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    《戀詩絶句》 安西冬衛 五首

    安西冬衛を詠む, 《戀詩》 七言絶句五首
       

     《莊子之蝶》  Zhuang zi zhi die

     詩境鱗光戀雙翅  Shījìng lín guāng liàn shuāng chì
     醒舞醉生變遍移  Xing wu zuì shēng biànbiàn yí  
     韃靼海峡見無花  Dádá Haixiá jiàn wú huā
     辯辯胡蝶夢何飛  Biàn biàn húdié mèng hé fēi 
           
         平聲十八 翅移飛

                                
     雙翅を戀うる,(韃靼海峡は平仄合わせず)。
     また,『莊子』内篇 齊物論にいう 昔者荘周夢爲胡蝶 ・・・・。
     不知周之夢爲胡蝶與胡蝶之夢爲周與。
     




     《跛生詩法》 Bo Sheng Shifa

     安詩息法危胎水  An shī xi fa wēi tāi shui
     西域東文縒跛技  Xiyù dōng wén cī bǒ jì   
     冬塞土寒紫夜哨  Dōng sāi tǔ hán zǐ yè shào   
     衛城墨守亞洲子  Wèi chéng mòshou Yàzhōu zi
      

          上聲二 水技子
                  
        解題 :“安西冬衛” を詠いこむ
        縒は紊亂,不齊,古同,參差。
        また李賀謂う,“塞上臙脂凝夜紫”と(縒,紫も紙韻)




     《詠 蝶》  Yong die  

     胎心喪氣變化成  Tāi xīn sàngqì biànhuà chéng 
     冷冷羽恍無息聲  Lěng lěng yǔ huǎng wú xi shēng  
     戀戀火焦花作骨  Liàn liàn huǒ jiāo huā zuò gǔ  
     詩家紋蝶復尋生  Shī jiāwén dié fù xún shēng
      
         
          平聲十八 成聲生


            taironadi0005.jpg


      ☞ 安西冬衞①魔術的象徴照應詩《八面城の念力》 『渇ける神




     《砼 灰》  Tóng huī   

     罪何應得他訝詼  Zuì hé yīngdé tā yà huī     
     无妄石災撃潔灰  Wú wàng shí zāi jí jié huī   
     喪脚天由非墮落  Sàng jiao tiān yóu fēi duòluò   
     撫身隻脚可去來  Fu shēn zhī jiao kě qù lái  
         
         平聲七  恢,灰,來

                               
         何の罪,得るに應しいと?
         かれは詼(わら)いながら訝りつづける。
         无妄の災石は潔きを撃ち灰となす。
         一脚の喪失も,天に由る。墮落に非ず。
         隻脚の身を撫で,去來すべきかと 

        解題 :北川冬彦と安西冬衞の満洲に

        北川冬彦 ☞ 絶望の歌




     《墨 鴉》   Mo ya  

     詩聲悉地黑河  Shīshēng xīde Hēihé yá
     空闊開天陪伴鴉  Kōngkuò kāitiān péibàn yā
     春瀝泥茶鹹湖  Chūn lì ní chá Xiánhú Kě
     塵風埋字墨流沙  Chén fēng mái zì mò liúshā  
         
               tironaa01.jpg

       
          平聲十八 涯鴉沙 (茶)

      解題 :安西冬衛に
      安西冬衞③☞ 砂漠の行者が臥てゐると鴉が食物を運ぶ》


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    安西冬衛 《黑き城》 『渇ける神』 (一)

    he1.jpg

     黑き城
       
     一
     すべては轉瞬のことだつた。
     ――賊だ!
     といふ從者の絶叫と同時に,護衛の官兵が反射的に長銃を投げ出した。…

     そこまで私は覚えてゐる。刹那,モーゼル銃彈の風撃傷に,昏倒したのである。
     意識を回復したとき,私はすでに馬背に緊縛されて,賊に拉致されてゆく途上だつた。最早そこには部下の姿も從者の影も見えなかつた。賊の隊伍は私を中心に半哩(マイル)に垂(なんたん)たる單縱列で無数の沼澤を渡渉して,日没近く矮小な泥楊(ネグンド)を周らした泥甸子(濕った野原の義)といふ部落に到着した。私はここで假に緊縛を解かれて陋屋の一室に留置されたのである。
     當時私は松花江開發工程の汽船藥殺號S.SJA’XARTESに搭乘そして,三姓*(さんせい)=拉哈蘇々*(うはそそ)間の水道を測量中だつた。その日――七月五日葦塘(ゐたう)(蘆の生えた堤の義)まで下江した。一行はそこで假泊して,折角晝食を摂つてゐたのである。この沿岸は一帶黒龍江省綏濱縣下の所謂河沿淤漲(おちゃう)地で,見渡す限生葦の靑紗(せいさ)を連ねてゐる。賊は突然この靑紗を衝いて蜂起したのである。彼等の一隊は威嚇射撃で先づ「藥殺」を壓迫した。一方他の一隊は戎克(ジャンク)を艤して,背後から「藥殺」に殺到した。
     屠殺,掠奪,破壊,遺棄――十分を出でない裡に,一隊は早くも私を拉して生葦のなかを走行する。三十分の後には他の一隊が,私の部下從者「藥殺」の乘務員等を對岸に追放した。富克綿工程處宛の金員武器引渡し要求書とともに。同時に彼らは富克綿=拉哈蘇々間の電信線を破壊したとのことである。鄂來木に駐屯する官兵との連絡を斷つために。
     賈して私は拉致されてきたのである。
     三閲月の私の抑留生活が茲に始まつた。 

