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    《宙合》 《窖》 『楞伽阿跋多羅寶經』 

     Je vais dans la nuit  
     
      我某夜成道,  至某夜涅槃
        ――夜に道を成して(悟りを得て),ある夜涅槃にいたる



    『楞伽阿跋多羅寶經』



     我某夜成道     我,某夜に道を成した。
     至某夜涅槃     某,夜,に,涅槃に至る
     於此二中間     此の二の中の間については,
     我都無所説     我はすべてを説くことできぬ
     縁自得法住     縁よりて自得法,本住法
     故我作是説     ゆえ我はこのように説うた
     彼佛及與我     彼の佛(の知),および,佛と我と
     悉無有差別     差別の有ることなど,悉く無し




    『楞伽阿跋多羅寶經』  卷三《一切佛語心品》
       
    大慧復白佛言:
    「如世尊所説:『我從某夜得最正覺,乃至某夜入般涅槃,
    於其中間乃至不説一字,亦不已説,當説,不説是佛説。』」
       
    大慧白佛言:
    「世尊!如來.應供.等正覺,何因説言:『不説是佛説』?」
       
    佛告大慧:
    「我因二法故,作如是説。云何二法?

    謂:縁自得法,及本住法,是名二法。因此二法故,我如是説。
    云何縁自得法
    若彼如來所得,我亦得之,無增無減。
    縁自得法究竟境界,離言説妄想,離字二趣。
    云何本住法
    謂:古先聖道。
    如金銀等性,法界常住,若如來出世,若不出世,法界常住。
    如趣彼成道,譬如士夫行曠野中,見向古城平坦正道,
    即隨入城受如意樂。
    大慧!於意云何,彼士夫作是道及城中種種樂耶?」
       
    答言:「不也。」




    大慧(※),復た,佛に言ひていはく
    「世尊!あなたは夜に道成し、某夜に涅槃に至る,その間のことをなにもいわない,なぜでしょうか?」

    「世尊!如來.應供.等正覺という,なぜあなたはそういってそれ以上何もいわない,それはなぜでしょうか?」

      我は二法によりてこのように説こう
      いわく,
      ひとつ,縁によりて,悟りを得る,
      ふたつ,もともと住まう
    (=本性として具わっている),がゆえ悟りを得る。

      ひとつ縁自得 
      如來が得ているところを,我もまた得たるとも無増無減のごとく。
      縁より得る(ことができる),それは言説の妄想から離れ,
      文字の “二”趣(※)より離れ境界を究竟すること,である。

      ひとつ本住法。
      いわく古くに聖なる道が先んじてある。
      金銀の性等しきがごとく。ある。
      法界は常住す,如來の世に出づるも,もしくは出でざるも。
      法界,常に住まう法界。

      かの成せる道,
      たとえば士夫が
      曠野を行くてに見ゆる古城
    (城の内,都市のことだろう)
      そこに向かう,

      平坦な正しき道をすぐに見ゆ,すぐに城内に到る。

      それは喜びであるか?
      どうおもうか?

     ―― 宋(劉宋) 天竺三藏 求那跋陀羅 (Guṇabhadra) 譯 




    ※ 大慧菩薩摩訶薩=悟りを開こうとする衆生菩提薩埵
    ※ 趣=疾。病

    意譯,我流につき間違いはご指摘ご教示ください



    MaiJiShanBodhisattva.jpg


     合十   héshí

     左右是假名     zuǒ yòu shì jiǎ míng,
     郤亦左亦右     xì yì zuǒ yì yòu,
     自覺左内心     zì jué zuǒ nèi xīni,
     覺他常對偶     jué tā cháng duì'ǒu,
     自佛與他佛     zì fú yǔ tā fú,
     左右別無有     zuǒ yòu bié wú yǒu
     合十示宙空     hé shí shì zhòu kōng,
     在我的兩手     zài wǒ de liǎng shǒu,


           上聲十九有  右偶有手

                   20170921



                 




    自己の光明の在るところ,自“由” 
    これいたしかたなく

    黯處といへども影に過ぎず,
    暗渠といへど間隙に過ぎぬ

    日の光にとき明かされぬ夜はなく
    月の光に曝されぬ夜もない

    光はそこに在る,といふ
    たとへ,
    眼を閉じたとて
    自ら,
    あるかぎり

    その中に

    光吞む中に
    照らし照らされる
    堪えがたいほどの涅白





    のまれてゆく 
    まっくら,

    眼眩み,黑む

    光の芯は黑い窖
    口もまた空
    入りては出ずる孔

    在宥す,いやおうなしに
    己れの在處。



    あかぬ

    往くも歸るも
    とどまるがごとく
    まとわりつくがごとく

    去るが如き來たるが如き

    其中間乃至不説一字


     『楞伽阿跋多羅寶經』巻三
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    テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

    《白晝》 二首

     白晝  Baizhou

     不知我者謂心俠   bùzhī wǒ zhě wèi xīn xiá.
     隻欲脱離惟雜雜    zhī yù tuō lí wéi zhī zá zá
     雙翅自持我何求   Shuāng chì zìchí wǒ hé qiú
     人臥江南無為法   rén wò Jiāng nán,wú wèi fǎ


     翩翩蝴蝶飜離塔   pianpian hudie fanli ta
     春晝不求醒一答   chunzhou shi xian xing yi da
     醉世猜情靑眼生   zuì shì cāi qíng qīng yǎn shēng
     恰夢銷魂中夢合   qia meng xiaohun zhong meng he


       *靑眼=阮嗣宗的       入聲九 俠雜法 塔答(恰)合


      翩翩,蝴蝶,塔よりひらひらひらひら飜り離れゆく 
      春晝の世を嫌い,春晝の世は嫌う,
      嫌猜とは醒にありて一つの答え
      何ぞ靑眼,留まりて戀戀すべきやすべからずや
      あたかも夢,魂,銷えゆく,夢中の夢に合わさるる
      春に莊子,冬に莊子,ねんがらねんじゅう戀戀周周莊周

    夢飲酒者,旦而哭泣,夢哭泣者旦而田猟,方其夢也,不知其夢也. 
    夢之中又占其夢焉,覺而後知其夢也.




    tou-baizhou.jpg

    テーマ:自作詩 - ジャンル:小説・文学

    《浣溪沙》 渉江

    frostlarge.jpg
     
      流  liú 泙  沙
          流          泙          沙 氵尐 
             liú           pēng píng          shā shà


       浣溪沙        “Huànxīshā”

       雨有情流涙瀝土     Yǔ yǒu qíng liú lèi lì tǔ
       天無且順愍無辜     Tiān wú qiě shùn mǐn wú gū
       風濡草梳自生蘇     Fēng rú cǎo shū zì shēng sū

       唱和春泥花辯笑     Chàng hè chū nní huā biàn xiào
       泙沙奇秘水聲初     Píng shā qí mì shuǐ shēng chū
       伶孤稍後渉遲徒     Líng gū shāo hòu shè chí tú


         解題;  遲れるとも  渉江するべし  行道遲遲!


       《浣溪沙》=雙調四十二字,後闋開始兩句有對仗,一韵到底。
                  前三句三平聲韵,後三句兩平韵,
                     

           ●●◯◯●●◎   ◯◯●●●◯◎   ◯◯●●●◯◎ 
           ●●◯◯◯●●   ◯◯●●●◯◎   ◯◯●●●◯◎ 

    hoarfrost.jpg

      洋  yáng  𣺸

              𣺸  yáng  

        水と火の間のヒツジという “ ” の異體字 



       二〇一六年丙(火のえ)申,四月は癸(水のと)巳 今日,十九日は辛(金のと)
       ふと,會話の中で思う。
       若者は,決しておとなしい羊の群れではない。
        
      彬彬有禮, 靑靑子衿。 泙水相逢, 春光韶吟!

    テーマ:自作詩 - ジャンル:小説・文学

    《江南好 南京櫻桃》

    nanjingcherry-fong.jpg


      
     櫻桃白           Yīngtáo bái,
     風雨送駘春        fēngyǔ sòng tái chūn
     泣放縦枝天不薄     qì fàngzòng zhī tiān bù báo,
     濡溶花意散空雲     rú róng huā yì sàn kōng yún
     紅實入酸混        hóng shí rù suān hùn

     
      
     春寒雨           Chūnhán yǔ,
     花不傳靑陽        huā bu chuán qīng yáng
     小果黄鶯愛憐綺     xiǎo guǒ huángyīng àilián qǐ,
     殘枝識土有情降     cán zhī shí tǔ yǒuqíng jiàng
     紅點涙添光        hóng diǎn lèi tiān guāng



       《江南好》の正體は 二十七字,五句。三平韻
       ○○●  ○●●○◎  ●●○○○●●  ○○○●●○◎  ○●●○◎

                                   20160404




       おとといからの雨で,皆散ってしまった我が家の Petit 庭 ユスラ梅,
       櫻桃花。中國原産。 別名 (鶯)桃花

       南京櫻桃
    nanjingcherry-yun.jpg

    先走春坤 

    先走春坤  Xianxing Chunkun 

    蝴蝶泛消浮    Húdié fàn xiāo fú
    左魂右魄奔    zuǒ hún yǔ pò bēn.
    跛老杖先逃    Bǒ lǎo zhàng xiān táo
    午睡光弄痕    wǔshuì guāng nòng hén.

       跛老の杖,逃げる,先行奔馳 

        平聲八  奔昏 
         *坤=西南,女性,坤母(地,火)
      

    haru-tyou.jpg

    《孤月》

     孤月

     月浮熬夜為何空    yuè fú áo yè wèi hé kōng
     教人孤心闇無窮    jiào rén gū xīn àn wú qióng
     黑抉深弧殘淺光    hēi jué shēn gū cán qiǎn guāng
     東方竟白吸消溶    dōng fāng jìng bái xī xiāo róng

                    2016 01 30

    moon1.jpg

      

    テーマ:詩・想 - ジャンル:小説・文学

    《黝布》 近體絶句

    黝布空月牙

     黝布      Yǒu Bù

     結習黝布空   Jié xí yǒu bù kōng
     天容止鈎月   Tiān róng zhǐ gōu yuè.
     月牙肌膚色   Yuèyá jīfū sè
     愛外心内裂   Ài wài xīn nèi liè.

         結習=Jié xí 煩惱
         黝= yǒu 靑黑い黑色
         月牙=yuèyá または月芽。 新月。 眉月


         空天,容止,色愛 

     

    《聽雨聲黯然後天觀》 

      聽雨聲黯然後天觀   Tīng yǔ shēng àn ránhòu tiānguān

     螺鈿空瀝

     天弩黝重敲路鑽   Tiān nǔ yǒu zhòng qiāo lù zuān
     霎霎霈心夜亂   Shà shà pèi xīn jī yè luàn
     群靑恰毀撒螺鈿   Qún qīng qià huǐ sā luótián
     歇雨仰空星漢燦   Xiē yǔ yǎng kōng xīnghàn càn
     
      仄起仄韻式  去聲九 鑽, 亂, 漢燦


      *黯=深黑,漆黑
      *黝=あお黑い。夜空。黑天
      *鑽=うがつ,あなをあける,
      *敧=そばだつ
      *霎霎=シャーシャー。雨音をあらわす擬音語
      *霈=雨がふりつづく。沛然とふる。久しい雨,長雨
      *螺鈿=らでん 象嵌の貝など
      *歇=盡きる。休息,停止,歇雨は雨が上がる

          雨歇み星燦く天,復す。    20130814 


    二首 殘 淺 

    dark.jpg


     壹 
     論消言殘殘愧枉    Lùn xiāo yán cán cán kuì wǎng
     坦衷返蔑既心惘    tǎn zhōng fǎn miè jì xīn wǎng
     離離肺腑敢不追    lí lí fèifǔ gǎn bù zhuī,
     知我端人顏色蒼    zhī wǒ duān rén yánsè cāng



     貮 淺 
     世人皆道憫哀好    shì rén jiē dào mǐn āi hǎo
     不覗我意不想皓    bù sì wǒ yì bù xiǎng hào
     情語深如刔淺心    hèn yǔ shēn rú jué qiǎn xin
     拾言稍知抛言考    shí yán shāo zhī pāo yán kǎo

       2016 0131


    テーマ:詩・想 - ジャンル:小説・文学

    黄仲則(黄景仁) 《冬夜》 

     留取伴明光

    天水

    黄景仁 《冬夜》 空堂夜深冷

            
          留取 Liú qǔ は,猶,留存す。 
          この場合,「取」は,語助詞。
          いぜんとして,月が明光を伴ってなおとどまる。  
          あるいは「留在しやがる」のニュアンスかも知れぬ。
          なおいっそう月の光が皎皎と淒淒と冴えわたる結句。

          空堂に獨り。明光に冷たさしか感じられぬ夜。
          霜は,一掃できても月光は “掃” できがたし。
          いつまでも,いつまでも明るく光かがやきゐる

          そのようなれば,
          冴え冴えと煌めく光に,慯つけられて疼く心,
          凍るような冷たい夜氣のなかのおびえ,おそれをうたうか

          しかし光,本無情。
          “無情”ではなく。 もとより情なし。

          靜寂のなかの天の嚴かさ。白じらしさ
          この光,心の“空” にしみいってくる
          すなおに,いとおしい。
          黄仲則。 孤單奇零の人,句裂れ。

    テーマ:詩・想 - ジャンル:小説・文学

    孟東野(孟郊) 《古怨》  

    MoutouyaGuyuanhua.jpgMoutouyaGuyuan.jpg

      古怨 Gu yuàn

     試妾與君涙  Shi qie yu jun lei  試しに妾と(妾の)君,涙して
     兩處滴池水 Liangchu di chishui 兩(ふたつ)(ところ)池に水,滴らせ

     看取芙蓉花  Kan qu furong huā 取って看るほどの芙蓉花
     今年爲誰死  Jinnian wei shui si 今年は爲誰(どちらの花)が死ぬでしょう
      
      押韻;水,死

    芙蓉花=中國では古にいう荷,ハス,蓮のこと



      これに近いものを考えてみた。
      バルベイ・ドールヴィリー(Jules Barbey d'Aurevilly)の描く烈女操。
      『Les Diaboliques」,の最後の物語・・・・貞女の逆説的な倫常を,
      一篇の復讐譚にしたてた
      《La Vengeance d'une femme》(ある女の復讐), あるいは・・・・。
      Le Bonheur dans le crime(罪の中の幸福)。
      十九世紀フランスの厳格なジャンセン派の家庭に生まれた文人
      であるが,・・・・。
      孟郊の倫理の奇妙な苛烈さをたとえるなら,まさにジャンセニズム
      であることにおもいいたった。
      ジャンセニズム,というのはカトリックの異端ではあるものの,
      絶對の神の恩寵と,
      それ以上に人の,非力,を強調した神學的(つまり信仰的ではない,
      という意味においての)教理の究,ということになる。あらかじめ,
      用意された天地離阻の潰潰を前提とした,押し付けがましいとすら
      いえるほどの神の愛,というキリスト教獨特の論理構成の典型の
      ようなもの。
      いまあらためて感じる・・・・,
      以前戯れにして孟東野
      古樂の異端カルロ・ジェズアルド Carlo Gesualdo にたとえたことが
      あった。

      さらにそこから連想して《聽琴》で
      神の恩寵を受けて
      感謝する孟東野のイメージを書いたが,

      カトリシズムの狂氣,厳格すぎる作爲的倫理。
      暗く美しい暗渠。異端。

    常州郎 江南好

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      江南好       Jiāngnán hǎo


