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    中島敦と+“峭刻” 『太平廣記』《人虎傳》

      東野窮愁死不休,高天厚地一詩囚 ―元遺山

      以前 孟東野 について書かれた文章中にでてきた “峭刻” ということばを
      とりあげたことがある。
      孟東野を,いいあらわそうとするとき, “寒”,や “窮”,或いは松,とおなじくらい,
      同時代,後世かかわらずよくつかわれる語で,ある。
      まさにぴったり。
      その“峭刻”という言葉を説明して, 山月記 を引用した。
      人が虎に變じる話, 中島敦 の代表作。
      “峭刻”という言葉を最初に知ったのが,この『山月記』だった。

      この『山月記』は, 『太平廣記』《人虎傳》 を中島敦が翻案して書いたもの
      だが,隴西李徴,袁傪,虢略 といった人名地名もおなじくして,また旅の
      途中に忽然,被疾發狂して,夜中に宿を飛び出すと,そのまま行方知らずに
      なってしまうなど,設定はおなじである。
      が,原作には,李徴の,その風貌,“峭刻”であった,という表現はでてこない。
      中島敦の創作のようである。

      孟東野 という詩人を知るまで,わたしはながいあいだ,
      隴西の李徴,という人物のモデルはもしかしたら李長吉 なのではないか
      と想つていた。
      人物造形において,世俗的に恵まれなかった,そして性格が傲慢で人との
      折り合いがわるい,という傳が,あるていど李徴に近いといえなくもないかな,
      ぐらいの共通点はみいだせるものの,大きな理由は,ただ単純に,
      唐代の詩人で,李長吉も,やはり本貫を隴西と,つまり,皇族の末裔と自稱
      しているからである。
      中島敦の全集を讀みはじめたころと,李長吉詩集,どっちが先ともいえない,
      おなじ時季に讀みはじめたせいもあってのこと,容易に結びついてしまったの
      である。
      しかしのちに,本貫などというのは,いいかげんなもので,隴西,といえば李氏,
      李の元祖はみな隴西,さかのぼれば,みな李耳,ほとんどウソっぽいものでしか
      ないことを知ってからは,李徴は誰である,とかはあまり考えなくなっていた。
      ただ,孟郊を知ってから,孟郊詩の形容にはかならずついてまわる “峭刻” と
      いう語をあらためてよくよく調べてみたことがあった。

     日本語の辭書には“峭刻”の使用例として毛澤東 峭
     まさに『山月記』があげられている。
     漢典では“峭”は

     ①山や崖の嶮しさ,高く聳えている陡。
      峭谷,峭岸,直角に鋭く切り立ったさま
     ②高超,不凡,人に抜きん出ている,峭岫
     ③嚴しい,厲しい。苛酷冷峭。
      人の性の酷薄苛烈
      

    峭 小篆  そして文筆鋭利のさま。
      とくに“峭刻”といった場合は文章の剛直,
      脱俗的の意も含む,文章の奇嶮,を言う。
      “峭漢”というと特殊な人物のことをいうらしい。
      と,こんな具合である。

      ふむ。違った感慨を抱いた。
      “容貌も峭刻となり肉落ち骨秀”という表現にこめられた深い寓意を知った
      のだ。
      中島敦には汲めど盡きせぬ愛着,
      というものがあり思い入れはとてもかんたんには語りつくせない。
      いずれ漢詩を紹介しようと思っている。
      そのまえに。

      もうひとり盲愛している日本の文人がいる。
      というか俳人なのだが富澤赤黄男 である。
      一時期現代俳句に興味を持っていたが,あるとき富澤赤黄男を知り,赤黄男に
      夢中になったことでで逆に俳句からは,遠ざかる結果となり,いわゆる“漢詩”,
      中國の舊體詩に完全に興味は移ってしまった。

      このへんのニュアンスは富澤赤黄男をご存知の方なら,ははー,なるほど,と
      ピンとくるんじゃないかとおもうが,よく言えば筋が通っているが・・・・,
      よーするにまあ好みがワンパターンなのだ。
      じつは中島敦につながるハナシがある。これは次回に
         
        つづく⇒ 富澤赤黄男① 中島敦と新興俳句のこと  『天の狼』

      時として作者の手からはなれて一人歩きするくらい有名な作品というもの,
      がある。
      その作者のことは知らないが,その詩は知っているというくらい,いや,
      どうかすると,ええ?作者がいたんだー,へえーWというような。
      たとえば,孟郊 といえば,即《游子吟》 という。
      《游子吟》 という詩(=樂府なのだが)は,戰前の教科書には大概載っていた
      らしく,一定の年齢以上の方には非常に有名で,教育勅語とセットで思い
      だされるようだ。
      ちょっと孟東野迷としては,孟東野の代表作とはいいがたい,
      これまでふれなかったし,これからも書きたい氣も起きない,という作である。

      それにそもそも,珍しいからお讀みくださる方がたまにいらっしゃるというわけで,
      孟郊の有名な詩など,解説したところで誰も讀む氣にならないだろうと思うのも
      あるが。
      ま,とにかくこの樂府が大好きで,なおかつ孟東野 大好き,というひとは・・・・・
      まずいなさそうだ,というくらい,孟東野の本來のイメージから乖離してしまった。
      わたしの頭の中では,隅におわれてしまって,もはや忘れてしまいそうである。


      富澤赤黄男 >のもっとも人口に膾炙した句 ,

       蝶 墜ちて 大音響の 結氷期

      という句も,あるいは似たようなものかもしれない。
      富澤赤黄男 という名はしらないが,その句なら知っている,
      という人には多く出遭う。
      (ただ・・・・赤黄男が好きだ,と言う人には,殘念ながら半世紀生きてきて
      いまだ出遭ったことがない・・・が。)
      