     
               yaku.jpg 小篆 藥

    *三姓,拉哈蘇々
      ともに實在の地名,哈爾濱(ハルピン)の近郊。
      拉哈蘇々に “うはそそ”,とルビがあるが中國語の発音は
       Lā hā sūsū,あるいは誤植かもしれない。
      どちらも日露戰爭後在外公館が置かれ1909年には税關があった
    *鄂來木=わからなかった。音はÈ lái mù ウラムー。
      ぼんやりと思うのはカザフとモンゴルの國境邉りだが。どうか,
      地理的に離れ過ぎる氣がするが,當時馬賊の行動範圍は廣かった
      ようで日本の日露戰爭やシベリア出兵は馬賊に大きく負っていた
      部分もあつた,よく知られる満洲馬賊の張作霖は日本に協力して
      東北を領有する大軍閥となるきっかけはロシアのスパイとして
      陸軍につかまったからだ。
    *モーゼル銃は當時,所謂ところの,“滿洲馬賊”は必ず持ってた。
      馬賊,村の安寧を脅かす匪賊であるが,一面,各農村には
      こういった武装組織を自衛のため保衞團として養うこともあったその
      村では掠奪などの非行をせず保衛をしつつまた遠くに“出稼ぎ”する,
      というしくみが暗黙の内に出來上がっていた。

    (小さい括弧はふりがな,大きいものは安西自身の注*は引用者 以下同)

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    テーマ:歴史小説 - ジャンル:小説・文学

    安西冬衞  《庭》 , 《夜の思料》  『軍艦茉莉』から

       もうすこし安西冬衞の第一詩集,昭和四年(1929年)軍艦茉莉
       よりいくつかの詩を。

     閹人 猧氏 えんじん わし 

     
      私の肋(あばら)には獄(つみ)が鍼(ぬひばり)されてゐる。
      私は淸朝のある貝勒に劅(たく)されて,甘肅の絶(はて)
      この土窟に冷かに四肢を横(よこた)へてゐる。 俑(ひとがた)
      のやうに,私は再び起てないであらう。


     
      湮没(いんぼつ)した陰山の骨を傳うて,夜陰が又私の
      髄に凍み透る。獄が復,私の肋の上によび醒まされる
      のである。


     
     
      (ごふ)が劫(ごふ)に堕ちてゆく


     真冬の書  Mes Cahiers 

      常盤木(ときはぎ) は黑く,恒に私の手は潔(しろ) い。 どんな
        悪徳も,もう私をよごしはしない。
      閃く斧。
      摧けちる薪。
      營みは真冬の中にも。
      藁におりて冬蝶は,もうそれとみわけられぬ。
      藤波は夙(と)く眠り,家畜達も今は寒を避けてゐる。
      ただ道のみが行手にしるい,たとへば德のやうに。




     

      櫻の實
      苔蒸した砌(みぎり)の上に櫻の實が落ちた。智慧が苦いもの
      を少年に嘗(ねぶ)らせた。

      記念品
      春の月が幽(かすか)に扇を照らしてゐる滑らかな砌の上。薄
      氷(うすらひ)の下の膚(はだへ)。 苦い櫻の實。 堕ちた智惠。 仄
      かな苔の匂。 それから湯の逬(ほとばし)る音。




     澄める町

      西風の中
      西風の中に菱の實の菱の劍は―もう泥の下。

      澄める町
      私はもう人情(ひとごころ)をたのまない。澄める
      町に,私は汝(おまへ)と住み古(ふ)りよう。

      赤い旭が,棟を染める。


                     『軍艦茉莉』 (昭和四年四月 東京厚生閣書店)



    北川冬彦と連環す,あるいは共闘す

      北川冬彦と心底真通し,共鳴しあうかのごとき詩がある。
      その中の満洲でたえずおきていた,戰亂と無關連でないあたり,をいくつか
      紹介する。
      大正十三年,大連で詩誌『亞』 を創刊して以來,既成の冗漫な常套の詩
      にあきたらぬ。新しい詩を究竟する同志である北川。 
      二人は詩の純化をひたすら求めて短詩運動をおこした。
      多くの追随者をつらねる時代の先驅である。

      北川の詩作については,☞北川冬彦①~⑥         

     勲 章  

      地を這う「靑い痣 ―モンゴーレンフレッケ― 」。落日が倒
      れた。惨澹たる終焉が戰の上に垂れ下つた。
      既に一度は來て犯した屍斑が長い長い夜陰と痛苦の
      後に斷たれた。
      困憊した軍医の手に愴然として私の一脚が堕ちた。
      天明が來た。




     騎 兵
       古は鞍山站とよばれた落日の部落である

      騎兵は飾られた肋骨を張って――小太鼓の音(ね)につ
      れて大部隊の移動を開始した

      騎兵は飾られた肋骨を張って――すでに落日の部落へ
      蝗のやうに潜入した

      その夜
      騎兵は飾られた肋骨を張って――華やかな洋燈の下に
      古風な圓卓を圍んだといふ。




     戰 役  
      侵 略
      百年の戰役は版圖の央(なか) を殷(おほき) くした
      三日月は軈うち煙つた
      河はしかし
      だまつて府(まち)を流れてゐた


      
      牛馬は絡繹と月の出の府を流れてゐた。


                      『軍艦茉莉』(厚生閣 昭和四年四月) 



     夜の思料

      さいごに非常に非常に,好きな夜の詩。
      きわだつ。
      もしやこれ以上に好きな日本語の詩はないのではないか,と言えるほど 
      今も。好きかも知れない。
      若いときも・・・陶陶としてため息をついた,が。
      しかし,讀めば,またさらにいっそう深みと淒さを感じるのだ。


      
    安西冬衞《夜の思料》


     特殊なよみがなは,
         一巻(ひとまき), 黑子(ほくろ), 凹(くぼ)み, 瀦溜(みづたまり), 
         赤裸(あかはだか), 暴(むきだし), 一闕(ひとかき)

     *阿僧祇=(梵) asaṃkhya の音寫。
          數えることができないほどの大きな數。無量,無限の數。 
          無數 (むしゅ) ,無央數 (むおうしゅ)
     *法馬=はかりの分銅。ほうば