      徽牆白             huī qiáng bái
      秋寂莫涼傍         qiū jìmò liáng páng
      害怕雨濡無不行      Hàipà yǔ rú wú bùxíng
      天藍蒼黛瓦輝芒      tiānlán cāng dài wǎ huī máng
      常少恨情郎         cháng hèn shǎo qíng láng


          (三平聲三韻 單調)  平聲十七陽
                    20151019

    hunsyoumengjiangnan4.jpg

    夢回江南


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      江南燕              Jiāngnán yàn
      居慘離華年          jū cán lí huá nián
      它夢回情歸此處     tā mèng huí qíng guī cǐ chù
      清爽雖捨愛詩箋     qīngshuǎng suī shě ài shī jiān
      高得志吟天          gāo dézhì yín tiān


       燕=鳥名は去聲  國名は平聲     (三平聲三韻 單調)  

          平聲十一先  20151023


    春去也


      春去也            Chūn qù yě

      梅一劫              méi yī jié
      垂死抵風吹         chuísǐ dǐ fēngchuī
      鐵意炎紅香傲雪     tiě yì yán hóng xiāng ào xuě
      言離相如故枝摧     yán lí xiāng rúgù zhī cuī
      持偈竟身灰         chí jì jìng shēn huī

               (三平聲三韻 單調)  
             平聲七灰  20151101

    hunsyoumengjiangnan2.jpg

    《聖誕白糕》 七言絶句

     Gâteau de Noël , Plâtre blanc  

       聖誕白糕》 Shèngdàn báigāo 

      解題 ;20131224 クリスマスケーキのまったるい生クリームのしろ色
     
     涅而不翳白燭   Niè ér bù yì bái zhú wén
     甘平淡有心聞   Luò gān píngdàn yǒuxīn wén
     惟知怨筆無甜昧   Wéi zhī yuàn bǐ wú tián mèi
     聖夜黯諠情拙文   Shèngyè àn xuān qíng zhuōwén

    涅=白,マットな白   
    炆= 炎ではない微かな火。料理用につかう火なども 
    嗠=酪,酪漿 乳脂の古字 クリーム,
    甘=甘は庸俗,俗っぽいの意
    甜=あまくおいしい
    黯=昏黑のこと,黯淡無光,黯寂,晦黯をこめて 
    諠=喧騒。聲音雜亂曖昧

     平聲  炆,聞,文



        ちなみに涅とは 涅槃。 涅墨西斯 (=Niè mò xī sī) ならば
       ギリシャ
    神話のネメシス Νέμεσις 
                                     さんと言ったらこんなカンジ↓
      
        ネメシス

       ギリシャ神話の,Νέμεσις    涅墨西斯
       といってもこの畫像はかなり古そうなアシアマイナー系。
       むしろエジプトのマアト,すなわち正義の女神を連想させる。
       アルカイックで美しい。すばらしい造形だ。
       たまたま見つけたのでどこの何かはわからないが,Asiatica mineur
        Némésis de Mythos であろう 

       マアトは La déesse de la justice L'Egypte ancienne
       Maatのこと。
       Thothで言えば 劍と天秤の女神。
       つまりネメシスというのは“復讐の女神”といわれるが
       ほんとうは “義憤”の女神さまというべきであって。

       “業” (karman,le karma)つまり 梵: कर्मन्  と
       “守られるべき法律” の神樣なのだ

         *  *  *  *  *  *

          不曰白乎,涅而不緇・・・・。涅 小篆
       出汚泥而不染 泥より出でて染まらず 不會變黑。

    緇衣

    緇衣

    Frontis For Les Diaboliques バルベイ・ドォールヴィリ『魔に憑かれたものたち』 扉繪
    Les Diaboliques est un recueil de six nouvelles
    Jules Barbey d'Aurevilly, paru en novembre 1874, à Paris
     

    黑繻子婞直女郎挑發天鵝絨的黑豹
     『幸的辜負』


    *婞 xìng=剛直,倔強。 古同“悻”,是怨恨。 
     

    闕  二首


    涅白と緇黑のスフィンクスうずくまる雪山黯夜
    貌合はさりて心離るる

    不立文字と死
    Les Mot Mort 
    無餘

    不二法門ではない Ⅱの門でもない ת démon ai



    ヴェルアーレンとともに 
     Khnopff's Avec Verhaeren



    “十” は, 二
    合十。十二
    (destination de Kavala?)
    ब्रह्मन्  אלף-בית  

    對立法馬。射擐甲胄
    天秤棒の, 左端から右涯まで等距離,刺突する劔尖(keris)
    ――クリスは飛んでしまふ,支えない
    だから

    もはや解體できないまでに劂刖されてから抜き出しつくした文字こそ。
    森寒の,門のなかの空に氣づく
      
    窮を遮る門に欠落がある。
    これは

    闕の意を識る
    意識のまつ白に黯く眩むとき轉輾と
    もんどりうつて遨倒轉した陥弄文字の羣れの最後尾に從ふしかなかつた
    ひれふした脊のうえに,遨地倒天を北(そむ)く



    クリス ボロブドゥール

    孟東野(孟郊) 《閑恩》 

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         《閑恩》   Xian yuàn

     妾恨比班竹  Qie hen bi banzhu 妾(あたし)の恨みは比の班(まだら)
     下盤煩冤根  Xiapan fanyuan gen  盤下に,煩冤の根(こん)
     有筍未出土  You sun wei chūtu  筍,未だ土から出てくるまえに有り 
     中已含涙痕  Zhong yi jin leihen  已に中には涙含んだ痕が
     

       押韻;根,痕 
     
       班竹=竹のまだらは涙の痕,湘妃斑竹
       煩冤=わずらわしく躁たるさまでありしかも憤懣やるかたない,感情。
          勃鬱。 また根の屈折の樣態。どれでもよいのでは

    河清頌

     惟日月之逾邁兮,俟河清其未極 ――王粲 《登樓賦》emengL.jpg

    惡夢のように 美しい橋。
    色,淒淒たり,寒髓的黑,赤璺的朱。

    人間(じんかん),仍仍,相因,
    依依。
    止止。
    微微。
    塵塵。
    過沙。
    丹水沙,
    恒河(Ganges)の恒河沙(Ganga)の刼簸

    文明とは河である
    河とは流れ
    流れる。もの,
    河淸,頌すものあり,
    蕪城,賦すものあり。

    濁河の淸滌される,しかし
    そのことを,文明とは謂わぬ
    なぜなら絶對に,言わぬ,河水は,
    遡ることはないのだから 

    惡夢のように橋が,架かる。

    河,という,水の流れ。
    文明とは
    濁る河の淸らかに透みてゆく永い時間をぬきとつて掌握することだ

    文明は遡行する。
    きりとられた文明を,さらに又偸みとるものがいる。
    埓として區切られた場所に“虐殺” のあとがのこる
    河,という,ただ,端なくある水の流れ。
    文明とは
    透みてゆく時間を掌握しようとすることだ,
    囂張の,下卑てない,ものものしい顔つきで
      
    河淸, 
    洗滌する水の流れ,を想像してみる,
    黄河の濁濁。

    ゾッとしておもわず號ぶ,
    Bù kěnéng!
    向沙場
    區切られた形埓に殘る悲咽切切


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      沙という字は。
      非常に細かい碎かれた石粒のことである,と。
      しかし砂は俗字である,と,謂う

      あくまでも水,である,水中の礫である
     
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    《無法入睡曲》 《不寐吟》

       Bù shuì 
      惡占泥塊

         斷荷絲             Duàn hé sī
         芙蓉池             Fúróng chí
         惡占泥塊       È zhàn ní kuài tuí
         來來就舟來       Láilái jiù zhōu lái
         悚竚前夜岸       Sǒng zhù qiányè àn
         憂思千千亂       Yōu sī qiān qiān luàn
         惟按佳眠攅       Wéi àn jiā mián zǎn
         惘然望對岸       Wǎngrán wàng duì'àn

          平聲二 , 平聲七 , 去聲九


      荷=蓮根,  隤=くずれる,  惘=茫然,  望=遠眺


         不寐吟          Bù mèi yín
     
         離狂骨托開     Lí kuáng gǔ tuō kāi
         温柔境請來     Wēnróu jìng qǐng lái
         邪念累身耗     Xiéniàn lèi shēn hào
         亂情苛心猜     Luàn qíng kē xīn cāi
         浮泛招默掌     Fúfàn zhāo mò zhǎng
         淺抱寄深懐     Qiǎn bào jì shēn huái
         幽意懼白然     Yōu yì jù bái rán
         疲氣疑黯天     Pí qì yí àn tiān
         一芯一途睡     Yī xīn yītú shuì
         無夢無段眠     Wú mèng wú duàn mián
         不求寐素因     Qiú bù mèi sùyīn
         努思淸穩淵     Nǔ sī qīng wěn yuān
         曇華咲隠岑     Tán huá xiào yǐn cén
         芙蓉夜靜寝     Fúróng yè jìng qǐn
         轉顛軀虚牀     Zhuǎn diān qū xū chuáng
         傀俄起句尋     Guī é qǐ jù xún
         醒醉如叔夜     Xǐng zuì rú Shū yè
         沈愔四言韵     Chén yīn sì yán yùn

       夜

          平聲六    開來猜懐   
          平聲十一  然天眠淵      
          平聲二十  岑寝尋韵


    瞿秋白 《詠菊》 

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           QuQiubaiciircle.jpg

      研精覃思,劚山覓玉。常州高材,凛冰少菊

      瞿秋白が常州時代に書いた詩,殘存するなかの最も早い詩作は,十四歳のとき
      と言われるが,《詠菊》。
      これは秋,白,と真名の霜を讀み込んであり,字(あざな)を “秋白” と
      名乘りはじめたころに作ったものだろう。
      字(あざな)とは・・・本名に關係深い文字を選んで自らが名づけるものである。
      讀むほどに味わいある,すばらしい詩だとおもう。
      わたしは完全にのぼせてしまった。

      けして華奢というものではない,表現力の勁さ。
      冴え冴えとした美しさ,趣向・・・・瞿秋白,獨特の風韵というものだろう。
      時代のすさまじい變革の季節,その不安の中で,社會に旅立つ感慯,と言った
      ものであったのかもしれない。
      菊を自らに比して詠んでいる。

        秋霜,の嚴しさはいまだ知らない,しかし白玉の盆に載せ秋色をたずぬ,

      というようなかんじであろうか・・・・
      秋色は,このばあいは稍稍愁いを含んで仄暗い,くらいの感覺かもしれない
      秋の色を指すズバリ白,ということでなく,だ。
      自分は今歳,開花,した菊だという。
      白玉の盆がふさわしい。
      白玉盆は滿月のことも言う
      秋色を覓ねる。霜の痕などない。
      これでおわらない,含意がそこに在る,だから “詩” なのである,という翳り
      これこそ“情操”,つまり 傲霜 があるという・・・

      この詩を讀めばだれもが瞿秋白の天分を,その詩文の早熟の才に瞠目しただろう
      ことを思う。ただ・・・・惜しむらく,
      二三百首あつたという常州時代の詩の多くは失われてしまっている・・・・!


     詠菊     yǒng jú

    今歳花開盛  jīn suì huā kāi shèng     今歲,花開き盛ん
    宜栽白玉盆  yí zāi bái yù pén        栽りて白玉の盆に宜しき
    隻縁秋色淡  zhī yuán qiū sè dàn     隻(ただ),緣が淡き秋色*
    無處覓霜痕  wú chǔ mì shuāng hén   覓(さがしもと)むるに霜の痕なし

         今年開いた花。白玉の盆にかざるにふさわしい。
         ただ,ほんのすこし花辯の縁に秋淡く感じるような色を覩る。
         でも・・・・探してみても霜の痕など何處にあろうか。
     

    無窮花 A Lament for the Sexual Slavery of all during the war  《無 礙》

     흠이 없는 조선의 꽃   傷なき朝鮮の花

      무구한 꽃=無垢の花 (韓:muguhan kkoch)
      무궁화  =無窮花   (韓:mugunghwa ) 
             無窮花 (中:wúqióng huā) 木槿 大韓民國の國花 
             朝鮮半島の國土は古くより「槿花郷」 と美稱されている。


     
     《無礙》    

      別啾十一妹   Bié jiū shíyī mèi
      薩佛彈琴涯   Sà fú tánqín yá
      光復粲苦海   Guāngfù càn kǔhǎi
      絃綢翳塵沙   Xián chóu yì chén shā
      倡和爲韓姊   Chànghè wèi hán zǐ
      不更加咬牙   Bù gēng jiā yǎo yá
      合涙滴澡穢   Hé lèi dī zǎo huì
      無窮護白花   Wúqióng hù bái huā
     
        平聲十五    涯沙(加)牙花   〔家麻韻〕  

              * * * * * *  

     무애한 빛=無礙光,無碍光, (韓:Muaehan bich 無礙 빛)
          無礙光(中:Wúàiguāng)は阿彌陀佛 の發する十二光の一
     啾=天陰雨濕聲啾啾(―杜甫《兵車行》↓ *↓)
     涯= 水際,この意味の場合 平聲麻韻。 yá になる
     光復=中國語としては,たんに恢復(回復)原有的領土,統治或事業,
         國がもとに復す,の意味だが(廓清中畿,光復舊京。 『晉書』など)
         現代では “日本が敗戰したとき” の意味がある。
         また韓國はじめアジア全土(日本以外)で,8月15日を
         光復節
         (節は紀念日)と頌稱し,壽ぐ。
     粲= 白く輝く光 
         そして古代の白米。 白粲*↓追記
     苦海=苦界(くがい)佛語。苦しみの絶えないこの現世。紅塵。世塵
     綢= 絹の糸,細く輕い絹の紗。動詞では,纏(まと)う
     塵沙=沙と塵。また沙塵は遠いところに行く勞苦(風塵)に同じ
     倡和=Chànghè 倡和(=唱和)
         先發聲者爲倡,後應聲者爲和
     姊= 姉(姐)
     澡= 沐浴,清める 
     白= 白。とともに粲の白。 
     無窮,護白,花=護白無窮花,韻律の關係でこうなってしまうので。
       五言平起平韻式
     薩佛=(Sàfú  實際の中字は薩福) 公元前七世紀希臘,女詩人
            Σαπφώ  Sappho
          十番目の繆斯(ムーサ) (Μουσαι Muses )と讃稱される

       薩福

       
          
       生女猶得嫁比鄰,生男埋沒隨百草。
       君不見,青海頭, 古來白骨無人收。
       新鬼煩冤舊鬼哭,天陰雨濕聲啾啾
                          杜甫 《兵車行
       “男を産むな,女を産め。なぜならば,
       男は兵に取られ草むす戰場に屍をさらすだけだ”

       このようにうたっている。
       はたしてそうだろうか。ここは杜子美に反駁したい氣分だ。 

       

       本來 白粲ということばは,潔白,粲 黄庭堅 行書
       白さ,無垢をあらわす。
       明白,清楚。 燦然(明白な,顯耀)
       燦の古字

       粲然はまた笑貌の美しさをいう。
       とくに粲とは,本義は古代に最も高貴な白く輝く米,
       神にささげる上等のお米のことである。
       端的に,無垢と,“復した光り” の白き燦耀と
       (これも粲)の意味と,また,たっとい日日の糧,
       ということでもある。
       また,ここは強調するが,
        “從軍慰安婦”と は犯罪の被害者である
       ということである。賣春婦ではない。 


       Lament for the "Sexual slavery of all during the war"
     