      しかしこちらのほうは,孟郊《游子吟》 とちがって,まちがいなく赤黄男の
      赫赫たる代表作たるにふさわしい。

      蝶チョウ,響キョウ,冰ピョウ,という音,その絶對的な静謐の宇宙の中,
      キーーン,とさえわたる空気の中で,無音の音ともいうべき音の響きを,みごとに
      あらわした,前衛的な表現。
      奇嶮,峭刻の筆というにもふさわしいような,現代俳句,新興俳句,の傑作中の
      傑作の一つといっていいだろう。
      ジツはわたしが中國の舊體詩に夢中になる以前,“漢語”というものを,もっとも
      多く深く學んだのは,李長吉 と 赤黄男 だった。思い入れは非常に強い。
      拙い詩を書くが,色の表現特に黑と白はジツに赤黄男の剽窃からはじまった。


      李景亮 《人虎傳》 『太平廣記』 より原文  ↓

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    富澤赤黄男 『天の狼』吾以天地爲棺槨

     吾以天地爲棺槨

     句集『天の狼』。應召後,中國戰線に投入された赤黄男の,前線の從軍句が多い。
     おそらくは河北の地,長城から長城へと,大砲を牽きつつ輜重隊とともに行軍した
     赤黄男の句を昨日から書いている。
     赤黄男の他の句集 『蛇の笛』,『黙示』 にくらぶれば,
     それほど前衛的ではなく,かどかどしい峭削の筆もない。
     シュルレアリスティクな手法はもちいられず,逆に,漢語の古拙の響きをよく
     傳える。樸(あらき)なるがゆえに,一層の凄愴感がある。

     前衛とは,型式の進化の過程をとばした・・・古拙からの坦直の接ぎ木,であること
     がよくわかるゆえ,よけいに影のような單純な容貌に見え,黑さが際立つ。
       
     そして中國の大地,華北の戰線から武漢,長江へと南進する過程に書いたのか
     《阿呆の大地》章の,「ある民族」と題せられた七句は,
     あつまれば一篇の七言古詩のようである。一幅の畫。


      「あ る 民 族」
      
     と あ る夜 は 呼 吸(いき)と め て き く 長 江 の 跫
     
     民 族 の 郷 愁 鶏 を 焼 く に ほ ひ
     黄 風 に と ほ く 家 鴨 を 裸 に す
     水 車 ふ む 悠 久 に し て 黄 な る 大 地
     銅 幣 を 掌 に う ら が へ し た る
     烈 日 を 溶 か さ ん と 罌 粟 を さ か し む る

     瓜 を 啖 ふ 大 紺 碧 の 穹 の 下


        《阿呆の大地》『天の狼』



      戞 戞 と ゆ き 戞 戞 と 征 く ば か り

      《蒼い弾痕》の章。そのなかの章題とおなじ「蒼い弾痕」は,この句からはじまり,
      この句,から蒼天のもと展開される兵士の戰いを詠む。十五糎榴彈砲,飯盒を,
      繃帶を,塹壕を,匍匐を。雨と血のじっとりと滲む空氣を詠む。そして

      寒 月 の わ れ ふ と こ ろ に 遺 書 も な し

      でおわり,つぎの句題,どこか,天からの眺望を思わせる,
      漂漂と詠む「空中戰」。
      ふたたび從軍行。「武漢つひに陥つ」「木の實」「枯野」,そしてきのうの,
      馬の句,困憊の句に致る。☞ 「ある地形
      さらに「不発地雷」「東洋の雲」「江岸要塞圖」「寒山寺」
      とつづいておわる。



     
      民无天扎,境无烽燹
       
      死生,存亡を日月に,蒼天に,夜の闇に身をまかせきるしかない,
      曠野の孤獨と,醒悟の朝。ふたたび戰火のなかに一歩をふみだす。
      一日の行軍を終えるころ地平線の彼方を突如真っ赤に焦がす夕陽。
      紅蓮の炎。死の覺悟,死の具體のイメージは,“火”,だったのだろう,
      烽火ではなく,業火。
      この火のイメージは,弔いである。太陽と乾いた土による葬送曲,
      蒿里のうた。

      兵 燹 を み る あ め つ ち に わ れ は ひ と り
      風 錯 落 錯 落 と し て 焚 火 か な


    燹・焚 
        *燹(セン)=野火,兵火,戰火
              燃やす,焼く。
        *兵燹=戰亂に遭遇して焚焼破壊される
               こと。火炎,煙が高低變化
               することをもいう(烽燹)
        *焚(フン)= 本義は,林を焼きつくす火。 
        *錯落= 參差不齊,縦横紛亂。
              メチャクチャに,亂れかきまわす
               順序が不規則なこと


      と,このように昭和十六年初版の(『天の狼』所載)
      「東洋の雲」で朔地の風と烽火をうたう。
      燹,焚,錯,すべて亂七八糟滅茶苦茶にかき亂されたイメージの語。語感。
      しかし靜かに終わる。あとには静寂。




      花 が 咲 き 鳥 が 囀 り 戰 死 せ り
      人 多 く 死 に た る 丘 の 風 と 鳥 
      鶏 頭 の や う な 手 を あ げ 死 ん で ゆ け り



      は,昭和二十六年再版の 『天の狼』抄,におさめられる
      「東洋の雲」の句。
      戰時下發行の十六年初版には當然のことながら収められえなかっただろう。
      屍を喙む鳥。この句によってもそれと察せられるが死の覺悟はあったであろう
      赤黄男の,風の丘とは。
      所謂荘子の丘, “吾は天地をもって棺槨(ひつぎ)と爲す”,

      “在上爲烏鳶食,在下爲螻蟻食”『荘子』《雑篇・列禦寇》

      であるはずだ。
      而して,赤黄男は生きのびた,
      風の鳴る阜のうえで鳥たちに啄ばまれず蟻にも毀壊されず。

      吾 は な ほ 生 き て あ り 山 河 目 に う る む

      この「武漢つひに陥つ」中の句が眼をひく。
      ああ,生き殘った,という,いのちの實感がつたわってくる。
      と同時に,わたしは沈みこみ,陰鬱に考えこんでしまう。
      憂憂の氣分をぬぐえないのは,このごろの世の空氣,のせいである。