    安西冬衞頌 缺損と填窖 《堕ちた蝶》 ほか 『軍艦茉莉』ほか

        Correspondence 2― 照應と填窖穴

        前頁 安西冬衛《八面城の念力》 『渇ける神からのつづきです

    あるときコレスポンダンスというものに二種あることに氣づく
    ひとつは天の萬物を類推したり天空の四隅を想ったり天地人の安定をつくりだしたりする,すなわち整頓し配置しの當てはめである,もうひとつは對比を想い白い空虚や黑い窖をさがし欠損を埋める行爲あるいは窟窿を填充する行爲。

    前夜に載せた安西冬衛の《八面城の念力》 は,欠落をうめる意志が非常にわかりやすく仕立てられた直截的の物語であろうか,表現の意志は明瞭すぎて却って戸惑いを感じるくらいであろうか。

     《生涯の部分》

     沙漠

      父から授けられた典籍,沙漠の最初の誘(さそい)は張鶱
     の大宛傳であった。
      哀(アラビア)海と波斯(ペルシャ)灣の際の(きわ)のくびれ。時の
     砂が無限に流れる地の理が私の姿勢を支える



      元來蝶は我が家紋なのだ。

           蝶の鼻輪 タイロナ族

     職業
      死語發掘人。座せる旅行者。類推の悪魔を馭する男。 



      (この三句にくわえて實は,『自傳のためのノート』には 
    “地理に秀抜な機動” , “太陽と漆喰”,“ドラクロアの舊約の世界”
    ということばもあるのだが。)

     『生涯の部分』(1947年 昭和二十二年四月) 



    安西冬衛は二十三歳のとき後右膝關節疾患により右足を切断する。
    爾來,北川冬彦に次の如く言わしめる安西冬衛となる。

     
     「不具者のビッコ(=跛)の歩みには,他人を追い抜かねば承知
     出來ない一個の拍車を備えているのだ,と不具者バイロンは
     言ったということである。安西冬衛は,一脚喪失の悲哀をバイ
     ロンのような強靭な精神力で克服することに成功した。」


    ことばのなかに必ずしも適切でないといわれる事があるを承知しているがそのまま引用文する

    つぎにあげる,やはり『生涯の部分』の,《砦》はこのことを安西自ら語っている,と想われる。
       

     《生涯の部分》

     献身の杖

      誹謗と稱讃。 偏見と盲信の閒で,献身の杖を伴とする
     葡萄樹(ぶどうじゅ)のように私は老い且つくねつた。
     


     
       詩の經營。 言語の煉瓦と文字の漆喰。 築き上げられ
     た固執の砦。 兀鷹 (はげたか) のランランとして, 眼漿をねら
     う塔屋の上 (ほとり) , 鐡鎖にいましめられた虜 (とりこ) の相を
     我が身の中に見出す。
       落日に血ぬられた地平線――― 私を包圍するのは無
     限の業苦だ。


     
      さまざまのことがあった。こののちも繼起をやめないだろう。
      やむを得ないことだ。
      私の好きなトルコの格言。
      犬は吼える されど隊商はゆく。



     『生涯の部分』(1947年 昭和二十二年四月) 



    家紋は蝶である。蝶の美學の生誕との縁起。
             ――『自傳のためのノート』

     

    安西の詩は,難解と言われるものが多いが,漢籍,中國の神話や思想,
    とりわけ『淮南子』や『莊子』に親しんだものには,實は理解しやすい
    “イマジナシオン” も多いなと思うのである。『軍艦茉莉』におさめられている

    曇天は魚を有(も)つ「卵に毛あり。鶏は三足。」 《物》

    幼い頃,“中庸”の父君より授けられた典籍の部分。
    また彼自身のことば「生來,Occulutism に異常な好奇心をもつてゐた」や,
    北川冬彦の解説からもつたえられるところの,安西詩の 『淮南子』からの,着想。

    安西の「蝶」の命題も,また漢籍の中の “飛蛾赴焰” の“自尋赴死” * ととらえ
    再生と,新プラトン主義との合一と捉えることもできるだろうとわたしは思う。


    安西の詩に『莊子』の血脈とアシアマイナーの神秘思想にいたるまでひろく隠秘
    哲学の血肉を見いだすことはたやすいことだとおもう,おおいにみうけられる。

       ―― 時の砂が無限に流れる地の理 ――
      ヘデインとリヒトホーフェン,大宛傳・・・・そして道の書 ,周易。
      安西いうところの「沙漠精神と稚拙感」の真意も 
      あるいは 『淮南子』 と “ヘルメストリス・メギストス”。
      これらの合一歸結。安西の神經と血脈であることは疑いをえない。

    同じく 『軍艦茉莉』 におさめられた《村》

      ハナシスル。  ――教會   

    この頁の始に上げた二種の照應。 つまり配置の類推(グノーシスの宇宙),と
    填穴の類推 (陰陽道), という発想は,わたしが懐いてきた,
    “イマジナシオンの種類” の考えなのだが。
    そのことは一神教の論理は,必ずしも文明の根底にあるものではない,
    ときには
    “文” を阻害するものである,というわたしの信念にもとづいていて,
    また,マニ的な二元論も,東洋の“陰陽”思想ほどには,“自在” ではない
    と考えてしまうわたし自身
    の指向,志向に,そのうえ嗜好にもよるもので,普遍的に敷衍するべきものではない。
    と,いうわけでこれ以上とりとめなくなって,詮方ない。

       

    《堕ちた蝶》

     「私は空砲を放つて,面紗(ベール)を被いだ大氣に孔を
     穿つた。
     さうして行手に横たはるであらう河身 ―― 沃土の發見に
     力(つと)めた。 併し私の足下には苦蓬さへ今はあとを絶つ
     た空しい曹達(ソーダ)地が,無限に移動をつづけるのであつ
     た。」