       サッフォーが涯で竪琴を彈じています。
       十一番目の妹よ。どうか啾(な)かないでください。

       苦海に光が復して燦いたとき,絃を綢(まと)うように塵沙を翳(おお)うように

       わたしたちも唱し和したい。
       かの國の女たちに咬みつくな
       これ以上牙を向けるな

       滴る涙をも合わせてともに汙れを澡(あら)いたい
       けがれなき無窮花の白粲を,これからも
       護ってゆかなくては。ずうつと。



      韓國の國花である木槿花(無窮花)。
      この花の美しさを知るきっかけとなった ブログ Mateor Shower
      そのAutherであるかたに韓國語を敎えていただき詩題としました
           多謝諸位。 마음으로감사합니다 

    テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル:学問・文化・芸術

    琴 李長吉(李賀) 《仙 人》  

        琴


       司馬相如 と琴と武帝と春を歌う 李長吉 《詠懷》
      司馬相如と卓文君 。親の反對を押し切って司馬相如のもとに私奔した文君。
      “家居茂陵” したとき娶妾しようとした相如に文君が決絶として演唱した
       《白頭吟》 の氣憤は,あまりにも有名である。二人の愛情を讃えた
       《文君曲》,《鳳求凰》 ,のような琴曲もつくられた。

    樂舞俑:歌舞宴樂見證漢宮奢華

      漢魏晉,文人の琴手の話。

      東漢,琴の名手はといえば 蔡邕 か。
      《蔡氏五弄》,すなわち 《遊春》,《淥水》,《幽居》,《坐愁》,《秋思》
      唐代にいたるまで琴の名曲として盛名をほしいままにした。
      (現存する明代の琴譜中に 《蔡氏五弄》 とあるのは,當時の原作ではないと,
      其の歌辭は 『樂府詩集』郭茂倩 にみえる)
      漢末に,音樂と樂府をこよなく愛した魏武曹操と,蔡邕とその娘でやはり
      琴の名手だった 蔡琰=蔡文姫 父娘との友誼,關わりはつとに知られるところ。

      また漢末のもっとも代表的な樂人で琴の名手は 杜夔 であった。
      雅楽郎であった杜夔は荊州牧劉表のもとで漢天子劉協(獻帝) のために雅楽を
      調えたときの, 劉表を諌めたエピソードが三國志の記述に見える。
      そして子の劉琮が曹操に降伏すると,曹操は杜夔を, 軍謀祭酒 となして雅樂を
      創制させた。
      杜夔は黄巾賊の亂から長期にわたる戰亂のなか,散佚してしまった傳統音樂を
      輯録,彙集につとめ恢復させたという。
      『三國志・魏書』方技傳第二十九 によれば,杜夔を評して陳壽いわく
      教習講肄,備作樂器,紹複先代古樂,皆自夔始也
      魏の黄初年間,文帝曹丕のもとで 太楽令,協律都尉 に任じられるも,文帝と
      折り合わない事が多くたがいに不満を抱いて免職,とある。

      東漢末から魏晉にかけては 阮瑀(元瑜) が,琴の名手として知られる。
      阮瑀は蔡邕と同郷で,幼時,蔡邕について學んでいる。
      曹操がその彈琴作歌の妙によってとくに重用した。
       “建安七子” 文と樂のイメージは阮瑀に代表され,
      その音樂的修養は兒子 阮籍(嗣宗 )の孫 阮咸(仲容) に受け繼がれる。
      阮咸は亀玆(天山南路のオアシス都市)傳來の琵琶を改めたという傳説によって,
      四弦の琵琶は阮咸とよばれるのである。
      阮籍は司馬氏の殘暴陰險な統治の下,禍をおそれ,醉酒佯狂
      つまり酔っ払い狂を佯わり,つねに自己を掩飾していたが琴曲 《酒狂》
      そんな彼の心境をよく表達しているという。
      この三人には面白いエピソードがいっぱいある。

      そして。琴の名手,竹林七賢,音樂といえば,勿論 嵇康(叔夜) である。
      彼は 《聲無哀樂論》 という音樂の思想と理論を著わした。
      さらに 嵇叔夜《琴賦》 は,音樂評論の文章でもある。
      その序言の中に

      餘少好音聲,長而習之,以爲物有盛衰而此無變。滋味有厭,而此不倦。
      と
      音楽をこよなく愛したこと陳べ,さらに音樂の作用を明確に高らかに肯定する。

      音樂とは,
      可以導養神氣,宣和情志,處窮獨而不悶者,莫近於昔聲也。 
      であると。
      《琴賦》 の疊句は,緊張と高昂,の調子をもってつづけられ,
      抑揚もあり銷沉もする。そして愔愔の琴德,は不可測であると。
      樂曲繁聲の表現の筆致は,びっくりするくらい,音樂的,生動感ありで,
      いかにも撥弦樂器の奏者の手で著わされた文章,と感じさせる。

      “竹林七賢”阮籍や嵇康らによって,弦樂器は“隠者のたしなみ”
      にますます必須のものとなってゆくのだ。
      陶淵明は弦のない琴をかかえてたらしいが。
      又,庾信は,ああ,琴を奏でることができたなら・・・・と北の地で嘆く。
      遁世之士にはなぜ弦樂器がふさわしいのかまではは,よくわからないのだが,
      もって導かれて神氣を養ってみたいもの。



    李賀(李長吉)《仙人》

    仙人

      彈琴石壁上   琴を彈ず石壁の上
      翻翻一仙人   翻翻(ほんぽん)たり一仙人
      手持白鸞尾   手に白鸞の尾を持ちて
      夜掃南山雲   夜,南山の雲を掃(はら)
      鹿飲寒澗下   鹿は飲む,寒澗の下
      魚歸清海濱   魚は歸る,清海の濱(ひん)
      當時漢武帝   當時,漢の武帝に
      書報桃花春   書をもて桃花の春を報ず

         集英社版『漢詩大系・李賀』斉藤晌氏による書き下し文と語注,大意を
         要約してのせています 

      大意:
      仙人は身も輕やかにそり立った石の崖上で琴を彈く,
      手に鸞鳥の尾羽をもって南山の雲を掃えば鹿は寒水を飮み,
      魚は清らな濱にかえっていく。漢武帝は神仙を好んだが,
      仙人はわざわざ仙桃の花の咲く春が來たと報せてきた。
      長吉の生きた唐憲帝の時代,帝も神仙道に惑わされ,
      長安に方士が集まり宮中に入っていた事を諷したとの説がある。
      これは詩の解釋としては?。


    富澤赤黄男  『蛇の笛』より 《風景畫》 《烙印》  抄

     秋風裡 われしろがねの刃 を 投げむ


      去年,日中戰爭の從軍句を中心に句集『天の狼』をから,
      いくばくかを載せた。
      今回は,昭和二十七年(1952年)十二月に刊行された句集『蛇の笛』
      から。
      最愛の俳人,富澤赤黄男,
      “神” と,“天空”,とに,こだわって(わたしがかつてに)

       黑牛(黑い四つ肢) と,黑い蝶(黑い翅翼)
       くりかえし詠みこまれる 
       冬の枯れ木,鶴。その,竦立,孤獨。

       弩につがえる矢。
       弧弦撥る。放たれて,“射す”ことば,刺さる
       天空には,嚴としてある弧。


      蛇 の 笛   

                 風 景 畫

      石 版 畫

      雲 ひ そ と  う ご か ね ば  蛇 木 を の ぼ る

      杉 枯 れ て 枯 れ て 白- くも さ す 悲 願 か な


      木 版 畫

      鶴 な い て 冬- てん を 支 ふ る も の の な し
       冬 日 落 つ   冬 日 の 中 の   鶴 の 貌

      積 亂 雲  し ん し ん と と ぶ  狙- そや 一 つ


      銅 版 畫

      夕 燒  け の  犬  よ 左 を 右 を ゆ く

      湖 うみ こ ゆ る  蝶 白 け れ ば 湖 に 消
      海 蝶 の  ふ た つ あ は れ や  白 と 白

      稲 妻 の い つ ぴ き の 蝶 お し な が さ れ

      地 平 線  空 閒 に あ り  人 な に を 祈 る
      神 怒 り   神 怒 り    ひ と 消 え ゆ け り



                  蛇 の 笛
      天 の 傷
        
      牡 丹 雪  茫 失 の 面 ま た た き せ ず

      寒 燈 や   慄 然 と し て  佛 の 手
      咳 しはぶ け ば  枯 木 の 天 も  咳 け り


      啞 蝉

      夏 の 蝶   大 洋 う ね り   や ま ざ り き
      背 後 うしろ よ り  黑 き 蝶 く る  疲 勞 か な  
      啞 蝉 や  さ れ ば 無 音 の  地 の 乾 き
      粗 壁 に  月 の し み 入 る 韻 と お も ふ

      鴉 は 鳴 か ず こ こ ろ に さ さ る 棘 く ろ く

      い つ ぽ ん の 枯 れ 木 が そ れ に 應 へ け り


      氷 の 木
     
      頭 蓋 の く ら や み 手 に 寒 燈 を ぶ ら さ げ て
     
      雪 の 鴉 の  真 紅 な 舌 に   あ ざ け ら れ
      木 枯   木 枯   ひ ら ひ ら と 侏 儒 の 手 

      氷 の 木   氷 の 木   立 ち 去 り ゆ け り
      寒 夜 ひ し ひ し 円 周 の 中 に 踞 し
      枯 れ 木 に 陽 わ た し は 現 に こ こ に 居 る


      侏 儒 の 太 鼓  

      伐 ら る べ き 巨 木 一 期 の 沒 日 に 炎 え よ

      い つ ぽ ん の 枯 れ 木 へ ひ ら く 巨 き な 掌  ほ と け

      鶴 凍 て ぬ  透 き と ほ る ま で 凍 て て あ れ
      か の 眼 は    半 眼  虚 空     鶴 渡 る
      人    穴 を 掘 れ ば 寒 月 穴 の 上
      躓 つまづ け ば   枯 れ 木 が 天 を 叩 き け り
     
      黒 き 犬 が う づ く ま る 黄 昏 の 喪 章
     
      虹 消 え て や が て ひ ろ ご る 黑 色 半 圓

      

                   烙 印

      天 の 斧

      斷 絶 や     荒 涼 と し て 斧 は 天

      蛾 の 靑 さ    わ た し は 眠 ら ね ば な ら ぬ

      音 癡をふり 雨だれ ひとつ ふたつ と かぞへ

      啞 蝉 は   啞 の ま ま な る  積 亂 雲

      ひ と の 瞳の 中 の 蟻 蟻 蟻 蟻 蟻
      蟻 の 列     わ た し は 急 が ね ば な ら ぬ



      亀 裂

      い つ ぽ ん の 枯 れ 木 に 支 え ら れ し   天
      天 才  は 現 れ ず       無 音 の 冬 の 虹
      萬 紅 に  身 を 投 げ 入 れ て  消 ぬ べ し や

      切 り 株 の  か な し き ま で の 孤 獨 の 光 り

      黑 び か る    冬 の 亀 裂 の    渡 り 鳥
      肉 體 や   弧 を 畫 い て と ぶ   黑 い 蝶

      末 枯 うらが れゆけば 黑 い墓標に 凝 視みつめ られ
         
      曇 日 の   し ろ い 切 り 株 ば か り と 思 へ


      手の影

      地 平 線  手 を あ げ て   手 の 影 は な し
      實 感 は 痩 せ 犬 に 脚 な め ら れ る
      寒 い 月    あ あ 貌 が な い   貌 が な い 

      牡 丹 雪   牡 丹 雪    く ろ き 牛 の 頭 蓋

      寒 月 の    肉 に 喰 い 込 む   く ろ き 爪
      わ が い の ち 炎ほむ 立 つ 夜 の 木 枯 の 音

      

                 酔 ひ ど れ 雲

      泥の歳月

      泥 沼 の  泥 の 歳 月     渡 り 鳥
      
      鳥 の ゐ る 枯 木  と  鳥 の ゐ ぬ  枯 木
      牡 丹 雪 人閒 ひと の 貌 こ そ か な し け れ

      人 閒 は お も き 手 を 垂 れ 罭 ある は空 クウ
      木 枯 の ひ と つ の 星 を 疑 は ず


      木の瘤

      人 の 死 へ  き ら り き ら り と 光 る  露
     
      落 日 の   く ろ い ミ イ ラ の た ち な ら び

      黑 牛 の   金 剛 力 の   舌 く ろ く
      赤 蟻 や   傾 く 墓 標 地 に 伏 す 墓 石

    合わせる L'avidya


    自己の光明の在るところ,自“由” 
    黯處といえども影に過ぎぬ相,
    光はそこにも在り
    眼を閉じたとて自ら,在宥す,己れの在處。
    宙合十指空合一

    倶亡

    La nuit

    崩落しかけている佛像を戀ふ,
    骸。
    そこにゐない,
    まなざしはまなざさず,
    形。
    信仰已銷烕,猶如倶具現。 

    それを。
    殘といふか空といはぬのか
    宙宇につながらぬのか。

    かつて菩提薩埵
    ―बोधिसत्त्व bodhisattva―
    菩薩發心の現場があつた,
    はるかなる過去,のみ。それのみが阿僧祇につながつてゐる
    つながりつづける,一切ならぬ全體,その記憶




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    不薄

    黑漆寥光的天雨,解素衣,衣緇衣而反,滲滲微光,眩眩仄黯,
    天對我不薄啊。
    天道不仁慈?錯。
    月皎皎。
    茫茫夜,
    銀灰色的星芒散落。
    涙眼涸。淪陥哄笑。
    敦厚好。
    膩哉,膩哉,貪!一枕黑甜餘,
    意弱少。
    然後我睡悄。


    麥積山石窟


    Ibn al-`Arabi 的 蕭豪言“空”話

    豪言“空”話,固陋狷狂?不可一世,氣焰囂張!