      この山河は,赤黄男の山河は,日本の故郷の山河なのか,中國の
      山河なのか?
      そんな,疑問をさし挟む餘地が,あるだろうか?
      ないね

      戰地に立って。眼にうるむ
      かの地もこの地もおなじ山河である。それをことさら言い立てるのは
      偏執,狭隘ではないか?
      しかし,それが今のナショナリズムなんだとも,おもう。

      コッカシュギ。つまりは ただの“群れ”だ。
      集團の,國家の,チカラを過信し,國益という美名に
      盲從するかのごときヒトビトにとっては,すべて山河は定規をあてれば,
      線を引っぱり色づけできるもの,となんだろう。

      國を護る,故郷をまもる,といって懲らしめにわざわざでかけるバカものだ。

      畑を踏み荒らす軍靴をむかえなければならなかった,
      かの地の・・・・銃前だ,黑土も,
      軍隊を送り出し銃後をまもる,畑の黒土も,いささかも變わらないはずなのに。

      加害なのか自虐なのかをいまだ,口角泡を飛ばして論じ合わなければならない
      現實に,こういう詩歌はもちろん必要ないのだろうとおもうが。

      日本では故里では,鋤をもち鍬をいれて,農民として土と共に生きてきた
      兵隊は,
         好く耕された黒土を踏みにじって進軍するのが,はじめは
         なによりもつらかった。 けれどもしまいに慣れっこになった,
         ―― それが戰爭というものだ


      と述懐する。
      こうした大地の啾啾,哭哭,をみまもりつづけた中國の山河であったのだ。

      八 年 艱 苦 的 抗 戰   Bā nián jiānku de kàngzhàn,
      同 胞 受 苦,河 山 待 復  Tóngbāo shòuku, héshān dài fù

     
      という美しい歌もある。私は日本に生まれ,日本の大地を愛してもいるのだが, 
      かの邦の黄色い大地も愛している。

      虚心に耳をすましておらねば,遠い雷鳴も歌聲も聞こえない。何も聞こえない。
      ましてやみずから耳を塞いでしまうことへの,聞きたくない言葉に耳を塞がせる
      ものへの,恐怖感。おしまいには何も喋れなくなるのだろうか。

      再版の『天の狼』におさめられたる,もっとも痛烈な反戦のうたはなにか,
      といえばわたしはこれだと思う。―― 聾,の意は本義の愚昧のことではないか,
      すなわち被騙の戰爭ではないだろうか。

        戰 聾 の 雨 だ れ を き か ん と は す る か



      追記;
      確證があるわけでもなし,あまり知られてないような,しかし知れば非常
      に説得力がある,カンタンに納得できえようか,という場合以外は,
      わたしが考えすぎたことの道筋までは書かなくてもいい,といつも思って
      しまうのだがあまりにも無頓着な書き方にすぎると反省した。
      少少のつけたしを。

      戰聾の 雨だれを きかんとはするか

      この句を自分なりに解釋するに,“きかんとはする,雨だれ” とは,なになの
      かを考えに考えた。

      なぜかというと,戰聾者(これは戰によって聾,もしくは聾啞者となったもの
      の意味ととるが)が聞かんとはする,のはなにか,たんに雨だれる音のこと
      なのだろうか,と。
      氣になってしょうがなかったからである。
      そして,いまだはっきりしない。
      しかし,「雨垂穿石」 の雨だれではないか,という想念
      から,結局のところ,離れられなくなってしまったのである。
      つまり・・・・戰爭の苦しみ,一滴一滴の雨しずくにも似た兵隊の命のしたたり
      その永きにわたるむなしい時間・・・・。

      そこではじめて戰聾とはなにか,を吟味しなおした。
      兵士のことだろうか。
      いや耳を塞ぎたくなる,虚心に耳をすましておらねば,遠い雷鳴も歌聲も
      聞こえないが,聞こうとしなかったひとびとのことだろうか,と。

       聾を調べなおせば“聾”の本義とは,無聞,事理不明。
       聾の時代,この事態。
       すなわち, の時代,である。
       おしだまってしまうことである。
       瘖は 喑,啞,のことでもある

      そこから,愚昧の戰爭,という結論にいたったさいには “一足飛び” だったが
      そこに辿り着く囘り道の永さゆえに,そこまで書くべきだろうか,と
      ためらっていた。
      しかし
      戰爭の起こしやすさと終わらせ難さ,とは,この,“瘖”,である,“聾” である
      ことによる,という確信は今はゆるぎないものになっている,
      だから

      再版の『天の狼』におさめられたる,もっとも痛烈な反戦のうたはなにか,
      といえば。
      ―― 聾,の意は本義の愚昧のことである,すなわち被騙の戰爭である。

      と言い換えたくなり。
      ・
      ・
      ・
      ・
      と書いた,この追記からも一年半がたち瘖聾はますますふえ
      聲はきこえず聲を立てず。
      靜まりかえった“國”
      今やますます黑沈沈, 酣睡“國” ,萬人齊瘖究可哀~

    テーマ: - ジャンル:小説・文学

    富澤赤黄男 『天の狼』―《蒼い弾痕》より 華中戰線從軍句 

    秋は ほそみち まむかうに 日の沒つる徑  
                     ―― 天 の 狼 


     以前,富澤赤黄男の中國戰線に從軍した際詠まれた,いくつかの句を載せた。
     赤黄男は多くの詩を昭和十年(1935)一月に創刊された『旗艦』に發表しているが,
     以降発表された句のうち,37年応召して華中を轉戰する間に詠まれた從軍句
     の數數。それらは『天の狼』に所収されるが,從軍句にかぎれば量的にたくさん
     ではない。
      深い意圖はないが,あまり有名でない俳人であるのと,したがってあまり言及
      されることがないだろうと勝手に思っているからここにあげる。