       磅礴するこのエーテルのなかには,刻々歴史に改變さ
     れてゆく文明, (その胸の中に憲兵を伴つてゐるプロシア
     人。)苔の匂のするタブーを纏つてゐるユーイット。デカルト
     の解析幾何學。(樹の中にある代數學)。甘肅の宗教戰爭。
     成都の萬里橋。スミルナの無花果。妹の中に眠ってゐる蝶
     等一切の微粒子がタピオカのプディングのやうに私を密
     封してゐるのである。
       にも拘はらず,この不毛の地から脱出して,それらの實
     體と和合する可能は, 殆ど私の飢渇の前に竭き盡しくて
     ゐた。

      私はしばしば火を燃やした。「焔が蝶を招ぶといふ土人の
     傳説を憑(たの)んで・・・・・・」

          *      *     

      すべてが過ぎ去った。
      そして今ではすべてが眠つてゐた。
      ただ,この夜陰 ―― 罪の堆積の下に,自分だけが
      目ざめてゐた。
      一年前に嘗めた韃靼行の苦さが容易に私を眠らせな
      いのである。
      私は強いて目をつむつた。
      すると,妹の優しい骨盤 ―― 石灰質の蝶が苦(さ)
      てくるのであつた。



            est2.jpg

      《左袒》

    陰気な沼の後(しりへ) 轆轤仕掛の月が堕ちる・・・・・日桂(ニッキ)
    を嘗めて坊主はからくりに油をそそいでゆく・・・・・憲兵の龕燈
    で撫でる門閥 脱法の鍵孔が這ひ廻る・・・・・窖に火藥は濕り
    飛び道具の箍がゆるむ


         『大學の留守』(湯川弘文堂 昭和十八年四月)



             いちおう つづく 安西冬衛③  


     《跛生詩法》 Bo Sheng Shifa

     安詩息法危胎水  An shī xi fa wēi tāi shui
     西域東文縒跛技  Xiyù dōng wén cī bǒ jì   
     冬塞土寒夜紫哨  Dōng sāi tǔ hán yè zǐ shào   
     衛城墨守亞洲子  Wèi chéng mòshou Yàzhōu zi  

      上聲二 水,技,子,

               2011-12-11
        解題:“安西冬衛”を詠いこむ
        縒は紊亂,不齊,古同,參差。
        また長吉謂う,“塞上臙脂凝夜紫”と(縒,紫も紙韻)

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    安西冬衞頌 《亞細亞では河を認めます》 『亞細亞の鹹湖』ほか

       アシア・マイナーにこだわって,
       前からいつか載せたいと思っていた安西冬衞の昭和八年(1933年)の詩集
       亞細亞の鹹湖から,《亞細亞では河を認めます》を。

    亞細亞では河を認めます  (原題「三つのもの」)

            河は展開の役目をつとめる
            わたしはもう飛躍しない
            卑しきに就くばかりです


      お尋ねの亞細亞の年齢について,確たるお返事をさしあげられ
    ないことを遺憾に存じます。尤も四川の奧の自流井とか,ガンヂス
    の流域に發生する塩性風化物について考えますと,意外にこれが
    若いのではないでせうか。
      なんでしたら,海盤車 (ひとで) たちについてお調べになつては
    如何ですか。所謂,亞細亞では河を認めるといふ例もあることです。
    川の溶解して搬(はこ)ぶ地の塩―炭酸石灰を蓄積している彼女らの
    ことです。ものはためし,さういふことにして一つ,直(ぢか)にあたつて
    ごらんなさい。存外そんなところから口を割らないものでもないでせう。
      次にお示しの波斯 (ペルシア) 灣後宮説につきましては,慇懃にご
    同意申上げる私を,なにより欣快に存じます。この場合差詰(さしづめ)
    アルメニヤノットが Papilla Mammae といふことになりますか。
     
        Omphalos―バビロン

      それと萬々おてぬかりはあるまいと存じますが,アバダン島の
    潮汐恒數 (てうせきこうすう)をお調べになることも必須の条件です。凡そ
    この三つのものは絶對のハレム的系數です。
      猶,お話のありましたエキステンションの件は,ご承知のやうに,
    波斯語 の Daria には河と海の兩つの義があり,これを亞剌比亞
    (アラビア)語に就いてみましてもBahr には同じく河と海との義のある
    ことです。おそらくさういふところから馬哥孛羅 (マルコポーロ) 氏は,
    今日のオルムス海峡までを,謬つて河と結界されたのではないかと
    存じます。
      いや,兎角あの邊は厄介な問題の,絶えず紛糾してゐるところ
    です。さういへば前年歸屬問題で,英波閒に係爭のあつたバーレン
    諸島事件もどうやら湖畔の法王庁まで担ぎ込んで,一先 (ひとま)
    (けり) がついたらしい塩梅ですが,どうせ事はこのままには収まり
    ますまい。
      どうして,百事これからです。・・・・・




    二つの河の間
     
      私どもの亞細亞では,最初の床を,二つの河の間にとるのです
      印度では,Vyomaganga の下,Gangesの上で。支那では,
    KiangHo にはさまれて。 蒙古では,流れる沙の面紗(ベール)
    と 沙の面紗を被いだ流
    に匿(かく)されて。朝鮮では,閨房のある
    河 ― Jordan の水を沃ぎあうて。・・・・・・
                                  (*太字は安西自身による


                  『亞細亞の鹹湖』 ( 昭和八年一月 ボン書店)


       また,安西冬衞の第一詩集,昭和四年(1929年)軍艦茉莉
       よりいくつかの詩を。f
      

    河口
     歪(いびつ)な太陽が屋根屋根の向(むか)ふへ又堕ちた。
     乾いた屋根裏の床の上に,マニラ・ロープに縛られて
     少女が監禁されてゐた。夜毎に支那人が來て,土足
     乍らに少女を犯してゐつた。さういふ蹂躪の下で彼女
     は,汪洋とした河を屋根屋根の向ふに想像して,黑い
     慰めの中に,纔(わづか)にかぼそい胸を堪へてゐた―

     河は實際,さういふ屋根屋根向ふを汪洋と流れてゐた。


              

    土耳古 (トルコ) 
      新月は燻(くす)んだ。檣(ほばしら)によぢのぼつた男は
      郵便切手の装飾に秘藏(しま)はれた。灣はうつすら暮
      藹の底に象眼されてゐた。




    興亡
      (ふき)の下(かげ)に靑い韃靼(タタール)が亡んでいつた。
      猫の尾の渦巻きの中から埃つぽい回回敎(フイフイ
       が生まれてきた。




    長髪賊
      月魄(げつぱく)の町で私は符を拾った。
      すると髪の修(なが)い漢(おとこ)が滲んで,私に符を
      合(あわ)せた。
      合せた符はかうなつた
      I shall narrate a horrible thing to you
      ―My hair stood on end.