       中世イスラム神秘主義の思想家,イブン・アル-アラビー (1165-1240)
       Ibn Abū abd-Allah Muhammad ibn-Ali ibn Muhammadibn
        al-`Arabi al-Hatimi al-TTaa'i 
      (名前が・・・,な,ながいょ)
      この人のことば,はかなり・・・ へんなのだ。 
      その思想を端的にそして尊大にあらわにした言葉をはじめ,いくつか箴言を。
      宗教は,何でもかんでも “一” なのだ,という根源的な真理を,
      かなりゴーインに,しかし丹直にうったえた,という意味で,
      わたしにとっては,かなり誠實の印象をあたえられてしまうそんな言辭を。


    Ibn al-`Arabi

    真に賢き者
    真に賢き者はいかなる信仰のくびきにも囚われない

    同一の者
    語る者も,聞く者も,同一の者。


    我我は,おのおのが,“おのが主”に祈りをささげる
    それ以上に尊貴な祈禱はない

    “シーニュ signe
    神とは,暗示の解る人にとって,一つの,“符號” に過ぎぬ


    我がそれを否定するとき,我を知るものはただ “彼” のみ。
    “彼” を知るのが我であるとき我は “彼” の存在を明らかにさし示す 
     
    神の鏡
    爾の神は,爾の鏡であり “神の鏡” なのだ。
    そして,爾は神にとっての鏡であり,爾にとっての鏡ではない。
    もしも爾が爾にとっての,“神の鏡”である,というなら
    それは欺瞞であり,聖なるものを冒瀆することになる





       一切有為法,夢,幻,泡,影の如く…

     わたしは,イブン・アルアラビーのことばは
     ,スンニャターsuññatā,शून्यता
     無自性. niHsvabhaava ,निःस्वभाव
     真如 bhūtatathatā tathatA,भूततथता
     といったような字語によって,謂いかえられるのではないかとおもうが
     宗教は,何でもかんでも一なのだ,というベンリで辯理な,根源的な
     真理を,かなり亂暴に剛強に,うったえてくる。
     豪邁であるにもかかわらず,韜晦せず,素直に響かせることができる
     哲學者,きわめて誠實な神秘思想家だ,と感じるのだ。
     「存在一性論」などと総括されてしまってるようだが。
     
         “人間存在とは神である

     このように言ってしまう苛烈で,激越の忼慨の言辭も。
     表現こそちがえ,こうした,言い回しの素たる意味だけとりだせば
     わたしには悉有佛性,如來常住,というような
     ブッダのの偈,“無端無住” 言葉の悠揚と,
     おなじことを,傅え敎えようとしているにちがいない,そう思えてしまうのだ。

     要はアブラハムの宗教も,ゾロアスターもオシリス神話も,
     セフィロトも。ネオプラトニズムも。佛陀も,老莊も。 禪も道(TAO)イズムも
     無明の夜の “” を行き・・・,ということだ,
     無劫の果て,行き着く。到達す。歸る。還る。
     もちろん佛の“ことば”には,特徴的に,“縁覺”,有因而有果,
     という敎えがあるのだが,舟に乘り,彼岸に渉る,
     車に乘り,堅牢の“楞伽の城” に至る。
     ある一つの道をしめしているにちがいない。
     佛敎の偈頌についてはこちらも☞ 偈頌文字禪


    神の鏡
    如明鏡中, 本無影像。 隨質好醜, 種種悉現
    如來法身體無不實, 猶若虚空


    若以色見我, 以音聲求我, 是人行邪道, 不能見如來

    同一の者
    悉有佛性, 一切衆生, 如來常住, 無有變易


     と・・・・,このようにも。 

     つまりは,空も,太陽は地球にひとつ,なのだ,ということであろうか,と。 
     更に言ってしまえばナイル川もチグリスユーフラテスも黄河も一。
     川が氾濫するのは,世のつね,歴史の理,どこであっても同じなのである,
     ということを想う。
     また,THOTH, と梵語の tathatā,その響きがよく
     似通っていることをも想う

     けっしてわたしはイスラムの神秘思想にくわしいわけではない。
     ましてや,わたしは,アラビア語など,―これらの箴言は,韻文のように,
     美しく綴られたか,スーフィズムの詩句のように謳われたのではないか,と
     思うのだが―まったくもってチンプンカンプン。
     したがってすべて,フランスのLuc Benoist(1893-1980)という,
     エソテリズムの研究者がアラビア語の箴言をフランス語に飜譯した本からの
     孫引きである。 《L'Ésotérisme》 1963 Luc Benoist

     そうして,また,イブン・アラビー,こんなことも言うのだ 

         我が心は,一切の形をとりうる也
      そはキリスト者(Chrétien)の寺院(Monastère)にして,
      偶像崇拜(le culte des idoles)の神殿。
      羚羊(l'antilope レイヨウ)の跳ねる草原,
      巡禮のカアバ(la Kaaba كعبة‎ Ka’aba*
      モーセ(Moïse מֹשֶׁה‎ )律法板,
      まことの信者のコーラン(koran قرآن qur'ān )也



       *カアバ=カアバ神殿。メッカのマスジド・ハラーム
         المسجد الحرام‎ Al-Masjid al-Ḥarām の中心部にある
         (la Pierre Noire=Black Stone)↓

       Muhammad Consecrating the Black Stone of the Kaaba
       Muhammad Consacrer la Pierre Noire de la Kaaba "Black Stone"

    テーマ:宗教・信仰 - ジャンル:学問・文化・芸術

    L’antica El Dorado, Colombia

    タイロナ族 Tayrona(AD900-1600)
    の黄金細工


    guerro1.jpg


       そもそも新大陸發見。 メソアメリカ Mesoamerica にすれば災厄の到來。
       宗教改革でジリ貧になったカトリック勢が,
       布教,と “エルドラド El Dorado”黄金のお宝のためにムキになった結果
       寇略,劫奪。破壊の神と化した。
       蒼氓生靈遇塗炭,キリスト教徒のためにほろぼされてしまった民族,文明は
       インカやティオティワカンだけではない。ジツに數多くあるのだ。
       フランシスコ・ザビエルがやってきたのも。
       とどのつまりは・・・
       もとをたどればマルティン・ルターのせいじゃないか・・・・。

    narigera,鼻輪
    Narigera  (鼻輪) Galeria Cano Colombia Bogotá


     
    タイロナペンダントヘッド ルーブル美術館収藏
    Guerrero (戰士) ルーブル美術館収藏品
     

    tironadie01.jpg

    tironadie02.jpg

    tironadie03.jpg

     Guerrero (戰士) 拡大してどうぞ コロンビア黄金博物館収藏品

    《河》  七言近體

     日車周行, 河流不息

      日没すは西冥,日出ずるは東。 
      ヘーリオス Hēlios!El-Gabal!
      河は遍く四方に流る
      黄河 尼羅 Nile  底格里斯 tigris 約旦河 Jourdain

      河

      馬格里布没地方  Mǎgélǐbù méi dìfāng
      羲和還西甦東陽  Xī hé hái xī sū dōngyán
      日車天道人行路  Rìchē tiāndào ren xíng dì
      伯拉恒河小乘航  Bó lā Héng héxiǎo chéng háng

         平聲十七 方陽航

        *馬格里布=マグレブ地方 
        *羲和=太陽の母,また太陽の御者
        *日車=太陽
        *伯拉=ユーフラテス 
        *恒河=ガンヂス河


        tairona 羲和風兵士

     マグレブは西方。
     亞細亞から見ればオリエント中東も西。

     西に還り東に向かう。
     アシアマイナーのヘーリオス Hēlios! 
     イラクは,シリアは。
     小アジアの El-Gabal ,西に還り
     Shamash שֶׁמֶשׁ ,東に出ずる



    神要一場,避無可避?人間浩劫,紛爭四起。

       そもそもが
       一神敎も異敎徒も。   
       “集團” を前提としなければなりたたない。
       そして,放っておけないタチが攢聚する
       思考停止の無氣力が蝟集するのか?

       世界でなぜLa Batalla の野蠻があるのか, 
       ということでもある


        (亂箭攢心,各各他山)      qiū

      黑徒聚鴉使徒呀  Hēi tú jù yā shǐtú ya
      緋色濕沙仇丘誇  Fēisè shī shā chóu qiū kuā
      天哭鑽岩聲無響  Tiān kū zuān yán shēng wú xiǎng
      何須十字燹交槎  héxū shízì xiǎn jiāo chá

        平聲十五 呀誇槎

     *呀=鴉の鳴くような聲,嘆詞
     *燹=戰火,兵燹  
     *槎=きる,樹木の交差


       גבעת גולגותה
       جبل الجلجثة
       ゴルゴダの丘 
       各各他山
       (Gè gè tā shān)
       Calvaire 
       La colline du Golgotha

     納蘭性德 《夢江南》 銀字笙調,心字香燒

    何日歸家洗客袍,銀字笙調,心字香焼
         蒋捷《一剪梅舟過呉江》


      この冬は雪が美しくも厳しい相貌をみせた。
      我が家の庭(といっても,ベランダのようなもの。
      洗濯物を干す空間なのだが,
      マンションのたまたま一階なので,屋根のないところに黒土を山ほどしきつめて
      ・・・・そこにむりやり木を植えている一坪もない庭もどき)。
      そんな空間に,紅梅と沈丁花を植えている
      また,同居人がユスラ梅と,ハーブをあれこれ植えている
      そして都會のど眞ん中にもかかわらず,實のなる時期にもなると,
      ユスラ梅の實をついばみに鳥がワンサカやってくる・・・・不思議な庭もどき。
      その紅梅はいまだ蕾ひらかず。春告鳥いまだ鳴かず。
      同じような時季かもしれない,納蘭性德の,江南を憶う,という詞。


    《憶江南》 納蘭性德
      

      《憶江南》  “Yì jiāngnán” 


     昏鴉盡         Hūn yā jǐn
     小立恨因      Xiǎo lì hèn yīn shuí
     急雪乍翻香閣絮   Jí xuě zhà fān xiāng gé xù
     輕風吹到膽瓶   Qīng fēngchuī dào dǎn píng méi
     心字已成     Xīn zì yǐ chéng huī

        平聲七 灰 誰梅灰 


    *膽瓶=長い首,太い腹の花瓶
    *香閣=若い女性の居室
    *心字=お香のことだろう沈水香の一種にある


    清乾隆窯銅紅釉粉彩梅花膽瓶
    大意;
    夕暮れに鴉は
    飛び去ってゆき
    さびしく立ちすくむのは
    誰。誰がため。
    柳絮のような雪風が
    香閣にふきつけて,
    花瓶にいけた梅を倒す
    “心字香”は既に灰。

    (間違いはご指摘ください)

    右の花瓶が膽瓶。
    清,乾隆の時代の
    “銅紅釉粉彩梅花膽瓶”
    國立故宮博物院(台北)収蔵



     



      なんといっても。心字已成灰 美しい結句である。
      心字香がおくぶかい。
      お香を燻べた後の灰が心の字を篆したようだ,というような佳話があるのだろう
      沈香の一。
      また
      真誠敬虔の心もて佛に供える,その焚香を心香という。佛語らしいが。
      龔自珍の 《南歌子》
      “紅泪彈前恨,心香警舊盟”
      を思い浮かべる。
      うふうたまらないな。

      花では一番すきなのが梅,香で最も好きなのは沈香,
      鴉も大好き,
      というわけで・・・・。

      淸の 納蘭性德
      順治十一(1655)年に生まれる。字は容若,號は楞伽山人。 
      康熙二十四(1685)年三十一歳で殀逝する。
      満洲正黄旗人,皇族であるが文武兩道。
      彼の文藻は純任性靈,纖塵不染,凄清哀婉などと評される。
      とくに詞曲にたくみで,典型的な截花作骨,天性の詩人だろう。
      雑言(古詩で七言という)の樂府,詞曲は。
      なんとも繊細で,うっとりするような美しさ。
      詞曲ならではのみずみずしさ。
      貴人ながらにして顛沛流離。
      流麗,流暢だが天涯に身の置き處あるか,といった不安げな,詩情。
      そして流水桃花,戀こころを,冰水相逢,有情無縁のはかなさをうたう。

      彼の詞曲集 『飮水詞』から とくに愛好するものを。
      慷慨詩ばかりで戀のうた,情詩のほとんどないこのブログだが・・・・たまには。
      春はもうそこまで來つつ,あしぶみしている。


      納蘭性德については
      こちらも ☞ 納蘭性德《長相思》  納蘭性德『飲水詞』全曲集

    空話蕭蕭心

      空話蕭蕭心

       皎皎,皓皓,迢迢,滔滔,裊裊,號號,嫋嫋。綽綽,
       眇少,弱小,高調,蕭條,逍遙,飄渺。驕傲,騷擾。


      などなど,蕭豪韻。
      蕭豪韻の字をあわせた熟語。
      いわゆる連綿語のうちの疊語,畳韻語である。
      連綿語には雙聲語というのもあるが,子音を同じくする二字の熟語で,
      これは韻のハナシに,關係はない。

      通常の近體詩(平水韻)では,
      蕭は平聲十二の韻,
      豪は平聲十三の韻の豪
      と韻母はわけられる。
      が,蕭豪韻というのは,
      宋,元代に盛んに作られた
      詞牌,民間歌謡,『元曲』に使われる
      いわゆる“中原音韻” 宋韻というモノ。
      その韻部の一。
      從來より大雜把にわけられる,
      と解してもよいか,なにしろ
      中原音韻には韻部が一九しかない。
      平水韻は一〇八である。

      蕭豪韻の連綿語はみょうに美しく感じる。

      靑花荷塘紋 玉壺春瓶

      靑花荷塘紋 玉壺春瓶

     べつになんとなしにだが載せた。美しい元代の花瓶。
     名づけられたは,蓮花(荷)か,潭池(塘)か・・・
     蒙古の鐵騎兵に一蹴された漢民族の “中原”その文物。
     どことなく漂うのはアシアマイナーの白のような。中世ビザンツの香り,文物。
     文化は,交わることで深化,昇華し,或いはその純性,固有を認識する。 

     ちょうど教皇インノケンテイウス三世の時代,“西域”のさらに西,の大地が
     蒙古の英雄チンギスハーン(成吉思汗)の鐵騎兵に蹂躙された時候。

        “實存” のこと。 精神の“自由” のこと。“普遍性” のこと。
        ずいぶんと,遠まわりをしてきたが,ようやくわかってきたことだ,少しずつだが。
        漢籍を,讀まなければわからなかったこと,はほんとうにおおい。
        が,まだまだ,遠遠少少。
        いわゆる“漢詩”,を讀み詠みはじめて膽腑に落ち,心が氣づいたこと・・・。
        少しずつだが。

        この“實存”,“自由”は,古今も洋の東西も“神の種類” も關係ない。
        文章がなぜ,原初に,創成されたものがたり,をつむいだとき,
        それはかならず,韻文でなければならなかったか。
        纏綿とした“心” を變質させる(普遍化する)ためには,
        音 もしくは,韻が,必要だったから,なのだ。

     “意” とは,分解すれば “音心” のことである。
     “實存”するのは “音”であり,“章” であって,神ではない。

     ホメーロス ,ツァラツストラ, 『詩經』, そして 莊周 の,ことである。
     ナザレのイエスという,ならずもの があらわれる前,
     キリスト紀元のずっとずっと前のはなしである。
     つまりは, Mahāyāna (大乘) も,Dhyāna (禪) も, ここでは,
     中國の禪のことをいっているのだが,すなわちLankavatara Sutra (楞伽),
     ―のちに,その源流の一であつたと目されることになる 莊子―
     の教えということでもある。
     もっといえば,ずっとのちにイブン・アル・アラビーが言うのである,
     1240年に逝去したイスラム神秘思想の激越は。
     豪邁不群の氣魄をあらわし
     このように言った。

    “神とは暗示の解るものにとって,一つの符 رمز (シーニュ) に過ぎぬ”
                                       

     宗教,宗派と,その對立とを否定して,“存在”の 自由,
     つまり自存を獲得するための,ひとつの “ 門 ” דלת にたどりつく。
     “認識” のさきにつづいてゆく。
     一本の“道” ,にすぎない,いうことだ。
     

      蕭豪韻 

      無窮文弱高   ○○○●●    wu qiong,wen, ruo gao
      天玄更迢迢   ○●●○○    tian xuan gang tiao tiao
      遠少攢調氣   ●●○○●    yuǎn shǎo zǎn diào
      虚心雲逍遙   ○○●●○    xūxīn yān xiāoyáo

      平起平韻  平聲十二 迢遙

         遠きもの少きもの,攢まりて氣を調え“意”は遙か 空に雲と消え

    テーマ:哲学/思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

    絲調と聲樂

      絲調と聲樂と ポリフォニー

    彈奏隋代樂俑



      西洋の古典音樂,とくに古樂(いわゆるバッハ以前*)をよく聞いている。 
      その古樂の弦樂器というとヴィオラ・ダ・ガンバ,ギターラ,リュートなどだが,
      つま彈く,撥る,弦樂器の曲はとりわけ好きである。

      原來カトリックの教會では,器樂演奏は忌むべきものであったので,
      それらはすべて世俗の音樂ということになる。
      聲樂でいえばモテト(宗教曲)に對してマドリガルである。
      戀のうたの調べ,豊穣の秋をことほぐ祝祭のうたの陽氣な伴奏・・・,そのような,
      酒と豊穣の神デイオニソス(バッカス)の “教え”にみちびかれてしまうような
      “淫靡で野卑な陶酔” を,教會はおそれていた。