      わたしがこのブログにのせてきている漢詩は,日本で愛好される “漢詩” の
      主流をなすものでない。しかし時代を區切ってこまかくみていけば,たしかに
      時代時代の主流に挿棹するもの,であり,いや,すくなくとも“渦中”,のもの
      であることはまちがいない。古詩が日本でそれほど,唐詩ほど知られてない,
      というだけである。
      富澤赤黄男の俳句が現代俳句,前衛俳句のどの
      あたりをどう挿棹したか,ということは俳句を詳しく知らないわたしにはわから
      ないが,今,深深と大河の底につきささり,“かわ”をゆけば,必ず眼にする
      事蹟であろうことは間違いない。
     
      從軍の前後を簡譜によってみれば・・・・

    昭和十二年(1937年) 
      五月  (五日) 第三回後備役演習召集を受けて,香川県善通寺へ応召
      五月  (十二日) 病氣のため召集解除。
      六月 自選句集『斷崖』(稿本)をまとめる。
      九月  (十二日) 日中戦争の動員令が下る。香川県善通寺へ入隊。
      十一月  華中を轉戰。
    昭和十三年(38年)
      四月 潤子(長女)が小學校へ入學,
      十一月  『旗艦』年刊句集『艦橋』刊行,四十二句を寄せる
    昭和十四年(39年)
      十月   『俳句研究』の「新鋭十六人集」に作品《蒼い彈痕》を寄稿
    昭和十五年(40年)
          (マラリヤで中支野戰病院へ入院。ついで小倉陸軍病院へ歸還,
           ただちに善通寺の病院に 転送された。このとき中尉に昇進)
      二月 日野草城が『旗艦』の指導的立場を去り俳壇をしりぞ
      二月  (十四日) 平畑靜塔,井上白文地,仁智榮坊ら『京大俳句』の關係者が檢舉
      五月 召集解除   
      五月  (十三日) 三谷昭,渡邊白泉,石橋辰之助らが檢舉される
      六月 單身上京,句集『風昏集』刊行を計畫したが實現せず
      七月 日本油肥販賣(株)に入社
          『旗艦』作品欄「檣頭集」審査員となる。
      八月 家族が上京,四谷箪笥町に住む,西東三鬼が檢舉される
      九月 『俳句研究』に作品《陽炎》を發表
    昭和十六年(41年)
      一月 『旗艦』の作品欄「旗艦作品」の共同審査員,「旗艦賞」選考委員となる。
      五月 大阪府俳誌協會結成に伴い『旗艦』は改名され他三誌を加えて『琥珀』となる
      八月 句集『天の狼』(旗艦發行所)刊。
      九月 再度の動員令,善通寺第三十七部隊入隊
    昭和十七年(42年)
      一月  『琥珀』に《朱欒日記Ⅰ》を執筆

    昭和十九年(44年)
      三月 動員解除 東京四谷箪笥町に歸る




      天 の 狼   ―― 《蒼 い 彈 痕》 の章より

     ラ ン プ   ― 潤子よお父さんは小さい支那のランプを拾ったよ―

       落 日 に 支 那 の ラ ン プ の ホ ヤ を 拭 く
       や が て ランプ に 戰 場 の ふ か い 闇 が く る ぞ
       燈 は ち さ し 生 き て ゐ る  わ が 影 は ふ と し
       靴 音 が コ ツ リ コ ツ リ と あ る ラ ン プ 
       銃 声 が ポ ツ ン ポ ツ ン と あ る ラ ン プ
       燈 を と も し 潤 子 の や う な 小 さ い ラ ン プ
       こ の ラ ン プ 小 さ け れ ど も の を 想 は す よ 
       藁 に 醒 め ち さ き つ め た き ラ ン プ な り



      ここで書かれたランプ。
      わたしは,沈從文が,屋根裏部屋に燈した孤獨の 『ランプ』 を, また,
      なぜか 巴金の 『寒夜』 を想起した。
      「やがてランプに戰場のふかい闇がくるぞ」 と,おそらく燈をともされない
      ランプに語りかける赤黄男の孤獨。
      しかし「このランプ小さけれどものを想はすよ」と,燈火の靜けさをいとおしむ。
      マッチ賣りの少女が夢見るかのクリスマスの家族の圍む夕餐の卓,その上
      にやわらかくはなつ光の暖かさをもおもえば,それゆえよけいに哀しげに
      美しい。
      うっそりとして,のち思う。
      赤黄男の「ある民族」からつづく「ランプ」,のリリシズムが
      異常に重く深く感じられるのは,これまでに讀んできた五四文學特有の,
      人民蒼生への目線の,素樸な “あたたかみ” を知るからである。
      しかし,その民族の,五四文學の “素の姿” の表裏には,兒戯にもひとし
      かった,20年代の “中國の近代化” がある。
      同時に我我の日本が明治維新の一歩を先んじてたゆえの優越感,侮蔑
      の心をもって,中國という 歐米からコヅかれ,苛めぬかれ,東亞の病得る
      滅びかけた大國に,牙をむけた動機,氣質體質とはいったいなんだったの
      だろうかと,沈沈と,鬱鬱と考えつづけてきた。
      日本人の燐寸賣りを蔑すむかのごとき心だったのか。



     蒼 い 彈 痕

       戞 戞 と ゆ き   戞 戞 と  征 く ば か り
       秋 風 の ま ん な か に あ る 蒼 い 彈 痕
       斷 雲 よ  ち に あ る は  十 五 糎 榴 彈 砲
       秋 ふ か く 飯 盒 を カ ラ カ ラ と 鳴 ら し 喰ふ
       ま つ か う に  雲 耀 か せ  強 行 渡 河
       鱗 雲     流 れ 彈 き て    流 れ た り
       雨 あ か く ぬ れ て ゐ る の は 手 榴 弾
       繃 帶 の 血 の に じ む 夜 の 鴈 鳴 き わ た る
       滾 滾 と 水 湧 き あ つ き わ が い の ち
       塹 壕 の  腹 が ま つ か に  う ね る 雨
       蒼 天 の  キ ン キ ン と な る 釘 を う つ
       寒 月 の わ れ ふ と こ ろ に 遺 書 も な し

     
    空 中 戰

       湖 は    し ん し ん と あ る    空 中 戰
       向 日 葵 の  貌 ら ん ら ん と   空 中 戰
       罌 粟 の 花  う つ う つ と あ る  空 中 戰