       『軍艦茉莉』 (昭和四年四月 東京厚生閣書店)


      
      *Jordan=ヨルダン川,中東を流れるガリラヤ湖から死海へとつながる
            נָהָר יַרְדֵּן Nehar ha-Yarden (ヘブライ語)
            نهر الأردن‎ Nahr al-Urdunn (アラビア語)
      *韃靼(タタール)= Tatapлap, 蒙古高原から東歐リトアニアあたりまで
        幅廣い地域に活動したモンゴル系,テュルク系,ツングース系の民族
      *回回敎=伊斯蘭(イスラム)敎のこと。
        回紇(=ウイグル)人にイスラム敎信者がおおかったことらから,回敎,
        回回人というような言い方になった
      *長髪賊=狭義の固有名詞としてはもちろん政府反亂軍とされ
       討伐の對象になった(ゆえに賊のごがつかわれる)太平天國の,男,
       ということだが。




      餘語:
      西歐の國名,地名,人名を漢字であらわしたのは,そもそも中國人。
      中國語の發音で近い語を選んでいる。

      トルコ(Turkey )がなぜ土耳古なのか。 
      土耳古は中國語(北京官話)で “Tǔ ěr gǔ” と發音する
      發音の繊細を耳から聞き取りよくあらわされている。
      おなじく英國,Londonを ,英吉利(Yīngjíl),倫敦(Lúndūn)としたのも,
      原語の音をできるかぎり忠實に表そうとしているからだろう。
      B,V やL,Rの發音,C,K,Qなどの使い分けも日本人よりずっと
      繊細なのだ。
      明治以降漢字で表された,こうした西歐の固有名詞が日本語のカタカナと
      音が微妙にちがうのはこうした事情によるのだ。
      マルコポーロ Marco Poloが,なぜ馬哥孛羅,なのか,中國語ではmǎkěbōluó
      と發音する。 ナポレオンは拿破崙(Nápòlún)。
      ワシントン Washington が,なぜ華盛頓なのか,Wa を華 (hua) とした發音
      が厳密に正しいか,といえば異論もあるだろうが,Huáshèngdùn,である。
     
      よく日本人は,中國人は濁音がつかえないとか,ピンインがテキトーだ,などと
      いうあざけりの言を弄すがまったくそんなことはない。
      國土が廣いので地域によって差は,かなりあるがそれは方言,訛言である。
      日本に特有な,歴史的に頑固に根付いたさもしい亞細亞蔑視の根性がこの
      ようなあやまったみかたを,定着させている。(といってしまおう)
      
      日本人は,發音に關しても,おおざっぱだが漢字のもつ意味の理解も非常に
      ザツで,繊細な使い分けをしない。
      そもそも漢字が中國で發祥したことすら知らない,赤坂某のようなあきれた
      “知識人”は論外としても。
      本來繊細であり,日本には相當單純化されて輸入されていることすら,まるで
      わかっていないような人も多い。
      近頃では字源を捏造してまで中國蔑視,嫌惡反感の根據にしている。
      ネトウヨ,一部出版社,一部學者,一部辭書,いいだしたらキリがないが,

    安西冬衞頌 《砂漠の行者が臥(ね)てゐると鴉が食物を運ぶ》

    亞細亞の黑鵶鵶

     新疆ウィグル民族自治區に暮らす全きに罪なき民に
     想いはせつつ
     居庸關頭で歍唈する鴉とともに。
     もしくは鵶,啞。嗚啞する黑河,すなわちいまだうちつづく
     亞細亞の黑鵶鵶
    を哀咽する。
     そして
     いにしえの樓蘭王と,さまよえる湖(羅布泊)をおもい・・・・。
     フェルガナの汗血馬を,劉徹の遠望と侘をおもい・・・・

     *= Bū  金の布と畫くはPlutoniumのこと也,と。
     *羅布=Luóbù   羅布とは遍在すること也,と。


     Correspondence 3―墨 鴉 墨鴉 小篆

    わたしはそもそも内蒙古や大戈壁の西のことに知識も
    無く。地理に,また地理學にくらい。
    象徴詩としてよめばこの鴉がなになのか・・・・は,
    朧氣のなかにも確信するところある。
    その一, Opium。
    このことは,この時代の中國,東北部,に詳しいものなら
    ジツはだれでもわかることだ。 
      
    その二, というところを。

    金文 才 
    鴉は翰墨, すなわち文翰だろう。
    鴉は,“文”,すなわち “才” の
    こと,もしくは “采” のことだろう。 
    『説文解字』によれば “采”の原義は葬でもある。
    文は墨,墨は黥にはじまる。亦逆も然り。

    耽溺する一篇といってもいいか・・・・。
    《砂漠の行者が臥てゐると鴉が食物を運ぶ》
    解かりきらずにいるくせに,異常に好きである。
    そんなことはよくあるのだ。
    とても惱ましいし淫迷惑亂とするばかりなのだが・・・・ 
    わたしが,最初に讀んだ安西冬衛の詩集が昭和八年の詩集
    『亞細亞の鹹湖』の,その鉛重の一撃撞衝,揺れさだまらぬうちに
    手にしたのが,『大學の留守』であったという個人的な思い入れもある。