      とはいえ,カトリシズムは陶酔自軆を否定していたわけではないのである。
      修道士が作り出してはじまったリードオルガン,(つまりふいごのオルガンだが)
      だけは教會内部に設置されて比較的初期から(10世紀頃にはあったらしい)
      禮拝につかわれた。
      簡單には “もちはこべない”し,だれで彈けるものではないことは言うまでも無い。
      ずっと後世バロックの時代になると,巨大なパイプオルガンが大教會にそなえられ
      莊嚴の音色が禮拝堂に響きわたり,信者は,神の愛に陶酔,信仰の恍惚に
      導びかれていく。

      教會音樂,グレゴリオ聖歌をはじめとするアカペラの聲樂は,
      崇高な神への信仰を歌い上げる。
      ちなみに,グレゴリオ聖歌が整備整頓されてほぼ今の形になったのは13世紀。
      教皇イノケンテイウス,ルイ八世,十字軍の軍旅を発動したり,異端カタリ派
      アルビジョア十字軍の彈壓が熾烈であった。
      つまり,異教徒との文化交流さかんな時期,その必要があって整理された,と
      言えるかもしれない。
      歴史の有因有果,世に文化事業とは・・・必要があっての必然なのだ
      たとえば,代の輝かしい “四庫全書” の編纂事業など,ある特定の種類の
      言論を排除するために,なされる必要があった・・・・
      というようなことだ。

      *バッハ以前」というのは音楽史を語るによく使われる言い回し。
      嚴密にバッハの作品より以前に作られたものだけを示す,というより音楽史的に
      時代を區分するさい便宜上使われる。「ルネッサンス音樂」,などほかにも
      言い方はある。

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       ポリフォニー polifonico 

      ところで,複數の聲音の,調和することを眼目,第一義としたポリフォニー,
      これがバッハ以前の聲樂なのだが,ポリフォニー polyphony 音樂というのは,
      普段の生活ではまず耳にしないもの。
      現代のポピュラー,シリアスミュージック問わず,ほぼ全てのジャンルの音楽が
      モノフォニー monophony 音樂である。
      傳統的な(・・・滅びかけてるようなといってもいいかもしれない)民族音樂には
      意外とポリフォニーが多い。
     
      モノ,フォニーは一,聲音,ということだが大雜把にわかりやすく言うと,主旋律
      がある,ということ,それに陪伴する,伴奏がある。
      バッハ以後はほぼ,現代に至るも,西洋音樂の99%といっていいのかもしれな
      いがほぼこの形式である。
      一方ポリフォニーとは,たとえば四聲(よんせい)であれば,均等の音“量” で
      四つの旋律があり,合わさったときにはじめて,“” たる旋律が完成される。
      その構成,ということだが。
      これはユニゾン Unisonoの概念とはまったく異なるもので,
      一つの聲が獨立しては,つまり個個には甚だ不完全(でおもしろくもない旋律)
      ではあるものの,それぞれ “主”としてなりたちうる。
      つまり他に隨わず,陪伴ではない。
      合唱されるとはじめて調和をもたらし,完成される。
      一が缺けても不完全となってしまう主旋律,(それは甚だ魅力的である・・・)が
      あらたに成立,立ちあらわれてくる,ということだ。
      嚴密にポリフォニーの理論に基づけばリズムもばらばら,ということにもなる。

      こうなると作るのも,むずかしい。 聽くほうは,といえば
      一般に旋律をとらえ聽きとることが,まず耳慣れない,というところで,
      (その點だけなのだ,と思うが)非常に難しい。
      が,一度耳に慣れてしまうとこれが心地よい緊張感である。
      慣れ心地よく感じるためには,ある程度,聽き込まなければならない。
      早道は,ポリフォニーだけをひたすら聽くという。
      英語を何とかモノにするには “日本語のない” 環境におけ!
      というようなカンジかもしれない。が,ポリフォニー音楽の場合,現實には
      それはほぼ不可能なことである。
      自室にこもってひたすらCDレコードだけを,聽き續けるというの苦行に近いが
      自室の外に一歩でたとたん,巷にあふれかえるのはモノフォニー音樂ばかり。
      クラシック音樂にひじょうに詳しいといわれる方でも 
      ポリフォニー,は,ちょっとカンベン・・・という人は意外といる。

      餘語
      一方,弦楽器をこなすひとは,比較的ポリフォニー音楽を聴く人が多いのでは
      ないかという氣がする。
      エレクトリックギター,アコースティック とわず,ロック,ジャズとわず。
      知人に,クラシックなんか一度も聽いたことがない,と豪語する,ボトルネック
      奏法が得意な黒人音楽フリークのギター彈きがいる。その人にポリフォニー
      を聞かせてみたとたん夢中になった,ということがあった。
      思えば,スチール・ギター,スライドギター,みなオープン・チューニング。
      常に弦の一本,一本の存在,主張とその價値,その個性を熟知しているから,
      なのかもしれない。
      つまり,ポリフォニーとは,“個性” を主張しながら一個の楽器をつくりあげて
      奏でる,そうしてはじめて出來上がる,“全體”。
      ということかもしれない。
      ひとりひとりおのおのの聲音,が,まるで弦の一本,一本がたとえばEADG,
      ミラレソの聲音(というか弦の場合テンションということだが),それが合して
      コードが構成されるような,ポリフォニーの構造。
      四人の聲で一つの樂器となる,そんな感覺,といえるか。

      ま,個人の聲は小さく,聽きとりづらく,同じ考えの集團,とりわけリーダーの聲は
      伴奏を伴って大聲音になり,聽きやすい,のは,世のならい,とこれこそ餘語だが。

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       ア・カペラ と カストラート

      そしてア・カペラ。A Cappella。 
      choral music。 without instrumental accompaniment。
      ア・カペラは本來教會の,器楽伴奏のない聲だけの樂曲のこと。無伴奏の合唱。
      語意は,ア・カペッラ。聖堂,禮拝堂に於いて,という意味のイタリア語。
      さて。 
      當然,聲による神の讃歌はきよらかでなければならない,カトリック教會は,野卑に
      陥りやすいとして女の聲を忌避した。神に仕える修道のものが獨身でなければ
      いけないのとおなじ理窟であるである。

      カストラート Castrato   (カウンターテナー・パート)
      そこで,いびつで靡靡たることに,アルト・パートやトレブル(ソプラノ)パートを
      去勢した男性と變聲期まえの少年によってまかない,世界の調和をもたらす
      四部を構成させて聖歌をうたわせた,ということである。
      それがボーイソプラノ の意味であり,カウンターテナーの起源である。
      カストレ(去勢)されたカウンター・テナーをとくにカストラートといったわけ。。

      儒家のいう淫靡な亡國の音樂,新聲百里とか靡靡之楽とは,またちがう。
      ちがうのだが,ある體制を維持するために,音樂を色分けし規制する發想は
      おなじもののようにもに感じる。それ以上に・・・・ry 東西同じ。
      それはそれ  
                   つづく,かも


      勝手な喩えをたのしめば,世界の調和をもたらす四聲ポリフォニーのネウマ譜
      (四線譜)は,四言詩しかも四聲(しせい=平上去入)の律を具えた四言詩。
      どちらも,そんなものは存在しないが。
      五線譜は。五律。?バッカスのことほぎは樂府歌辭?
      てきとーだなあ。
      李白がモーツァルトとすれば,謝朓はジル・バンショア。
      そうなるとジェズアルトはさしずめ孟郊賈島といったところか。

     ☞ 孟郊 五古詩「亡國之音」相互侵陵 《遣 興》 
     

    テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

    《費句 思霜》 四言古體

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        思 霜    Sī shuāng         

    秋霜何凝,白曉淸想    Qiū shuāng Hé Níng,Bái xiǎo qīng xiǎng
    年華凋榭,菊花矜爽    niánhuá diāoxiè, júhuājīn Shuǎng
    常州高材,初露鋒芒    Chángzhōu gāo cái, chūlùfēngmáng
    典藻樸澹,好學謙良    diǎn zǎo pǔ dàn, hào xué qiān liáng
    頽唐侘傺,醉眠悽惘    tuí Táng chà chì, zuì mián qī wǎng
    夢猶瞿瞿,醒寤悄愴    mèng yóu qú qú, xǐng wù qiāo chuàng
    輾轉亂國,栖栖皇皇    zhǎnzhuǎn luàn guó, qī qī huánghuáng
    顛沛催驅,崩離穹壤    diānpèi cuī qū, bēng lí qióng rǎng
    恍如隔世,聲浪飛放    Huǎngrúgéshì, shēnglàng fēi fàng
    觀罅隙裏,火焰萬丈    Guān xiàxì lǐ, huǒyàn wànzhàng
    風風勢勢,尋覓餓郷    fēng fēng shì shì,xún mì È xiāng
    寧知在外,東空月朗    níng zhī zàiwài, dōng kōng yuè lǎng
    誰躱避愛,自由嚮往    Shuí duǒ bì ài, zìyóu xiàngwǎng
    抒發性靈,詩骨賡響    shūfā xìnglíng, shī gǔ gēng xiǎng
    紅梅傲雪,天寒弱晄    hóngméi ào xuě, tiān hán ruò huǎng
    春冰不解,晨曦顥蒼    chūn bīng bù jiě, chénxī hào cāng


    詞人不得,心力夭枉    Cí rén bù dé,xīnlì yāo wǎng
    蹤蹊坎坷,泛舟棹搶    zōng qī kǎnkě,fànzhōu diào qiǎng
    纏身疲痾,怏怏不養    chánshēn pí kē,yàngyàng bù yǎng
    孤苦畸零,形單影雙    Gū kǔ Jī líng,xíngdān yǐngShuāng
    仍仍相因,社會現象    Réngréngxiāngyīnshè huì xiàn xiàng
    層層銜接,無涯漫長    Céngcéng xiánjiē, wú yá màn cháng
    如來如去,宇宙茫茫    Rú lái rú qù,Yǔzhòu mángmáng
    視死歸家,不懼幽壙    shì sǐ guī jiā,bù jù Yōu kuàng
    江河平原,感受坦蕩    jiānghé píngyuán,gǎnshòu tǎndàng
    他本无主,落落大方    tā běn wú zhǔ, luòluò dàfāng
    横遭結局,僅有忼慷    hèng zāo jiéjú, jǐn yǒu kāng kāng
    不愿偸生,書香熾強    bù yuàn tōushēng, shūxiāng chì qiáng.
    信而且達,並世無兩    >Xìn érqiě dá, bìng shì wú liǎng
    唱歌赤潮,人民嗟仰    chànggē Chìcháo, rénmín jiē yǎng
    眩通一線 燿爛指掌    xuàn tōng yīxiàn yào làn zhǐ zhǎng
    思至瞑目,竟成坐上    Sī zhì míngmù,jìng chéng zuò shàng


                    上聲十七


     の霜は何ゆえ凝ごる,曉,想い淸らかにして
     華やかなる年に凋れ謝す,菊花の衿として
     常州高材は初めて鋒芒を露にあらわし,
     典藻は樸なり澹なり,學を好み謙良たり

     頽唐に侘傺して,醉うて眠りて,悽悽とおそれ
     夢に猶,瞿瞿として,醒寤し悄悄とかなしむ
     輾轉,國が亂れ,穹壤は崩れ離れ,
     顛沛が驅りたてる,栖栖皇皇(棲棲遑遑)と

     恍(惚)たるときは隔世の感,聲浪を飛ばし放ちたり
     罅隙の裏に觀る,あかき火焰は萬丈にあり,
     風風勢勢,餓郷に覓ね尋ね,
     蘇俄(サヴェートロシア)にて《東方月》の美しさを寧ろ知らさる

     誰が愛を避け躱してゆけよう,と,“自由” に嚮往す
     性靈を發し抒する,賡し響く詩骨
     紅梅は雪をしのぐものの,天寒,弱き日光,
     春の冰さえ解かしえぬ,晨曦の顥蒼


     詞人とは志を得ず終えるもの,心力つくす枉(むな)しき夭(わか)
     ゆく蹤蹊(みち)は坎坷たる,泛舟は棹の搶(みだれる)
     痾(やまい)つねに纏う身,疲れ怏怏として養わず,
     孤高にして畸零,形(すがた)(ひとつ),影と(ふたつ)のみ

     仍仍とすべて相は因をもつ,社會の現象
     層層と銜(かみ)(つ)ぎつづき,涯の無く,漫長。
     來たるが如く去るが如く,宇宙,茫茫たり
     死を視るはあたかも“家に歸する”,幽壙に埋まるを懼れず

     (長)江(黄)河平原に坦蕩と感受して
     彼,もともと,無主,まさに大いさ落落とせり
     書香の熾強, 生を偸むを願わず,
     横遭した結局にて,ただこのとき,忼慷をしめす

     魯迅曰,“信而且達,並世無兩
     《赤潮》を唱歌せるを,人民ははるかに仰ぎ嗟す
     眩光一線を通し 爛爛燿燿と,光を指掌せる
     思い至すは,坐上にて瞑目,竟に成さん。 


           *  *  *  *  *  *  *  *  *  * 

    霜 Shuāng=は眞名
    何凝 Hé níng=何凝は瞿秋白の筆名のひとつ
    年華 niánhuá=若いとき。紅顏,いちばんよいとき
    凋謝 diāoxiè=草木花葉が枯れ落ちること
    衿爽 jīn shuǎng=孤高。開朗の心性  も名
    典藻 diǎn zǎo=江南人素工典藻,文辭の麗典華藻。をいう
    初露鋒芒 chūlùfēngmáng=早くから才能をあらすこと 成語
    樸澹 pǔ dàn=朴直純良,かつ恬淡

    侘傺 chà chì=失意,悄意,落魄 
    瞿瞿 qú qú=瞿瞿は,恐懼,夢猶は,黄仲則,宵夢猶瞿瞿より
    悽惘 qīwǎng=恐れ 惊惧。惝惘,悵惘,醉眠は秋白の詩《雪意》から
    悄愴 qiāochuàng=悲慯,悼惻 寂静無聲,寂悄
    崩離 bēng lí=分崩,倒塌斷裂
    穹壤 qióng rǎng=天地
    顛沛 diān pèi=受難,貧窮困難,挫折
    催驅 cuī qū=逼迫して催促されるように動く,驅り立てられる
    栖皇(棲遑)qī,huáng=栖は忙忙碌碌,遑:匆忙不安定 『餓郷紀程』よりの語

    恍如隔世 Huǎngrúgéshì=秋白の言葉(1932年12月)《雪意》
    罅隙 xiàxì=裂け目 罅隙裏は《無涯》より
    火焰 huǒyàn=鮮紅。激情,もしくは熾烈な鬪爭の環境をもいう
    風風勢勢 fēng fēng shì shì=瘋子,喪心病狂
    聲浪 shēnglàng=吶喊,叫號,もしくは論調
    飛放 fēi fàng=很快放出。光や聲や恢恢と放つ

    誰躱避愛 Shuí duǒ bì ài,=瞿秋白のことば(1924年)
    嚮往 xiàngwǎn=理想を追う,あこがれ仰ぐ
    抒發 shūfā=叙情を發して
    性靈 xìng líng =性靈をたっとぶ詩人の稱をもいう,性靈派
    賡,響 gēng,xiǎng=賡韵は先,前の詩に和す,つづけること,韵→響は押韻
    傲雪 ào xuě=禪家が,梅花に象徴する精神可喜。強さ美しさ
    晨曦 chénxī=夜明けの曙光  
    顥 hào=白い  顥蒼は空漠とした蒼白い天