    あの時代にあって,仕方なかった。
    日本も時代に翻弄された。
    そのようなつぶやきで思考停止しているかのような加害國。
    行って歸ってきて忘れる國。  一方で今でも同じ山河天地に生きている國。
    兵隊たちは忘れられていても。
    傷をおうて生きていたはずである。
    大地を冒瀆した悲しみを内に抱えている。
    わざわざ出かけて行って,行うた,爲したのである。
    侵入し劫略したのである。
    外から新しくやってきたものどもが侵犯,入寇し,
    内にもとよりたたずんでいたものが抵禦,抗拒した。
    この立場關係はどうあっても絶對變えられない。
    飜翻できようはずもない。

    そして
    “銃後”
    の日本内地。
    しかし
    “銃前”
    銃口にさらされつづけた戰地。中國。大陸。



     武 漢 つ ひ に 陥 つ

       眼 底 に 塹 壕 匍 へ り 赤 く 匍 へ り
       耳 底 に  紅 い  機 銃 を   一 つ 秘 む
       網 膜 に  は り つ い て ゐ る 泥 濘 な り  
       胸 底 に  灰 色 の 砲 車   く つ が へ る
       め つ む れ ば 虚 空 を  黑 き 馬 を ど る   
       掌 が   白 い 武 漢 の    地 圖 と な る
       吾 は な ほ  生 き て あ り  山 河 目 に う る む


     木 の 實

       砲 音 の 輪 の 中 に ふ る 木 の 實 な り
       赫 土 は 彈 子 と 木 の 實 と こ ろ が せ り
       茫 茫 と 馬 哭 き け れ ば ふ る 木 の 實



     

      富澤赤黄男の句中,さりげなくつかわれる “漢語” には,
      赤黄男に蓄積された “漢詩” の深さが語られている。
      古詩好きならば,なおよく解かるはずだ。



     枯 野

       梅 干 の 紅 が  眼 に し む  枯 野 な り
       梅 干 は  酸 ゆ く  流 彈  こ そ ば ゆ し
       流 彈 に 噛 ん で 吐 き 出 す 梅 の た ね


     あ る 地 形

       困 憊 の  日 輪 (ひ) を こ ろ が し てゐ る 傾 斜
       蒼 茫 と   風 の 彼 方 に   雲 あ つ ま り
       幻 の    砲 車 を 曳 い て    馬 は 斃 れ
       彷 徨 へ る   馬  郷 愁 と な り て   消 ぬ
       一 木 の   淒 絶 の 木 に   月 あ が る や
       眼 を 貫 く は し ろ が ね の す す き の 穂


     不 發 地 雷

       戰 鬪 は  か く ま で 地 (つ ち) の つ め た さ よ
       戰 鬪 は   わ が ま へ を ゆ く   蝶 の ま ぶ し さ
       一 輪 の  き ら り と 花 が   光 る 突 撃
       雲 な が れ  雲 が な が れ る  不 發 地 雷
       め つ む れ ば   祖 國 は 蒼 き  海 の 上


     東 洋 の 雲

       息 つ け ば 東 洋 の 雲 と い へ る が 飛 び
       風    錯 落 錯 落 と し て     焚 火 か な
       焚 き 火 し て  あ る と き  蒼 い 海 と な る
       蛇 よ ぎ る 戰 (い く さ) に あ れ し わ が ま な こ
       沛 然 と あ め ふ れ ば 地 に 鐡 甲 (て つ か ぶ と)
       彈 彈 を   擔 う   激 怒 の   雲 炎 (あ か) 
       地 雷 ま ろ ま ろ ほ り お こ し た る 雲 の 冷 た さ
       兵 燹 (せ ん) を み る あ め つ ち に わ れ は ひ と り
       草 の 香 よ  愛 欲 と  へ だ た れ る か な



    ランプ,いやともしびすら,めずらしかった大陸の農村の
    まずしさがある。
    深い闇にとざされて,なお,息を潜め,體制の苛斂誅求と,自國の軍隊,
    他國の軍隊に,崩壊寸前の家を畑を踏みにじられる。
    日本人の軍靴がわがモノ顔に闊歩する。
    陵辱や,劫略のことは・・・・いま,書いては詮なきに陥る。
    しかし。

    それを行うた手足,それは悲しきことに兵隊なのだから。

    しかし。
    虎威狼心の上官たちではない。それを書けば赤黄男を糺すことにもなる。
    ただ幾重にも凄愴となるだけだ。

    しかし。

    赤黄男の從軍句《蒼い弾痕》の前の章に《阿呆の大地》がある。
    その《阿呆の大地》のなかに「ある民族
    」と題された一連の句がある。
           「ある民族」富澤赤黄男② 吾以天地爲棺槨

    これがあるからわたしは救われる。兵隊の悲惨以外に詠うものがなかった
    ら・・・・,もし,赤黄男に中國の民を詠ったものがなければ・・・・,
    赤黄男の從軍句,そのなかにはわたしがもっとも好きな赤黄男の一句も
    あるのだが,その佳き句は損なわれただろう,その光耀は翳っただろう。
    (文學のとらえかたとしてマトモでないことは百も承知であるが,)つまり,
    一句の花は,咲き誇ることもなくしおれてしまったろう,わたしにとっては。
    そんなことがゆえに兵燹と鬼啾を詠む句の前に置かれた
    「ある民族」,のたたづまいには異常に重い關心を寄せてしまう。




     江 岸 要 塞 圖

      魚 光 り  老 文 明 は 冲 積 せ り
      囘 想 は 鶴 要 塞 を か が や き 翔 び
      執 着 の 砲 座 は 晝 の 月 を の こ し
      陽 炎 の 砲 身 迂 愚 の  裸 と な る 
      要 塞 と 烟 と 瓜 の  蔓 か ら ま り
      江 光  り  艦  現 實 を 溯 る

     寒 山 寺
      鐘 つ け ば  春 雨 の 音  鐘 の 音
      壁 く ら く 「月 落 」 の 詩 に つ き あ た る
      石 刷 り の   墨 の 匂 の あ ま き 雨
      雨 ほ そ く 魚 板 の 魚 は 瞳 を つ む る