    《砂漠の行者が臥(ね)てゐると鴉が食物を運ぶ》
                                   安西冬衛

     私は官の命を奉じて々流沙の瀕に使(つかひ)した。併し曾少量の磚茶*以外に食物を携行したためしはない。餓を覺える時は所在の鴉を屠(はふ)つて辨じればよかったからである。人によつてはかかる行を忌み嫌ふであらう。併し私は毫も意に介しなかつた。却ってむしろ千年の壽を完(まつた)うするものと信じてゐる。が,私の肝腎はためにおそらく涅*(でつお)されてゐるだらう。が,これこそいかなる惡吏も亦敝鬼*(へいき)も傷(やぶ)ることの出來ない礙竄*(がいざん)だ。されば私の鴉を用いて齒(よわひ)を延(のぶ)る説法もゆえないことではないだらう。
     私は曩(さき)に阿爾泰*辨大臣の任を罷めて京師に歸り,ふたたび*(こん)外に使することもなく,十刹海のほとりにかうして隠れてはゐるが,老來頻りに翼々たるものがある。日常私は磚茶を喝する他,鴉を炙つて喫する習慣を未だ廢てない。
     曾て折衝の場(には)にまみえた俄*人の間にはCherni Wuの綽號を以て私は識られてゐる。これは今日も猶,交民巷*で通用するつもりである。同胞は却つてこのことを知らない。
      由來蒙古の地は鴉を以て天下に名があがつてゐる。 ことに阿爾泰山系をめぐる一帶は往々地名に烏字を冠することによつて立證される如く,都邑驛亭ことごとく啞啞(あくあく)ならざるはない。一體この夥しい鴉は奈邊より興つて,かく宇宙に方行するものか。私はそれを査(しら)べたのだ。子書に「兩者交接成和而萬物生」とあり,又「川爲積刑」とある義理よりして,私は必ずこの不祥な形質の発祥地が,二つの河の交會點に相違ないと斷じたのだ。
     私は謬(あやま)たなかつた。
     地圖を按ずるがよい。實にそれは翁金河*,黑河*,二水の交はるところに一(はじま)るのだ。
     尤も現行の地圖には「中華現勢大地圖」にしても「輓近華夷一統圖」にしてもこの兩河は決して交接してゐない。大戈壁*に塞がれて翁金河は烏蘭泊*に黒河は居延海*にそれぞれ流注することになつてゐる。併しこれは浮疏*(ふそ)の書の教ふるところで固より信憑をおくに足りない。現に私は馬を進め親しくその地を原(たづ)ねてきたのである。世にも深微な文章をもつて大地を黥*するところ,二水は然(あきらか)に交わつてゐた。いかにもそれは累積黑業 の坩堝である。 鴉の精神は實にこの涅墨*(でつぼく)に發する氛*(ふんれい)より彷佛として現ずるのだ。
     それは阿爾泰山彙の皴皺*(しゅんしう)に生ずる地氣と糅(まじ)つて東に舒び,ひとたびは冲(むな) しく復た究め難いが,忽ち險窄にあふや兀*(ごつ)として形埓*がある。
    toriu.jpg  すなわち鴉である。  
     曾ては烏得の地で,甫(はじめ)て形埓*(けいらつ)があつた。烏得は併し夷敞*(いしゃう)して昔時險窄の跡は最早どこにもない。今日の險窄は直隷の居庸關*である。居庸關頭, ひとは鴃吧*(げきあふ)の聲を耳にするだろう。それこそ鴉の魂魄の黖黖*(きき)として物質(さだ)める時と知るがよい。

     『大學の留守』  
    (昭和十八年十二月 湯川弘文堂)



     老文明。二川の間に牀捲ける。

    地名の説明

    *阿爾泰=アルタイ
    *十刹海=北京地安門外,別稱を河沿
    *俄=ロシア。俄羅斯
    *交民巷=北京西交民巷のこと
    *黑河=黒龍江,アムール川
    *大戈壁=大ゴビ沙漠
    *翁金河=蒙古の河の一。北に流れ
      北海にそそぐ蒙古國後杭愛省,モンゴルの地理に
      うといわたしにはよくわからない。源は三音諾顏部の故地
    *烏蘭泊=Ulaanbaatar ウランバートル
    *居延海=内蒙古自治区Juyanhai,
      漢代は居延澤,唐代以降西海
    *直隷=河北省の一部,民國初頭までは
      熱河やチャハルも管轄だった
    *居庸關=いわゆる“天下九塞,
      居庸其一”長城上の塞の一



    漢語の説明

    *磚茶 zhuān chá=團茶。茶葉を蒸して煉瓦型に押し固め乾燥させた茶
    *烏と鴉は中國ではふつう阿芙蓉のこと
    *敝鬼 bì gui =死後の霊魂,魑魅 鬼
    *涅汙 niè wū =染汚のこと よごれ
    *礙竄 bì gui =碍竄性のこと不可入性,二つが同時には存在しえないこと
    * kun  =しきみ,閫外は閾の外側
    *「兩者交接成和而萬物生」=『淮南子』《覽冥訓》から
            陰陽,同氣相い動く也
    *「川爲積刑」=『淮南子』《墜形訓》
        地形凡て,東西爲緯,南北爲經,爲積德,川爲積刑,高者爲生,
        下者爲死,水圓折者有珠,方折者有玉。清水有黄金,龍淵有玉英。
        土地には各おの其のもって類生あること,それ故に,
        山氣多男,澤氣多女,障氣多喑,風氣多聾・・・・等等
    *累積黑業 = 知らず知らずに行うところの業,くらいの意味か

    *浮疏 fúshū=いい加減なもの,位の意味か,粗疏
    *黥 qíng = 入れ墨の刑罰 黥刑
    *涅墨 niè mò= 涅墨之刑 これも古代の五刑の一,つまり入れ墨
           ちなみに刑罰とは關係が無いが涅白は不透明の白のこと
    *皴皺 cūn zhòu=つまり皺がより波紋のようなものができる
    *夷敞 yí chanɡ=平坦で廣いこと