    詞人不得 Cí rén bù dé=瞿秋白の五古連作詩より
    夭枉 yāo wǎng=若くして死ぬこと
    蹤蹊 zōng qī=道,途徑
    坎坷 kǎn kě=土地の高低,不得,ものごとのうまく進まないのたとえ
    棹搶 diào qiǎng=舟が逆風に遭うときの帆の位置,逆風不順の喩え,搶は紛亂
    疲痾 pí kē=虚弱,疲勞困憊
    怏怏 yàngyàng=自ら樂しまず,快のない 
    孤苦 gūkǔ=無依,無靠,頼るものない,生活困苦
    畸零 jīlíng=孤高,特異な人,獨行するもの。自ら畸零人と言う,『餓郷紀程』
    形單影雙 xíng dān yǐng zhī=孤獨,伴い歩く人の無し,は原名,成語

    仍仍 réng réng=頻頻と。また惘然失意の貌  『餓郷紀程』よりの語
    層層 céng céng=層をなし逐次積重なる 『餓郷紀程』よりの語 
    漫長 màn cháng=年代久遠,歴史の悠久,はるか昔から
    宇宙茫茫 yǔzhòu mángmáng=瞿秋白の五古連作詩より
    歸家 guī jiā=獄中の秋白の語 『多餘的話』
    幽壙 yōu kuàng=墓穴,荒野の墓 五古連作詩より

    坦蕩 tǎn dàng=開闊,廣大。人の心正直,心胸を開く,瞿秋白のことばより
    落落大方 luò luò dà fāng 擧止の瀟灑で自然な人。坦率開朗,成語
    横遭 héng zāo=慘事にであう,不慮の死 摧殘死するようなときにつかう
    書香 shū xiāng=讀書人の高氣,士風習尚
    熾強 chì qiáng=氣焰,囂張にして強靭
    偸生 tōushēng=志をすて生きる,瞿秋白は再三の投降(轉向)勧告を拒絶した
    僅有 jǐn yǒu=たった一度きり

    信而且達,並世無兩 xìn érqiě dá, bìng shì wúliǎng=魯迅『海上述林』
    赤潮 Chìcháo=《赤潮歌》秋白作。刑戮直前歌聲が塀の外の人民に聞こえた
    眩燿 xuàn yào=目をくらます眼を奪うような耀き,光彩
    坐上 zuò shàng=銃殺處刑の際に瞿秋白は趺坐した


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    《秋夜雜懷》  七言近體

      《秋夜雜懷》     “Qiū yè zá huái”

      詩囚摧暫措嗟吁    Shī qiú cuī zàn cuò jiē xū
      四圍寒蟲稀歇歔    Sìwéi hán chóng xī xiē xū
      不及捨根怨秋恨    Bùjí shě gēn yuàn qiū hèn
      執孤妄折趙兒据    Zhí gū wàng shé Zhào er jù

               平起平韻式  平聲四 吁歔据


    稀歇=xī xiē 次第にまれになり歇(消失)すること
    捨根=shě gēn なにかべつのことにとらわれ本來すべきこと,本分を忘れる
    妄折=wàng shé  無定無原則に從うこと   

    はじめ四圍寒蟲欷歇歔( ●●○○○●○)でつくったが,
    重要なご指摘をいただいて反省した。
    音を換えたくないものの練り直してみたら “希(稀)歇” という語に思い至った
      


    元雜戲本『趙氏孤兒記』挿畫    元雜戲本『趙氏孤兒記』挿畫

    《終夜風騷春宵醒》 五言古體 

        冷冷痛愛,疼疼惜冬

         夜をとおしてその狂風騷擾の音を聽きながら寝つけず。
         自分の心根が冬に拘泥するままに,
         冬が去り春が來ることを,むやみにきらい慄く。
         終夜の果て,(そし)り笑いの裡(うち)に受けいれた,
         どうしたってかならず春は來るものを・・・・。 
         冬は死ぬわけでもあるまいが,季節往來につねに惑亂


    終夜風騷春宵醒  Zhongye fengsao chunxiao xing

    喚醒搖抖框   Huanxing yao dou kuang     喚醒,まど框揺すぶる
    風擾亂睡意   Feng rao luan shuiyi          擾風,睡意を亂す
    薄顫牀内身   Bao chan chuang nei shen       薄顫,牀内の身
    滲凍窗外氣   Dong shen chuangwai qi        凍滲 窗外の氣
    蒙朧已體覺   Meng long yi ti jue        蒙朧とすでに體覺せるに
    冷漠欲惟知   Lengmo yu wei zhī       冷漠ために惟(おも)い知る
    固陋嫌心躁   Gulou xian xin zao           固陋は,心躁を嫌い
    疏庸厭遷移   Shu yong yan qianyi          疏庸は,遷移を厭う
    冬儚疼惜徂   Dong meng teng xi cu        冬儚く,殂くを疼惜し
    春冰蹈渉思   Chun bing dao she si     春冰,思いは踏み渉るごとし
    我自笑裡   wo zi shanxiao li           かく我,おのずと訕笑す
    奈何必來遲  Naihebi lai chi!     どうせ遲かれやって來るんだろうから
      

         平聲二 意氣惟知移思裡遅

    *喚醒=目醒めを喚起,つまり寝ているところを起こす
    *搖抖=ゆらす,ゆすぶる
    *框=窓わく
    *擾=かき亂される。うるさい
    *擾,睡意=睡眠障害,不眠症状のような言葉のいみになる
    *牀=寝床
    *窗=まど
    *滲=侵入
    *冷漠欲惟知=“冷たさ”のためあきらかにもなるの意を含めて,欲
    *固陋=頑迷に固執する,わたし
    *疏庸=疎にして疏略,平庸,愚鈍のわたし
    *徂=死ににゆく。古くは殂におなじ 
    *疼惜=惜しみてあまりあるほど。死ぬほど愛する,Lament。
    *春冰=春の薄い氷。薄而易裂,危うく,容易に消失する事象
    *訕笑=そしりひそかにあざ笑う
    *奈何=どうしようとそうなる


      解題 ;窓わくを揺らす慘冷の風音を聽きながら寝つけず。
           春慘淺寐曉を覺えてわらいよむ。

    孟東野(孟郊) 《旅行》 

    孟東野《旅行》

       ふむこれまた,やけにわかりやすい・・・・。
       タイトルな・・・・。

       《旅行》 ,だって。
       ぷぷ。
       楚水は冰が薄い, 楚の雲は雨も微やか
       野の梅は枝が互い違い(參差さんし)に,まばらに花發(ひら)く
       さては,江南といえど。やっぱり
       サムいんだな。
       さすが,ミスター寒蟲號 (ハンチュンアオ)

       船(旅榜)に乘ったり,
       ウロウロしたり,あそんでから,歸る,・・・と。 
       う,うーむ。旅行なんだから。
       歸らんでどーする。

    《箒星遺憾懐》 五言近體 

      箒星遺憾懐 Zhouxing yihan huái

    日輪不惡滅  日輪,滅びを惡(にく)まず         Rìlún bù wù miè
    晄星馳電掣  晄星,馳せり電掣       Huang Xīng chí diàn chè
    音響如何轟  音響いかに轟くとも         Yīn xiang rúhé hōng
    無者聽絶結  絶え結(おわる)を聽く者無し      Wú zhě tīng jué jié


    太陽眞惡滅  太陽,眞(まこと)滅びを惡(にく)む  Tàiyáng zhēn wù miè
    仁擦化塵屑  仁より擦(かす)りて塵屑に化す   Rén cā huà chén xiè
    星篲何照兆  篲星(ほうきぼし)何を照し兆す   Xīng huì he zhào zhào
    阻走專流血  流血に,ひたすら走るを阻む    Zu zou zhuān liúxuè

     

        平水韻  滅掣結 滅屑血

    解題 jiětí :アイソン彗星の結末,殘念ではあるが。
         古來妖星,兵亂,流血慘事の前兆とされる彗星。
         《管子·輕重丁》“國有篲星,必有流血”
         《晉書·天文志》“篲星所謂埽星,或竟天見則兵起”
         故に云う流血
    箒慧

    篲星=俗稱掃帚星。埽篲(そうすい,たまばたき)に似る
    塵屑=韻字の屑,から。ちりくず
    惡 =憎む,嫌う。動詞の惡は 
        惡,罪過の場合は è
    星馳電掣=急速,一瞬にして走り去る。音速
    照 =知曉,知悉, 通告の意も

    專 =ひたすらに,ひたむきに



                 2013年12月6日

    《雨意無》 滴露不同,處心去處

     雨意無 四言    YuYìWú

    雨驟天縱,悄沈動溶   Yǔ zhòu tiān zòng, qiāochén dòng róng
    綢繆未雨,愴悴淒松   Chóumóu wèi yǔ, chuàng cuì qī sōng
    悲雨霖霖,褪色孟冬   Bēi yǔ lín lín, tuìshǎi mèngdōng
    憫雨霂霂,等候情終   Mǐn yǔ mùmù, děnghòu qíng zhōng
    窄路生懼,搖梢自沮   Zhǎi lù shēng jù, yáo shāo zì jǔ
    不活靈通,森寒古樹   Bù huó língtōng, sēn hán gǔ shù
    來勢洶洶,復氣絮絮   Láishì xiōngxiōng, fù qì xùxù
    滴露不同,處心去處   Dī lù bùtóng, chǔ xīn qùchù
    聽聲風中,離佛遇雨   Tīng shēng fēng zhōng, lí fú yù yǔ
    雨意如空,無端無住   Yǔyì rú kōng, wúduān wúzhù

                 平聲一           去聲四

    天縱=tiānzòng=天放任
    動溶=dòngróng   動搈 。動搖,搖盪
    綢繆未雨=雨が降る前から巢をつくろう小鳥から,念入りにするさま
    霖霖=lín lín やまぬ雨,降りしきる雨
    霂霂=mùmù 微雨,小雨
    孟冬=10月         沮=灰心
    靈通=líng tōng 神通ずる,靈性,通達
    絮絮=xùxù 繁,不斷



      松・雨
     

      雨意無 YuYìWú

        そも聞くに, 雲は無心に山岫の蔭より出づる。

      素聞雲出無心岫    Sù wén yún chū wúxīn xiù 
      悄意憐悲零意驟    Qiāo yì lián bēi líng yì zhòu
      解情洶洶霎雨霖    Jiě qíng xiōngxiōng shà yu lín
      無端滂沛霑濡袖    Wúduān pāng pèi zhān rú xiù   
      
         廣韻去聲四十九 岫驟袖 


      *雲出無心岫=古事成語。雲は雨雲。
       風吹き雨雲が山岫より出る時は無心に
      *悄意=悄然,蒼愴  
      *驟=うごづく,動揺,突然變調す
      *零=しおたれた雨,凋落零淪する
      *霖=久雨不停。日夜ふりつづく雨
      *霎=shah,zah 雨音。しゃー 。一瞬の音。
      *洶洶=水勢 はげしい
      *滂沛=水がつよく涌出する,
      *無端=はしなく。はじめもおわりもなく意味もなく

    雨

     

    孟東野(孟郊) 《春後雨》 

    霎時間,雨散雲歸,無處追尋
                              ―黄庭堅《兩同心》


    孟郊(孟東野)《春後雨》Meng Jiao, Mèng Jiāo

       shà, という言葉は一瞬のような短い時間のことをいう。
      雨カンムリに妾。
      雨聲のこともいう。
      霎霎たり。といえば一瞬ザーッと聽こえる雨音のことだろう。 
      が,どんなにみじかくても,一瞬で降りやむことはまずないだろうから, 
      降りはじめの,ひとをして雨に氣づかせるような音のことなのかもしれない。
      屋内にいて,雨を知る,そのきっかけはいろいろあろうが,
      突如として聽こえてくる
      ざーっ,さーっという音に,心がさざなみたつことも多い。
     
      つまり霎は,心動かす雨の音。
      そして《春後雨》は。
      昨夜,羣物そぞろわきたつような,雨が降る音を聽いた
      朝目覺めて,庭,しかし何もない空虚な庭を見てみれば
      ああ, 
      という解釋はどうだろう。
      一霎雨,には昨夜來の心の動きを想像させる力がある,ということだ。
      非常に孟東野らしい。

    雨

      春後雨  Chūn hou yu 

     昨夜一霎雨  Zuiye yī shà yu      昨夜,一霎雨
     天意蘇羣物  Tiānyì sū qun wù    天の意,羣物を蘇らせしむ
     何物最先知  Hé wù zui xiānzhī    何物最も先んじて知らん
     虚庭草爭出  Xūting cai zhēng chū  虚庭に草,爭い出づ

        平水韻入聲二 物出
        (廣韻入聲六,術 八,物 通用)


    『全唐詩』,『孟東野詩集』九巻・詠物, 『孟郊集校注』(浙江古籍出版社)


       『全唐詩』では《春雨後》だが 『孟東野詩集』《春後雨》になっている
       孟東野はヘンだからなあ・・・・
       詩意からすると,は通じない。どちらが正しいかはナゾ。

    彼岸花 + 葉凋落花 七言古體 《彼岸花》

    彼岸花   anonymous

    彼岸花開開彼岸    彼岸花開く 開くは彼岸
    斷腸草愁愁斷腸    斷腸草愁う 愁い斷腸
    奈何橋前可奈何    戻れぬ橋を前にして 奈何なにができようか
    三生石前定三生    前生今生來生 三生石前 三生のさだめ

    無名氏  『全唐詩』より




          彼岸花忘情花
     

     彼岸花   Bi'anhua

     葉凋花璨            Ye diao hua can
     鮮紅染地血箭爛     Xianhong randi xue jian lan
     花辭葉復            Hua ci ye fu
     又土中碧年恨     You tu zhōng bi yī nian hen
     兩不相逢            Liang bu xiangfeng
     奈何可何無悲願      Naihe kehe wu beiyuan
     有情無縁            Youqing wuyuan
     人心妖多死別攅     Renxin yao duo sibie zan
     此時現世            Ci shi xianshi
     過忘度川情此岸     Guo wang du chuan qing ci'an
     死生相錯            Sisheng xiang cuo
     切留在縁彼岸     Yiqie liu zai yuan bi'an

       解題 ;碧く水底透ける高麗川に遊ぶ秋日に

         彼岸花は開在了,介在す。  
         エメラルド,碧は土中,刺さる怨恨
         鮮紅の辯の石榴石。
         冥界の願花,
         此生の血情。
         赤魂綠魄
         川を渉る
         度り過ぎれば忘却す。

         去聲九
         20121002

     

    孟東野(孟郊) 《喜雨》 

    moukoukiu.jpg

       孟東野は,これ,雨の自由,不羈不束をうたっているのだろうか
       千里のかなたから・・・・やってくるとき。しかも雨の寓意は。
       無意。

       驟雨。
       無心ゆえ。
       驟(うごづ)く,という意味はとつぜん變化する,ということである
       零雨驟散。  驟雨零散。

       淒淸 とは
       微寒のこと,淒涼。
       歌聲の形容によく使われる淒淸は悽愴の意,松風淒清
       ここでは淒淸の雨の聲音と淒涼の意,高枝の孤寂を慰めるの意もあるか
       
       散漫 とは 
       无拘无束という自由の意のほかに
       不集中,零散,分散 もしくは,弥漫四散;遍布という
       雨粒自由に,四散しそして遍く敲く,土を碎く,そんなカンジだろうか