                 以上『天の狼』 昭和十六年 (初版所載)


         轉戰中蘇州市楓橋鎮に至り,ということだ・・・・




    天の狼 (昭和二十六年再版・天の狼刊行會)より



     い く さ の は て

      に ぎ り 拳 が 白 い 髑 髏 ( し や れ か う べ )と は な り
      わ が 疲 勞 く ろ い す す き が む ら が り 起 ち


     東 洋 の 雲

      人 多 く  死 に た る  丘 の 風 と 鳥 
      戰 聾 の 雨 だ れ を  き か ん と は す る か 
      鶏 頭 の や う な 手 を あ げ 死 ん で ゆ け り


     不 發 地 雷

      花 が 咲 き 鳥 が 囀 り 戰 死 せ り
      泥 濘 の 昏 迷 を 匍 う 毛 蟲 と な り 




    兵燹に,焚きつけられ炙られる中國の民草の塗炭,銃火のかたわら
    蒼茫の屍を積み上げてゆく農村。いやおうもなく,やってくる兵隊,
    日本がもたらす兵亂になすすべもなき農村。一方,大陸の,大地に屍
    をさらし,故郷から遠く離れた地に塵土となり尸骨を鳴らす日本の兵士。

    こうした日中戰爭の真實のすがた,をどう考える?
    中國,日本の侵略の果ての殘潰の,燼灰の山河大地を知れば・・・・,
    やられ放題だった彼らの一九二十年代から三十年代初頭・・・・。

    なすすべなくたちすくむばかりだった彼ら中國の民の當時の無氣力を
    知り,想像すれば,そしてその後の彼らの激しいレジスタンス,徹底した
    抗戰,餓えても拷問されても慘殺されても抵抗した,彼らの民族の魂を
    思いはかれば,日本は“自存自衛”の闘いでやむをえなかった,侵略
    ではなかったなどと言い放つやからは,まともな感性を持っているとは
    とてもおもえない。

    いったいどういうことなんだろうか。
    ・・・・
    それらの醜い類いが日本の政治,經世濟民を,
    輕輕しくも,背負うているとは・・・・

    富澤赤黄男 『天の狼』 中島敦と新興俳句のこと 

     幻の砲車を曳いて馬は斃れ
                  ――富澤赤黄男


                    中島敦と+“峭刻”からの續きです

    一日かけてしまった前置きが長かったが,ここから本題。
    中島敦富澤赤黄男をセットで論じた文章,というものがある。
    塚本邦雄が書いた 「天涯の狼」 という短文である。
    以下,その冒頭よりおよそ半分くらいまでを引用する。

     「天涯の狼」 塚本邦雄

     句集『天の狼』の巻頭には虎が現れる。枯木立の中に孤獨に眼を輝かす虎,續いて冬陽炎を身に纏つて呆然たる虎。次に枯蔓に眼を凝らす豹,これらの悲しみを湛えた猛獸は,おのづから作者赤黄男の自畫像となって讀者の心中にありありと顕つて來る。

       爛 爛 と 虎 の 眼 に 降 る 落 葉
       凝 然 と 豹 の 眼 に 枯 れ し 蔓
       冬 日 呆 虎 陽 炎 の 虎 と な る

     これらは俳誌『旗艦』昭和十六年三月號であるが初出であるが,これに
    先立って前年春には 

       豹 の 檻 一 滴 の 水 天 に な し   
    が,秋には
       日 に 吼 ゆ る 鮮 烈 の 口 あ け て 虎

    が作られ,句集には第二章に含まれる。
     これら一片耿耿の志を秘めあるいは囚われあるいは世に背いて,何かを凝視
    してゐる虎,すなわち詩人の姿は,痛切でありまたまことに象徴的である。
    『天の狼』 なる第一章の標題即句集題も,當然,孤影を天にきらめかすシリウス
    であるとともに赤黄男の詩魂そのものであった。

     そのかみ昭和十年の『旗艦』

       老 獸 は 極 北 の 夜 を さ め て 哭 け り

    と記したがこの悲しい獸は,戰爭の深刻化と共にふたたび蘇つて,作品中に出
    沒することになる。

     眞の詩歌人は,虎豹に變身することによってのみ,心の深奥を訴へざるを得ぬ
    時節が來てゐた。齡,不惑に近づかうとする壯年のただ中ながら,思ひ及ぶところは既に隈もなく硝煙の臭ひが立ちこめ,詩歌の虎は檻の中に呻吟するか,
    戰野に驅り立てられるか,いづれかを選ばねばならなかつた。中島敦李景亮《人虎傳》に典據して『山月記』を草したのが,「爛爛と」等の翌十七年春,三十三歳であったのも,不思議な因縁であった。敦はその翌年他界した。

      鮮麗にして悲愴な作品群,優雅な陰翳と苦い諷刺をひそませた作品群,殊に『天の狼』 の中のそれは,新興俳句の到達した,俳諧詞華の極致と評してよからう。 三鬼*の機知と幻想,茅舎*の耽美述志,これらをあわせたかの句境が赤黄男にはある。句例は枚舉に遑もない。だが,きらめく句群を列記しつつその彼方に浮ぶのは,檻の中で昏い瞳を瞠る一頭の虎の姿である。かつまた,すべてこの虎の變身,變貌の證に他ならぬ。

                                   ―――以下略
      *茅舎=川端茅舎のこと。別號,遊牧の民・俵屋春光。
      *三鬼=西東三鬼
       


    幻の砲車を曳いて馬は斃れ

       ―― 赤黄男は一九三七年九月,召集される。
                陸軍,所謂 輜重隊,工兵 少尉になる。
    ――


    もうすぐ七七事變の日である。大隊長一木直清,連隊長牟田口廉也といった
    軍人ひきいる歩兵第一連隊と宋哲元の第二十九軍によるいわゆる “日華事變”の勃發の端緒。
    このあと八年に渉る,中國からすればレジスタンス,日本からすれば匪賊討伐の戰いである。
    のちに,おおくの无辜の兵隊の命をうしなわしめた,死屍壘壘のインパール作戰を強行した,あの牟田口廉也である。これは盧溝橋を引き起こした責任感,その認真誠實のために遂行せざるを得なかったという連鎖連累してしまう歴史,その因果,でもある,とはわたしもおもう。