        兀字 甲骨文 金文 小篆

    *兀=wū ごつ 音はWu
        地形のことをいうならば高く頂が平坦なさま禿山のこともいう
        茫然无知,白痴あるいは高の意もある そこから孤單,孤獨・
    *險窄 xian zhai=峻険で狭隘,狭窄の地形
    *鴃唈 jué ,yi= 鴃は伯勞鳥の聲 唈は低い聲で哭泣。
             百舌のなくような聲で陰鬱に哭す,くらいの意か
             鴃舌といえば,外国人のわけのわからない言葉を
             さげすんでいうときに使う言葉でもある。ただ※↓
    *黖黖 Xixi= 暗く曖昧にして不明貌。“芒芒黖黖,慌罔奄歘”(左思)
            『文選』李善注によれば “黖黖”は不明貌。”

    *形埓=易は形埓なし,易は變じて一となり
    *烏得=烏得勒支ユトレヒトではなく,烏を得る地のことだとはおもうが

       

     《墨 鴉》   Mo ya  

      詩聲悉地黑河涯   Shīshēng xīde Hēihé yá
      空闊厚天陪伴鴉   Kōngkuò hòutiān péibàn yā
      春瀝泥茶鹹湖涅   Chūn lì ní chá Xiánhú niè
      塵風埋字墨流沙   Chén fēng mái zì mò liúshā

         
         平聲十八 麻< 涯,鴉,沙 (茶)
                               2013-11-05

     解題:安西冬衛に



     忽來案上翻墨汁,塗抹詩書如老鴉 ―― 盧仝

    黑 金文   ところで “比喩書畫拙劣” を墨鴉 mò yā と謂う
     可笑しい。
     安西冬衛の魅魑とは。 
     わたしにとって “黑鴉鴉” すなわち黑暗无光,
     昏冥の魆魆 なのだ。

     雍門周が孟賞君に見えた逸話で,孟賞君が哭泣したとき
     『淮南子』《覧冥訓》では,增欷歍唈流涕狼戾不可止との表現がある
     わたしの氣分では鴃唈は歍唈のほうがしっくりとくるのだ)

              garlleriacanotyronabrtop1.jpg

    ワタクシゴト 我嗟塗鴉
      わたしはこれまで,何度となくひとから “からす”という渾名を
     それとなく侮蔑的に頂戴してきた。  
     わたしはじつは鴉が大好きだ。だから當人至極ご満悦だった。

     都會に住めばと早朝イヤでも鴉は目に入る。  
     朝の日の光をあびて 黝(あおぐろ) く耀く羽はつややかに燦(さん)としていて
     美しい殷黑い眼をしている。 
     膩澤の黑粧裝。 

    安西冬衛 魔術的象徴照應詩 《八面城の念力》 『渇ける神』 

      Correspondence 1― 照應

    日本のコレスポンダンスの詩人,といえば,安西冬衛 が,真っ先に浮かぶ。
    クダクダしい解説もどきは抜きにして,《八面城の念力》と題された非常に
    はっきりと安西冬衛らしい象徴詩を。散文詩である。
    とはいえ,これが,なぜ “散文詩”なのか・・・・。
    むしろアンブローズ・ビアス(Ambrose Bierce)あたりの “短編小説” を
    思い浮かべる,なんていうひともあるかもしれない・・・・が

    八面城” というは地名である。
    八面城,または八面城鎮の位置は昌圖縣城の西北部,遼甯省,吉林省内蒙古
    の三つが交わる處,である。
    この詩の場合,そのことはどうでもいい。すなわち20世紀初頭の満蒙の,當時の
    邊境地域である,程度のことさえわかれば,あとはコレスポンダンスの森の中に
    ふみいってゆくだけである。

        八面城の念力     安西冬衛
     
       念力ほど世に恐ろしいものが又とあるだらうか。 
     
       當時わたしはラシッド財團對支文化事業夏期診療班に随って,
     東蒙地方を巡回診療のことに從つてゐた。
       かへりみれば 北京出發以來烈(はげ) しい沙漠の輻射熱 と險し
     しい排外的な空氣の中にあつて遂行してきた一行の使命は,實際
     予想以上の困難を伴つた。われわれは終始無理解な出先官僚の
     故なく擬する銃口と,ともすれば暴徒に化する畏れのある土民の
     危險に暴露して,辛くも任務をつづけてきたのである。
       現にカチルボーラでは重トラホームのために殆ど視力を失ってい
     る蒙古人の老婆が公然膿盤を略取していつた。又余粮堡(よらうはう)
     では,陰嚢象皮病の一患者がたくみに擬態を應用して班長ヘディン
     教授の折鞄を隠匿し去つて一行を苦笑せしめたが如くである。
       かういふ苦渋な日月も併し漸く終(をはり)に近く,この日午後には
     この行の終端地四平街に出るといふ八面城に於ける日程の最後の
     日,診療所は午前中に閉鎖して,一行の行李は大車(ターチャ) に搭載
     既に車站*に向けて發送を了(をは)つたあとのことだった。私は開車
     (カイチャ)*までの時間を利用して,
     業余に私の研究してゐる「支那人の容貌」のコレクションをとるため
     に,単身商埠* 地に赴いた。
       すると城北の老爺廟* に,仰天午睡に堕ちている一人の壯士*
      に遭遇した。

     面 甲骨文  この漢 (をとこ) の面魂 (つらだましひ) こそ世にも
     奇怪を極めてゐた。人間の容貌の眼目である
     「面目」という文字,ぬきさしならぬこの二字か
     ら重大な「目」の一字をぬきとったとでも譬へ
     ようか,眼窩の痕跡さへとどめない。
       ただみるそれは無埒な面魂だつた。

       私は左顧右眄した。蝟集(ゐしふ)* してくる群衆の妨害を恐れた
     のである。
       幸(さいはひ)あたりには人影もない。
       天与ともいふべき究竟なこの機會。目 甲骨文
       私は猶豫なくスケッチをとることにした。
       それにしても
      (この漢を現世によびさまさせる唯一の
      術は,臓器療法の他はあるまい)・・・・

       私は呆然と,胎生學上有り得べからざる妖怪の前に虚しく手を
      拱くのほかなかつた。
       と,私の眼球が,この時急速に乾いてゆくことを自覺した。
       強直が私の石灰質(ライム)を奔った

      (彼は儂(おれ)の眼球を欲してゐる!)