       霑濡。濕涂。
       しかし堅い石を敲き,柔らかい泥土を穿つ。
       瀝滴。
       ちなみに零,とは少しの意,粒。細粒。
       雨,雪の粒が細かく碎かれるところから生じた字意
       碎雪をあらわすに,零星,また零散の語はよく使われる。

       唐詩の五言絶句の,誰にもわかりやすい語,しかし字意深し,という醍醐味。
       字形を吟味すると,轉換されて膾炙される經緯が確かにこれが文化だと
       うれしくなるほどうちのめされる。

       いつしか憂いの騒がしさは消え “字” に夢中になる,
       月亮の夜も。雨の夜も。
       零寥の雨の日も,散漫の日も。
       詩の,効用
       わたしにとっては。てっとりばやく憂さを忘れさせてくれる・・・・。
       ・・・・・明日も雨でもいいや。

    喜雨

      喜 雨  Xi yu

     朝見一片雲  Cháojiàn yīpiàn yun    朝に見る一片の雲
     暮成千里雨  Mù chéng qiānli yu     暮に成す,千里の雨
     淒淸濕高枝  Qīqīng shī gāozhī     淒清と*,高き枝を濕し
     散漫沾荒土  Sanman zhān huāngtu   散漫,荒土を沾ず

           廣韻上聲十  雨土



       霖雨泥我塗,流潦浩縱横 ―― 曹植 《贈白馬王彪》

          霖霖雨。ながくつづく雨のこと。纏綿大雨。
     
          遇雨。 
          雨に適(かな)う。  雨に出逢う。
          雨にも生きる内熱と自在あることをかんじるときもある
          恩恤,めぐみであるという,天算も。
          水。木木,枝枝。櫱(ひこばえ)を濡らす

          遭雨。
          騷に離(あ)う。    雨に會う。
          空も地も,重い。
          堪えがたい,心挫けるときに,重く,ふるあめ
          泪。泣。

       向來苦摧傷,零雨雜飛霰 ―― 陸游 《春晩簡陳魯山》
     
          零散零雨。  驟散霖雨。
          沫の若し露の如し。
          親しい友人の葬別はなぜか,きまってしのつく雨もようだ
       
          戰地に降る雨はどうだろうか。
          ついおもう。
          何,雨,というか。
          どんなものにも,かならず,特別な字,言い回しがある
          それが “文”。 それは又あしたにしようかあさってか
     
          赤い水。人算のおろかさ。命數のしたたるその滴り
          涕。哭。    
      
       戰聾の雨だれをきかんとはするか ―― 富澤赤黄男
       
          火,燈,炎。 燹
          わたしは望んでいるのだろうかと,訝りたくなるくらい
          ちかごろ戰火を身近に感じている。中國との。
          それは惡夢にちがいない。ちがいないのに。感じている。

          傷ついているだけなんだけど
          いや氣づいてるだけなのか

          わたしは病んでいるのか。
          雨は歇む。歇まない雨はない。
          涙。叫。

    gyokuzankumo.jpg

       雲峯雨岫安排定,松竹林林自整齊

          雲無心以出岫, 雲無心にして岫を出で。
         

    琴 謝玄暉(謝朓) 《琴》 浩兮湯湯,鬱兮峨峨

    輕鳴響澗音 ―― 

    曾候乙墓出土的十弦琴是最早的古


    南北朝時代琴を詠んだ詩は多い。ことに謝玄暉 の詩にはよく琴の字を見る。
    そして音が聞こえてきそうな詩を書く,といえばまず謝玄暉をおもいうかべる。
    鼓吹曲の數數は,殘念ながら 昭明『文選 』 には,
    わずかに一曲だけしか収められないが,どれもみな美しい音色を持っているようで,
    清澄に響いてくる感じがするのだ。
    また,謝玄暉は音を擬音語でなく句で鮮烈に表現しているようだ。
    擬音語の妙,珍奇といえば 李長吉 の“語”もすてきだが。
    謝玄暉は五字で音と幽思を表現する。と,そんなカンジ。

    “采采粲粲” ,また “愔愔と”
    “從容として秘玩し,複疊攢仄する” のである。
    今記したこれらの言葉はみな  嵇(康)叔夜 《琴 賦》 から拾ってきた言葉だが,
    わたしにとっては謝朓の詩は弦を撥る,の音響なのだ。

    南齊謝朓(464-499) 《琴》


       謝朓《琴》 ,最後の句“淫淫客涙垂”が,まさに南北朝の悲痛の響き。
    淫淫の聲,靡靡の調,すなわち亂世之音・・・・。

    《琴》

     洞庭風雨幹    洞庭は風雨の(根)幹をなし
     龍門生死枝    龍門,生死の枝(わかれ)なり
     彫刻紛布濩    彫し刻み紛れて布濩(ふかく)たり*
     沖響郁清危    (天に)沖す響き郁として清く危*なり
     春風搖蕙草    春風,蕙草(かおりぐさ)搖らし
     秋月滿華池    秋月,華池に滿たる
     是時操別鶴    是の時,《別鶴操》*
     淫淫客涙垂    淫淫として客,涙垂れり 



      *彫刻,紛=?琴の彫刻をいうのかよくわからない
        彫し刻して紛れてひろがりゆく・・・・
      *布濩=天に盈溢するようなひろがりゆくさま
      *沖響=まっすぐに高く伸びる響きは。
      *郁=かぐわし
      *危=高い,もしくは精巧か
      *別鶴操=琴の曲名

    * 《別鶴操》 の歌辭は夫婦離別の悲痛,かた戀の切ない思いをうたう。
    漢代の別鶴は男女の有情無縁の象徴だが・・・・。
    古來。
    鶴は君子,清らかさ、隠遁,神仙,長壽,氣高さ,白,忠心などの象徴だった,
    魏晉から南北朝時代は,むしろ鶴の鳴く聲の哀しげな響きは,
    詩に詠われれば君上臣下の情,國亂の悲哀の象徴である。
    琴の音,すなわち亂世亡國,あたかも通奏低音のように響いているようだ。



    離堂華燭盡,別幌清琴哀 ―― 謝朓

    ここではちょっと琴にこだわって,
    南北朝時代の琴を詠んだ詩を。
    それほど著名ではないのか,事蹟があきらかではなく,ほかにどのような詩
    を書いているかも定かでないのだが。
    これらの詩からつたわってくるのは,いずれも亡國の遺臣となって,
    善く琴を彈いては羈魂を慰め祖國を懷かしむ,また他郷(おそらくは北朝)に
    流寓して音を知るものの無い寂寥,といった情景である。
    三首。
    どれもかなしい。 
    《楚妃》,《貞女引》,《龍門》 何れも琴の曲,琴操である。
    “掩抑”,“張”,“雜調”,“新聲” は琴や樂の用語。
    《紅塵》 《白雲》 もまたそのような意味があるのだろう,
    嵇叔夜《琴賦》 にでてくるが未詳。
    “雍門” は孟賞君と 雍門子周「琴諫」 の逸話からきているだろう,
    亡國の悲哀に琴の音が涙をさそうという六朝らしい“淒涼蕭瑟”なのであろう。  

    いずれも『詩紀』に収められる。また『文苑英華』も参照した。   

      馬元熙(北齊)  《日晩彈琴詩》


     上客敞前扉   客の目前に扉はゆったりとひらかれている

     鳴琴對晩暉   晩に暉に琴に對して鳴らす
     掩抑歌張女   掩抑*して歌を張す女**
     淒清奏楚妃   淒清と《楚妃》を奏でる
     稍視紅塵落   稍(やや)紅塵に落ちる視る
     漸覺白雲飛   《白雲》の飛ぶを漸く覺ゆ
     新聲獨見賞   ”新聲”,見て獨り賞するを
     莫恨知音稀   恨むなかれ音を知るもの稀なり 


      *掩抑=音の調子を抑える
      *張=張瑟,瑟の弦の調整を謂う語か張聲かよくわからない
      *紅塵=俗世間
       



      沈炯(陳) 《賦得爲我彈清琴詩)

     爲我彈清琴   我,爲に,清琴彈ず
     琴鳴傷我襟   琴の鳴りは我が襟を傷む
     半死無人覺   半ば死して人覺ゆるは無し
     入竈始知音   竈に入りて始めて音を知る
     空爲貞女引   《貞女引》は空しく爲さしめん
     誰達楚妃心   誰に達するや《楚妃》の心(吟)
     雍門何假說   《雍門》,何ずくんぞ,假(うそ)を說かん
     落涙自淫淫   自ずから淫淫として落淚す


      *覺=文苑に見に作る
      *心=文苑に吟に作る

      雍門子周の琴を聽いて亡國の哀しみに涙を流した田文(孟賞君)
      の“雍門琴操”が典故となっている
       


      蕭愨(陳)《聽琴詩

     洞門涼氣滿   洞門に涼氣滿ちて
     閑館夕陰生   館閑じる夕べに陰氣生まれり
     弦隨流水急   弦は水の流れに隨いて急なり
     調雜秋風清   雜なる調べに秋風清
     掩抑朝飛弄   掩抑*して朝に飛弄
     淒斷夜啼聲  淒斷*して夜に啼聲す
     至人齊物我   人,至らば物我齊しかる*
     持此説高情   此れ持ちて高き情を説く


      *持此=文苑に時與に作る
      *淒斷=極度に淒涼として悲痛なるをいう)
      *齊物=『莊子』《齊物篇》
        蕭愨の《秋思》は代表作として知られるがその他は不詳
      



    沈炯は,ほとんど日本で紹介されていないのだろうか,なにもわからない,
    ただ其の詩賦の評價は低いものではない,庾信とならび賞讃されているようだ。
    《詩紀》に収めえられる詩はみなどれもいい。
    《詠 鶴》
    依池屢獨舞  對影或孤鳴  乍動軒墀歩  時轉入琴聲
     
                 ―― 沈炯 《詩紀》九十九


     ☞ 謝宣城全詩集

    琴 嵇叔夜(嵆康) 《琴 賦》彈奏箜篌的隋代樂俑

        琴 賦      嵇叔夜 
    koto0002.jpg



     餘少好音聲,長而玩之。以爲物有盛衰,而此無變;
     滋味有猷,而此不倦。
     可以導養神氣,宣和情志,處窮獨而不悶者,莫近於聲也。 
     是故複之而不足,則吟詠以肆志;吟詠之不足,則寄言以廣意。
     然八音之器,歌舞之象。
     曆世才士,並爲之賦頌。
     其體制風流,莫不相襲。
     稱其材幹,則以危苦爲上;賦其聲音,則以悲哀爲主。
     美其感化,則以垂涕爲貴。
     麗則麗矣,然末盡其理也。
     推其所由,似元不解音聲;覽其旨趣,亦末達禮樂之情也。
     衆器之中,琴德最優,故綴敘所懷,以爲之賦必。



     
    惟椅梧之所生兮,托峻嶽之崇岡。
    披重壤以誕載兮,參辰極而高驤。
    含天地之醇和兮,吸日月之休光。
    鬱紛紜以獨茂兮,飛英蕤昊蒼。
    夕斤納景于虞淵兮,旦唏于于九陽。
    經千載以待價兮,寂神躊而水康。
    且其山川形勢,則盤紆隱深,璀嵬岑目。
    玄嶺峻岩,蚱鱷嶇嶺。丹崖峻蠼·青譬萬尋。
    若乃重秈增起,偃蹇雲覆。
    邈隆崇以極壯,崛巍巍而特秀。
    蒸靈液以播雲,據神淵麗吐溜。
    爾乃顛波奔突,狂赴爭流。
    觸岩觚隈,鬱怒彪休。
    洶湧騰薄,奮沫揚濤。
    沁汩澎湃,蟹嬗相糾西。
    放肆大川,濟乎中州。安回徐邁,搴爾氐浮。
    澹乎洋洋,縈抱山丘。
    詳觀其區土之所産毓,奧宇之所寶殖。
    珍怪琅玎,瑤瑾翕赤色。
    叢集累積,奐衍於其側囝。
    若乃春蘭被其東,沙裳殖其西窖。
    涓子宅其陽,玉醴湧其前。
    玄雲蔭其上,翔鸞集其巔。
    清璐潤其膚,惠風流其問圓。
    竦市肅以靜謐,密微微其清閒。
    夫所以經蕾其左右者,固以自然神麗,而足思願愛樂矣。

    於是遁世之士,榮期綺季之畸,
    乃相與登飛梁,越幽壑,援瓊枝,陟峻嶗崿,以遊乎其下。
    周旋永望,邈若淩飛。
    邪睨昆侖,俯闞海湄。
    指蒼梧之迢遞,臨回江之威夷。
    寤時俗之多累,仰簛山之餘輝。
    羨斯嶽之弘敞,心慷憾以忘歸。
    情舒放而遠覽,接軒轅之遺音。
    慕老意之魂隅,飲泰容之高吟。
    顧茲桐而興慮,思假物以托心。
    乃磯孫枝,准量所任。
    至人攄思.制爲雅琴。
    乃使離子督墨,匠石奮斤。
    夔襄薦法,般佳騁神。  
    鎪會衰廁,朗密調均。
    華繪彤琢,布藻垂文。  
    錯以多象,藉以翠綠。
    弦以園客之絲,徽以鍾山之玉。
    愛有龍鳳之象,古人之形:伯牙揮手,鍾期聽聲,
    華容灼爍,發采揚明,何其麗也。
    伶倫比律,田連操張,進禦君子,新聲慘亮,何其偉也。
    及其初調,則角羽倶起,宮徴相征,參發並趣,
      上下累應,堪踔碣硌,美聲將興,固以和昶而足耽矣。
    爾乃理正聲,奏妙曲,揚白雪,發清角。
    紛淋浪流離,奐淫衍而優渥。
    粲奕奕而高逝,馳岌岌以相屬。
    沛騰邏而競趣,翕晡煜而繁縟。
    状若崇山,又像流波,浩兮湯湯,鬱兮峨峨,怫惘煩冤。
    紆余婆娑國。 
    陵縱播逸,霍瀅紛葩,檢容授節。
    應變合度。
    兢名擅業,安軌徐歩,洋洋習習,聲烈遐布。
    含顯媚以送終,飄餘響手泰素。


    若乃高軒飛觀,廣廈閑房;
    冬夜肅清,郎月垂光。
    新衣翠粲,纓徽流芳,足器泠弦調,心閑手敏。
    觸媲如志,惟意所擬。
    初渉《淥水》,中奏《清徴》,雅昶《唐堯》, 
      終吹《微子》寬明宏潤。
    優遊躇躊。
    拊弦安歌,新聲代起。

    歌曰:“淩扶搖兮憩瀛洲,要列了兮爲好仇。
    餐沆薤兮帶朝霞,眇翩翩兮薄滅遊。
    齊物兮超自得,委性命兮任去留。
    激清響以赴會,何弦歌之綢繆。”