    戰爭には一方向からの切り口では絶對わからない複雑な因果がある。

    しかしながら「白骨街道」を現出せしめた,當人は日本に歸國を果たし,兵士の多くは死んだという事實だけは厳然としてある。どちらの史観にたつにせよ,惨憺たる兵卒のありさまである。机上の空論,神がかった精神主義の見本のようにいわれるインパール作戰,戰病死ふくめほとんどが餓死,その數五萬とも六萬ともいう。

      
    一般的に戰爭末期のこととして語られる補給線の破綻。しかし,日華の爭いの端緒から,補給などは,いきあたりばったりにちかかったのである。そのしわ寄せと,矛盾はすべて前線の兵士のにかかってくる。
    或いは貧しい中國の農民である。
    何故こんなことを書くかというと,書かなきゃ,なかなかに傳えきれないだろう,
    といううた,があり,それを書きたいからである。
    つまり戰爭が重石のようになって壓死寸前,轢死寸前という中で書かれた詩,
    それ抜きには到底語りきれないもの。

    赤黄男は中國中部を轉戰,一兵卒として數數の從軍俳句の傑作を詠むことになる。
    そして,傷病を得て一九四一年に一旦帰還する。
     
    じつはこの歸國があったことで,結果的に現在のわたしたちに數數の傑作を殘してくれた。
    そうでなければ,陽の目をみることは,あるいはなかったかもしれぬ中國轉戰中の從軍句である。
    時代は完全に真っ黒け,ファシズム體制下にある。精神の自由を訴えることは死を意味する時代。歐州でもどこでも同じような文人の悲劇はおこった。

    當時,日本國内では治安維持法によって,主要な俳句同人が,つぎつぎに
    検舉されていった。幾人かの悲惨な末路は推してしるべし,『旗艦』 主催者 の
    日野草城 も引退を余儀なくさせられ進退窮まっていた。

    そのさなかの一九四一年九月,赤黄男の句集 『天の狼』 は,『旗艦』発行所によって刊行されたのである。句集と同じくらい,覺悟をもって,いや拘束や拷問死の危險が,現實に在るなかでは,より以上に尊い神魂かもしれない刊行者に
    よって世にだされ,どれほどの悲壯感によって世にうけいれられたことか。

      困 憊 の 日 輪(ひ) を こ ろ が し て ゐ る 傾 斜

    その『天の狼』に収められる,中國轉戰中の赤黄男の句。
    なかでも,輜重隊と與もに在るときよんだであろう,句のいくつか。
    いやもおうもなく戰爭の淒慘を感じさせられる。
    過酷な從軍行と,それを阻む長城に象徴される地域。長城以北は朔陲などと
    いわれ峭しい峻嶮の中國大陸,かつて漢代には,對匈奴戰のための邊塞が
    おかれた,山西省北部から山海關にかけては延延と,蜿蜒とつづく荒野である。
    そのとき,おおきなおおきな黄色い大地の彼方に轉げるように沈みゆく,炎と
    みまごうような夕陽だろうか・・・・。そしてまっ黑い夜の,闇,闇黑。

    “太行八陘”羊腸坂太行山脈の嶮しさは,魏武帝曹操の樂府《苦寒行》や又
    《飮馬長城窟行》など數數の從軍行によっても古來より日本につたえられてきている。

     行き行きて日すでに遠し,人馬時を同じうして饑う。 

    北上太行山,艱哉何巍巍! 羊腸阪詰屈,車輪為之摧・・・ 
    艱なり哉何ぞ巍巍たり,羊腸坂詰屈し,車輪,これが爲に摧かれる
                    ―― 魏武曹操《苦寒行》


    河北省北西部から南西走して山西省南部にいたる山岳地帶である。
    西暦二百年の三國志の當時もおなじ,昭和の中國戰線でも,大日本帝國陸軍
    の軍需物資武器彈藥のすべてを運んでいたのは 馬 であった。
    日中戰爭初期からつねに,兵卒を苦しめた輜重隊の進行の艱難困苦,補給線
    の破綻。


      彈 彈 を 擔 う 激 怒 の 雲 炎(あか)く    「ある地形」
      陽 炎 の 砲 身 迂 愚 の 裸 と な る    「江岸要塞圖」
      執 着 の 砲 座 は 晝 の 月 を の こ し       「同」

                         『天の狼』 昭和十六年初版所載)

      泥 濘 の 昏 迷 を 匍 う 毛 蟲 と な り       「不発地雷」
      に ぎ り 拳 が 白 い 髑 髏(しやれかうべ) と は な り  「いくさのはて」
      鶏 頭 の や う な 手 を あ げ 死 ん で ゆ け り  「東洋の雲」

                         『天の狼』抄  昭和二十六年 再版所載)


    そして赤黄男は一工兵輜重兵として,輜重隊の軍馬の死をうたったのだ。
    それがこの頁の冒頭かかげた句である。
       ――― 幻の砲車を曳いて馬は斃れ ―――
    武器弾薬,大砲から,野營のための物資から,すべて馬が背負っていた。
    それでも機動性を要求される。
    泥にはまる,足を折る,飢餓が迫ればたべられる馬。
    日本から重用された軍用馬は一頭とて日本に歸ることはなかった。

    ところで,もしも馬が死んだら
    つぎは,兵士の肩が運ぶのである。
    ゆえの“幻”,ということなのだろう。

    富澤赤黄男  『蛇の笛』より 《風景畫》 《烙印》  抄

     秋風裡 われしろがねの刃 を 投げむ


      去年,日中戰爭の從軍句を中心に句集『天の狼』をから,
      いくばくかを載せた。
      今回は,昭和二十七年(1952年)十二月に刊行された句集『蛇の笛』
      から。
      最愛の俳人,富澤赤黄男,
      “神” と,“天空”,とに,こだわって(わたしがかつてに)