       果然,私の内語が,暗示となつて眠ってゐるこの漢の想念を喚
     起したのである。
       咄嗟に私は身を挺し*て迯(のが)れようと試みた。が時既に彼の
     一念は,かへさうとする私の踵(きびす)にかへさすまじと吸ひついた。 
       私は渾身の力を盡して,併しじりじりと踵をかへしはじめた。
       念力と死力の相爭ふ 輸贏(しゅえい)*。 
       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     
       一進一退する彼我の阿吽は,しばし澄みきはまつて,ここに
     とどまるかとみえた。Magdeburg hemispheres――それも束の間,
     みるみる私の死力は彼の念力の前に蕩盡していつた。 
       ついに虚脱の刹那。
       同時に私は前後不覺に陥つた・・・・・・

       * * * 
       夜に入つて私は捜索隊に収容されて,辛(から)くも失明を
     脱(のが) れた。
       併し私の衣服は寸斷されて,満身に打撲傷を負うていた。


            『渇ける神』(椎の木社 昭和八年四月) 

     
     (※傍線,太字は管理人) 



      符合する符號と いくつかの漢語について

    *車站=chē zhàn 鐡道の驛
    *開車=kāichē   火車(汽車)の操縦車輌のこと,發車

    *商埠=shāng bù 光緒三十一年(1905年)に清國が結んだ
       『日清満洲善後条約』 第1条に準據する外國人居留地
       として日本人に指定開放した地域。遼陽,吉林,哈爾濱,
       満洲里などの開埠通商都市
    *壯士=zhuàng shì この時代,満蒙地区で壯士といえば,所謂“満洲馬賊”
       のことだろう。村の保衛をする遊撃隊のようなものでかつ,
       命しらずの俠士のことでもある。これをたんに,のち日本軍
       が考えたように匪賊,馬に乗った盗賊で討伐の対象,と考え
       たら,大きなまちがいとなるのである。この當時の満蒙のこ
       とはなにも理解できなくなるといっていい。
          (この詩の解釋には殆どカンケーないことだが)
    *蝟集= wèijí   紛紛と聚集すること。蝟はハリネズミ,
    *身を挺して=    このばあいの挺身  ting shēnとは
      日本語のいわゆる“身を挺して”と若干ニュアンスが異なる
      と考える。直起身來,または前進,挺爭して鬪いつつ逃げる
      挺身而出,奮起して出ずる,である。
      “迯れる” につながるので挺身逃逸,脱身である。 
      この“挺身”の,對義語は“退却” “萎縮”となる。
    *老爺廟=laoyé miào 一般的に何處にでもある,關羽を祀る關帝廟の
      ことだが,天の老爺の廟と考えるのもまた一興。
      また老爺廟という地も全土に有名なところがある
      “鄱陽湖”老爺廟の奇話は朱元璋と陳友諒の大戰の
      昔話や《聊齊志異》などでも有名。
    *輸贏= shū yíng (日本語でも“ゆえい”ともいう)勝ち負けだが,
       どちらかというと賭けごとの勝負の意 につかわれることがおおい


     
    窖と眼球 空氣と挺死尸 

     “Magdeburg hemispheres マクデブルクの半球”
     のこと。
     生來,歐洲の象徴詩,
    マクデブルグの半球

     オキュルティスムに異常な
     關心を持っていた
     安西冬衛である。
     安西の詩文にも,其のこと
     への執着ぶりは,しっかり
     看取できる。

     この詩においてそれは
     一進一退する 彼我の阿吽
     と “マクデブルクの半球”ある
     いは空気壓
     そして石灰質
     によって確信が得られる。
     さらに,もうひとつには。
     じつは挺身の挺には
      “睡眠”の意味がある。

     って
     フツーに讀んだら・・・・,
     まるでシリメツレツだ。
     とは言えこれが,
     安西冬衛 というものなのだ。
     しょーがないのだ

      つづく 安西冬衛② 缺損と填窖《堕ちた蝶》『軍艦茉莉』ほか

      《莊子之蝶》  Zhuang zi zhi die

      詩境鱗光戀雙翅    Shījìng lín guāng liàn shuāng chì
      醒舞醉生變遍移    Xing wu zuì shēng biànbiàn yí  
      韃靼海峡見無花    Dádá Haixiá jiàn wú huā  
      辯辯胡蝶夢何飛    Biàn biàn húdié mèng hé fēi 
                                
        解題:雙翅を戀うる,(韃靼海峡は平仄合わせず)。
        また,『莊子』内篇 齊物論にいう 昔者荘周夢爲胡蝶 ・・・・。
         不知周之夢爲胡蝶與胡蝶之夢爲周與。

            2012-06-09

                ** * * * * * * * * * * * * * * * * 

      《詠 蝶》   Yong die 

      胎心喪氣變化成    Tāi xīn sàngqì biànhuà chéng
      冷冷羽恍無息聲    Lěng lěng yǔ huang wú xi shēng
      戀戀火焦花作骨    Liàn liàn huo jiāo huā zuò gǔ
      詩家紋蝶復尋生    Shī jiāwén dié fù xún shēng


              2012 0609

    テーマ: - ジャンル:小説・文学

    詩餘 句裂 偈

    詩囚

    Author:詩囚

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