でw,
    池波正太郎くらいしかよみません,ごくたまに司馬遼太郎の長州ものを(同居人=旦那=山口出身ですので)・・・・。

    彼岸花さんへ

    本文少し書き加えました

    彼岸花さんのように丁寧に読んでくださる方がいることがとてもはげみになります
    そして,より丁寧に書こうというきもちにさせられます
    いつもありがとうございます。

    No title

    こんばんは~♪

    『瘖 』……やまいだれに音、と書いて、イン,オン…。
    この漢字はここで初めて出あいました。
    戦聾の句のこと。私にさらによくわかるように詳しく書いてくださってありがとうございます。^^
    私はこの主語が、単純に兵士のことだと思っていて、玄少子さんの解説読んで、なるほど~!と、十七文字の中にいかに深い想いが込められるものであるか、ということをあらためて知ったように思いました。

    ほんとにね。人々が聞こえているものをちゃんと耳傾けて聞こうとせず、また、はっきりと言わなければならないときに押し黙っていること…
    それこそが、国家を戦争などという愚かしいものに突き進ませてしまうんですよね~。
    私がこのごろえっちらおっちら書いていることも、要約すれば、そのことに尽きるような気がします。
    なぜ聞こうとしないの?なぜ黙っているの?
    黙っていたら、なんでも勝手に決められてしまうよ。考えなければ、無知のままでは、自分たちの当然の生きる権利さえ奪われてしまうよ!……

    『 戰爭の起こしやすさと終わらせ難さ,とは,この,“瘖”,である,“聾” であることによる,という確信は今はゆるぎないものになっている』

    ほんとうに!本当にそうなんです!
    今ならまだ間に合う。でも、いろんなことが決まってしまったらおしまい。一旦動き出してしまったものはどれほどやめるのが大変か。
    ひとというものは理性で動くのではなく、起こり始めは無関心と沈黙で、そしていったん事が動き始めると、あとはもう惰性で、それを止めようなどと思わないものなんですね。
    その最初の動きを一押しするのは、いつも、はねっかえりの馬鹿どもです。
    まわりに沢山いわゆる賢い人々がいたはずなのに、誰もそのはねっかえりの、愚かな行為を止めようとしない。
    そうして、それが雪だるまのようにどんどん大きくなっていって、それが坂道を転がりだしたら、もう目をそむけ、口を閉じて、それが行きつくところまで転がって行くのを放置しておくしかないとなってしまう…
    それに巻き込まれ、死んで行くものは常に立場の弱い者たちです。
    雪だるまが転がるのを茫然と見ている人々は、次は自分もそこに巻き込まれるかもしれないとは思っても見ない。目の前に来てようやく、既に遅いことを知るのです…
    そして従容として死でもなんでも受け入れて行ってしまうのです…

    そうなる前に。そうなってしまう前に!!!




    なぜか喑啞叱咤=怒喝叫声

    コメントありがとうございます
    瘖 ,という字は,オン,イン,おし,のほかに,もだす,とか,おしだまると訓読みされるようです
    この字は龔自珍の詩ではじめて知ったのですが,この詩の“萬馬齊瘖”の語。
    毛澤東がこれを非常に評価し,つよい感銘をうけたといっています。
    http://xuanshaozi.blog.fc2.com/blog-category-38.html
    通常は,“唖”をいうときは,クチヘンの喑がつかわれるのですが喑だと怒鳴り声のいみもあるのでww
    やまいだれ,というところがミソですよね・・・・w

    いつもありがとうございます^^
    詩餘 句裂 偈

    詩囚

    Author:詩囚

    自作の詩ほか
    五言絶句を中心に四句偈,詩餘
    ふくめ中國舊體詩を紹介します

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    楞伽案前,楚辭肘後

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