       黑牛(黑い四つ肢) と,黑い蝶(黑い翅翼)
       くりかえし詠みこまれる 
       冬の枯れ木,鶴。その,竦立,孤獨。

       弩につがえる矢。
       弧弦撥る。放たれて,“射す”ことば,刺さる
       天空には,嚴としてある弧。


      蛇 の 笛   

                 風 景 畫

      石 版 畫

      雲 ひ そ と  う ご か ね ば  蛇 木 を の ぼ る

      杉 枯 れ て 枯 れ て 白- くも さ す 悲 願 か な


      木 版 畫

      鶴 な い て 冬- てん を 支 ふ る も の の な し
       冬 日 落 つ   冬 日 の 中 の   鶴 の 貌

      積 亂 雲  し ん し ん と と ぶ  狙- そや 一 つ


      銅 版 畫

      夕 燒  け の  犬  よ 左 を 右 を ゆ く

      湖 うみ こ ゆ る  蝶 白 け れ ば 湖 に 消
      海 蝶 の  ふ た つ あ は れ や  白 と 白

      稲 妻 の い つ ぴ き の 蝶 お し な が さ れ

      地 平 線  空 閒 に あ り  人 な に を 祈 る
      神 怒 り   神 怒 り    ひ と 消 え ゆ け り



                  蛇 の 笛
      天 の 傷
        
      牡 丹 雪  茫 失 の 面 ま た た き せ ず

      寒 燈 や   慄 然 と し て  佛 の 手
      咳 しはぶ け ば  枯 木 の 天 も  咳 け り


      啞 蝉

      夏 の 蝶   大 洋 う ね り   や ま ざ り き
      背 後 うしろ よ り  黑 き 蝶 く る  疲 勞 か な  
      啞 蝉 や  さ れ ば 無 音 の  地 の 乾 き
      粗 壁 に  月 の し み 入 る 韻 と お も ふ

      鴉 は 鳴 か ず こ こ ろ に さ さ る 棘 く ろ く

      い つ ぽ ん の 枯 れ 木 が そ れ に 應 へ け り


      氷 の 木
     
      頭 蓋 の く ら や み 手 に 寒 燈 を ぶ ら さ げ て
     
      雪 の 鴉 の  真 紅 な 舌 に   あ ざ け ら れ
      木 枯   木 枯   ひ ら ひ ら と 侏 儒 の 手 

      氷 の 木   氷 の 木   立 ち 去 り ゆ け り
      寒 夜 ひ し ひ し 円 周 の 中 に 踞 し
      枯 れ 木 に 陽 わ た し は 現 に こ こ に 居 る


      侏 儒 の 太 鼓  

      伐 ら る べ き 巨 木 一 期 の 沒 日 に 炎 え よ

      い つ ぽ ん の 枯 れ 木 へ ひ ら く 巨 き な 掌  ほ と け

      鶴 凍 て ぬ  透 き と ほ る ま で 凍 て て あ れ
      か の 眼 は    半 眼  虚 空     鶴 渡 る
      人    穴 を 掘 れ ば 寒 月 穴 の 上
      躓 つまづ け ば   枯 れ 木 が 天 を 叩 き け り
     
      黒 き 犬 が う づ く ま る 黄 昏 の 喪 章
     
      虹 消 え て や が て ひ ろ ご る 黑 色 半 圓

      

                   烙 印

      天 の 斧

      斷 絶 や     荒 涼 と し て 斧 は 天

      蛾 の 靑 さ    わ た し は 眠 ら ね ば な ら ぬ

      音 癡をふり 雨だれ ひとつ ふたつ と かぞへ

      啞 蝉 は   啞 の ま ま な る  積 亂 雲

      ひ と の 瞳の 中 の 蟻 蟻 蟻 蟻 蟻
      蟻 の 列     わ た し は 急 が ね ば な ら ぬ



      亀 裂

      い つ ぽ ん の 枯 れ 木 に 支 え ら れ し   天
      天 才  は 現 れ ず       無 音 の 冬 の 虹
      萬 紅 に  身 を 投 げ 入 れ て  消 ぬ べ し や

      切 り 株 の  か な し き ま で の 孤 獨 の 光 り

      黑 び か る    冬 の 亀 裂 の    渡 り 鳥
      肉 體 や   弧 を 畫 い て と ぶ   黑 い 蝶

      末 枯 うらが れゆけば 黑 い墓標に 凝 視みつめ られ
         
      曇 日 の   し ろ い 切 り 株 ば か り と 思 へ


      手の影

      地 平 線  手 を あ げ て   手 の 影 は な し
      實 感 は 痩 せ 犬 に 脚 な め ら れ る
      寒 い 月    あ あ 貌 が な い   貌 が な い 

      牡 丹 雪   牡 丹 雪    く ろ き 牛 の 頭 蓋

      寒 月 の    肉 に 喰 い 込 む   く ろ き 爪
      わ が い の ち 炎ほむ 立 つ 夜 の 木 枯 の 音

      

                 酔 ひ ど れ 雲

      泥の歳月

      泥 沼 の  泥 の 歳 月     渡 り 鳥
      
      鳥 の ゐ る 枯 木  と  鳥 の ゐ ぬ  枯 木
      牡 丹 雪 人閒 ひと の 貌 こ そ か な し け れ

      人 閒 は お も き 手 を 垂 れ 罭 ある は空 クウ
      木 枯 の ひ と つ の 星 を 疑 は ず


      木の瘤

      人 の 死 へ  き ら り き ら り と 光 る  露
     
      落 日 の   く ろ い ミ イ ラ の た ち な ら び

      黑 牛 の   金 剛 力 の   舌 く ろ く
      赤 蟻 や   傾 く 墓 標 地 に 伏 す 墓 石

    詩餘 句裂 偈

    詩囚

    Author:詩囚

    自作の詩ほか
    五言絶句を中心に四句偈,詩餘
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