    於是曲引向闌,衆音將歇,改韻易凋,奇弄乃發。
    揚和顔,攘皓腕,飛纖指以馳鶩,紛礎矗以流漫。
    或徘徊顧慕,擁鬱抑按,盤桓毓養,從容秘玩。
    闥爾奮逸,風駭雲亂。
    勞落淩厲,布濩半散。
    十融披離,斐鏵韡奐爛。 
    英聲發越,采采粲粲。 
    或問聲錯糅,状若浼赴,雙美並進,駢馳翼驅。
    初若將乖,後卒同趣。 
    或曲而不屈,直而不倨。
    或相淩而不亂,或相離不殊。 
    時劫掎以慷慨,或怨而躊躇。
    忽飄飄以輕邁,乍留聯而扶艫,或參譚繁促,
      複疊攢仄,從橫駱驛,奔遁相逼。
    拊嗟累贊,間不容息,壤豔奇偉,帥不可識。
    若乃閑舒都雅,洪纖有宜。
    清和條昶,案衍陸離。
    穆温柔以怡懌,婉順敘而委蛇。
    或乘險投會,邀隙趣危。
    嚶符離鴣鳴清池,翼若遊鴻翔曾崖。
    紛文斐尾,琳繆離緬。  
    微風餘音,靡靡猗猗。
    或摟抱櫟捋,縹繚澈冽。
     輕行浮彈,明嫡隙惠回。
    疾而不速,留而不滯。  
    翩綿飄邈,微音迅逝。
    遠而聽之,若鸞風和嗚戲雲中;迫而察之,
    若衆葩敷榮曜春風。
    既豐贍以多姿,又善始而令終。
    嗟姣妙以弘麗,何變態之無窮。
    若夫三春之初,麗服以時,乃攜友生,以邀以嬉。
    涉蘭圃,登重基,背長林,臨清流,賦新詩。
    嘉魚龍之逸豫,樂百卉之榮滋。
    理重華之遺操,慨遠慕而長思。
    若乃華堂曲宴,街友近賓,蘭肴兼禦,旨酒清醇。
    進南荊,發兩秦,紹陵陽,度巴人,變用雜而並起,
    竦衆聽而駭神。
    料殊功而比操,豈笙龠之能倫。

    若次其曲引所宜,則廣陵止息,東武太山。
    飛龍鹿嗚,鵾雞遊弦。
    更唱叠奏,聲若自然,流楚窈窕,懲躁雪煩。
    下逮滔俗,蔡氏五曲。
    王昭楚妃,千里別鶴。
    猶有一切,承間篷乏,亦有可觀者焉。
    然非夫曠遠者不能與之嬉遊,非夫淵靜者小能與之閑止。
    非放達者不能與之無吝,非至精者不能與之析理也。
    若論其體勢,詳其風聲:器和故響逸,張急故聲清;
    閑遼故音癉,弦長故徽嗚。
    性沽靜以端理,含今德之和平,誠可以感蕩心志,
      而發泄幽情矣。
    足故懷戚者聞之,莫不憯懍慘淒,愀愴傷心,
      含哀懊咿,不能自禁。
    其康樂者聞之,則歟愉歡釋,撲舞踴溢,
      留連瀾漫,嗡噱終口。
    若和平者聽之,則怡養悅念,淑穆玄真,
      恬虚樂古,齊事遺身。
    足以伯夷以之廉,顔回以之仁,比幹以之忠,尾生以之信,
      惠施以之辯給,萬石以之訥慎。
    其餘觸類而長,所致非一
    同歸殊途,或文或質。
    總中和以統物,鹹日用而不失。
    其感人動物,蓋亦弘矣。
    于時也,金石寢聲。
    匏竹屏氣。
    王豹輟謳,狄牙喪味。
    天呉踴躍於重淵,喬披雲而下墜。
    舞磁鸑鷟瓷於庭階,遊女飄焉而來萃,感人地以致和,
      況蚑行之衆類。
    嘉斯器之懿茂,詠茲文以。
    永服禦而不厭,信古今之所貴。


    亂曰:愔愔琴德 不可測兮 體清心遠 邈雄極兮
        良質走手 遇今世兮 紛綸翕響 冠衆藝兮
        識音者希 孰能珍兮 能盡雅琴 唯至人兮

     

    孟東野(孟郊) 《游子》  不見萱草花

    誰言寸草心 報得三春暉  ―― 游子吟 孟東野

    古來,母が“令堂”,“母堂”萱草
    と呼稱されるのは,廟堂を
    まもる主婦,母の居室を
    堂,北堂などと謂うため。

    その堂前に萱草を種る
    という慣いから,母の
    ことを “萱堂” とも
    謂う。詩歌に詠われ
    てきた忘憂草,萱草,
    ワスレ草,ノカンゾウ。
    中國語名は,かず多く
    あり,“宜男草”,
    “黄花菜”,“療愁”“金針”,“鹿箭”等。
    また母の誕生日を“萱辰”と言ったりもする。

       孟東野。 貧窮の生涯, 扶持をもとめて轉輾とさすらう
     
    孟郊(孟東野) 游子

     寒門,貧しい家に生まれた息子は,故郷を遠く離れて旅にでる。
     寒門のうちにくらす慈母は,息子の歸りをいまかいまかと,
     日がな一日堂門にもたれ,途のむこうをのぞみて,待ち暮らす。
     
     この母の住まう堂前には萱草がはえるているもの,
     しかし,この母は飽かず,道の遠く涯を眺めこらして
     萱草花の咲くも,見やることなしに・・・・

     わたしの初見の解釋はこうだったが・・・・。
     つまらない詩だな,孟郊にしてはあたりまえすぎる,と。
     “孟東野迷” としては,これで終わるわけにはいかないの。
     よくよくながめて,この五古の“絶句”をあじわいつくすと。 

     起句,萱草生堂階の“”。
     音のうつくしさもさることながら
     この,のニュアンスが深い。というかすべてである,かもしれない。


      游子   Youzi

    萱草生堂階   Xuancao sheng tang jie 
    遊子行天涯   Youzi xing tianya
    慈母倚堂門   Cimu yi tang men
    不見萱草花   Bujian xuancao hua

             廣韻下平聲九  涯花
     
     *萱草=わすれ草,忘憂草。悲しみ憂いをわすれる草と
          日本語の紫の花の勿忘草とはまたちがう。
          万葉でも多く歌われるのはどちらのほうなのだろうか。
     *堂階=堂は母の居室のこと。その戸口の前の階
     *遊子=旅にでたきり戻らない。
          “兒”のことも“夫”のこともいうし“愛人 Airen” のこともいう
     *倚 =もたれて



    萱草,生ず,堂階に。
    そもそも萱草は北堂にあるもの,とは『詩經』のむかしから。
    自明のことである。
    さらに中國では萱堂とは,母のことをいう。
    自明のことまでわざわざ説明しないのが,字數の少ない“絶句”のよさというもの。
    つまり,では萱草,萱草花と二度くりかえさなければならないその意思とはなにか。

    若いときから科擧になんども失敗しつづけ,壯年に至りようやく進士に及第する。
    それまでに,貧惨を窮めつくし,辛酸をなめた。
    母を呼び寄せ,ともに暮らすことができたとき,彼は五十歳であった。
    母の“游子” に對する慈愛の情,また“游子” の母への深い愛情,を詩にうたう。
    孟郊はそんな情のこもった,かなしみにみちた樂府をいくつも書いている。

    kanzou2jpg.jpg  日の差さない
      北の堂に植うる,あるいは
      また,生じる草花である。
      憂いを忘れる草,忘れ草
      夏には赤黄色の花が咲く。
      
      起句,生ずべきもの
      そして
      結句,それが,生じない
      という解釋はどうだろうか
      なぜなら
      轉句,慈母倚堂門
      だから,と。 
     
     

     飽かず絶えず門にもたれて  目を凝らしている,  門を往來する母,
     踏み固められる堂の階,ということなのかもしれない。
     そうすると結句の“不見” は二つの意味に看てとれる。

     まるで,あそこに生えているのを見たことがないね,と,
     母は氣づかない,見ることもしない,と。
     萱草を見たくない,忘れたくないのだ,と

     どれだろうか,と,つきつめる必要などもとよりない。
     解釋は自由。
     漢詩を讀むにつけ,わたしがおもうのは,正解は かならずある
     しかも,いくつかある,ということ。
     とくに,絶句(句切れ)を讀む作法でもあるとおもうのだ。

      
      忘れ草わが紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため
                      大伴旅人(万葉集巻三)

    ちなみに孟東野の忘憂草はもうひとつ。笑えます。
    まったく違った,うたわれかたの忘憂草 ☞ 孟郊 《 百憂
    孟郊全詩集
    孟郊樂府・詩解釋

    Marcel SchwobⅠ 『少年十字軍』

      Marcel Schwob “La Croisade des enfants”

     氣まぐれに。
     マルセル・シュオッブ(1867-1905)の『少年十字軍』 を
     『少年十字軍』は1896年フランスで出版され,1915年上田敏の翻譯
     によって日本に紹介された。その白眉といえる美しい詩章(Récit)。
     《癩の章》 (Récit du lépreux) 
     癩やみは白い。白い頭巾をかぶり白衣を着る。
     そして人が近づかぬよう,自ら堅木を叩いて病を知らせなければならない。

    癩病やみの話  マルセル・シュヲブ  上田敏譯

    あたしの申上(まをしあげ) る事を合點なさりたくば,まづ,
    ひとつかういふ事を御承知願ひたい。

    の頭巾に頭を裹(つゝんで),堅木の札をかた,かた,いはせる奴めで御座るぞ。
    顔は今どんなだか知らぬ。手を見みると竦(ぞつ)とする。
    (こけ)のある鉛色の生物のやうに,眼の前にそれが動いてゐる。
    噫ゝ,切つて了(しま)ひたい。
    此の手の觸つた所も忌まはしい。
    紅い木の實を摘取ると,すぐそれが汚れて了ひ, 
    ちよいと草木の根を穿(ほじ)つても,この手が付くと凋(しぼん)んでゆく。

    「世の人々の御主(おんあるじ)よ,我をも拯(たすけ)給へ。」
    此世の御扶(おんたすけ)蒼白いこのわが罪業は贖(あがな)ひ給はなかつた。
    わが身は甦生(よみがへり)の日まで忘れられてゐる。
    冷たい月の光に射されて,人目に掛かゝらぬ石の中に封じ込められた,
    蟾蜍(ひきがえる)の如く,わが身は醜い鉱皮(くわうひ)の下に押し籠こめられてゐる時,ほかの人ひとたちは清淨な肉身で上天するのだらう。

    「世の人々の御主よ,われをも罪無くなし給へ,この癩病に病む者を。」
    噫ゝ,淋(さむ)しい,あゝ,恐い。
    齒だけに,生來の白い色が殘つてゐる。
    獸も恐がつて近づかず,わが魂も逃げたがつてゐる。

        1212年LaCroisade
                  La Croisade 1212

    御扶手(おんたすけて),此世を救ひ給うてより,今年まで一千二百十二年になるが,このあたしにはお拯(たすけ) が無い。
    主を貫通(つきとほ) した血染めの槍が,この身に觸らないのである。
    事に依つたら,世の人たちの有(もつ)てゐる主の御血汐(おんちしほ)で,この身が癒(なほ)るかも知しれぬ。
    血を思ふことも度々だ。この齒なら咬付(かみつ)ける。
    真白の齒だ。
    主はあたしに下さらなかつたので,主に屬する者を捉(つかまへ)たくなつて堪(たま) らない。

    さてこそ,あたしは,ワ゜ンドオム(Vendôme) の地から,このロアアル(Loire)の森へ下りて来くる幼兒(をさなご)たちを跟(つ)けて来た。
    幼兒たちは皆十字架(クルス)を背負つて,主の君に仕へ奉る。
    してみるとその體も主の御體,あたしに分けて下さらなかつたその御體だ。

    地上にあつて,この蒼白い苦患(くげん)に取巻かれてゐる
    わが身は,今この無垢の血を有(もつ)てゐる主の幼兒の
    頸に血を吸取つてやらうと,こゝまで見張つて來たのである。

    「恐れの日に當たりて,わが肉新(あらた)なるべし。」
    (みんな)の後から,髪の毛の赤い,血色の好い兒が一人通る。騎士
    こいつに眼を付けて置いたのだから,急に飛付いてやつた。
    この氣味の惡い手で,
    その口を抑へた。

    粗末な布きれの下衣(したぎ)しか着てゐないで,
    足には何なにも履かず,
    眼は落着いてゐて別に驚いた
    風も無く,こちらを見上げた。
    泣出しもしまいと知つたから,
    久しぶりで,こちらも人間の聲が
    聞きたくなつて,口元の手を離して
    やるとあとを拭きさうにもしないのだ。
    眼は他(よそ)を見てゐるやうだ。

       ―おまへ,何て名だ
    と質(きいて)みた。
      ―ティウトン(Teuton)のヨハンネス
    と答へる其の聲が透きとほるやうで,聞いてゐて,心持ちが好くなる。
      ―何處へ行くんだ
    と重ねて質いた。さうすると,返事をした。
      ―耶路撒冷(Jérusalem)へ行くのです,聖地を恢復(とりかへし)に行くのです
    そこで,あたしは失笑(ふきだ)して質(き)いて見た。
      ―耶路撒冷(イエルサレム)つて何處だい。
    答へていふには,
      ―知りません。
    また質いて見た。
      ―耶路撒冷(イエルサレム)つて一體,何だい。
    答へていふには,
      ―私(わたくしたち)の御主(おんあるじ)です。
    そこで,復(また),あたしは失笑(ふきだ)して,質いて見た。
      ―おまへの御主(おんあるじ)つて誰の事ことだ。
    答へていふには,
      ―知りません。唯,真白(まつしろ)な方です。

    此返事を聞いて,むつと腹が立たつた。
    頭巾の下に歯を剥出(むきだ)して血色の好い頸元に
    伸し掛かゝると向うは後退(あとすざり)もしない。また質いて見みた。
      ―何故恐くない。
    答へていふには,
      ―何の恐いものですか,真白な方かたですもの。
    この時とき涙はらはらと湧いて來た。地面に身を伏せ,氣味(きび)の惡い唇ではあるが,土の上に接吻して大聲に叫んだ。
      ―あたしは癩病みぢやないか。
    ティウトンの兒はしげしげと視てゐたが,透きとほつた聲で答へた。
      ―知りません。

    さてはわが身を恐がらないのか,ちつとも恐いと思つてゐない。
    この兒の眼には,あたしの恐しい白栲(しろたへ)が,
    御主のそれと,同じに見えるのだ。
    急いであたしは,一掴みの草を毟(むし)つて,此兒の口と手を拭いてやつて,
    かう言つた。
      ―安らかに,おまへの白い御主の下(もと)へ行け,
       さうして,あたしをお忘れになつたかと申上げて呉れよ。
    幼兒(をさなご)は黙つて,あたしを見つめてくれた。
    この森蔭の端(はづれ)まであたしは一緒に行つてやつた。
    此の兒は顫(ふる)へもしずに歩いて行く。
    (つひ)にその赤い髪の毛が,遠く日の光に消えるまで見送つた。

    「幼兒(をさなご)の御主(おんあるじ)よ,われをも拯(たすけ)給へ。」
    このかた,かた,いふ木札(きふだ)の音が,淨い鐘の音の如く,願はくは,あなたの御許(おんもと)までも達(とゞく)やうに。頑是無(ぐわんぜな)い者ものたちの御主よ,われをも拯(たす)け給へ。 

            十字軍 ベネチア




    Je ne sais pas; il est blanc.

        ひとつだけ。上田敏の譯に氣に入らないところがある。
           “Je ne sais pas; il est blanc” 
           “わたしは知らない,かれは白い” 
        この,シュオッブのフレーズ(Phrase)を
           “知りません。 唯,真白な方です” 
        と,してしまったたところ。 
           “唯” も “方” も よけいである。 と思う
        この,知らない,白い,というシンプルな表現が“素”。素白。無端の白さ。
        だからこそ,普遍(あまねくあり)。かつ絶對の白とそれに對比される,
        竦(ぞっ)とする白,癩者の白が立ち上がる,と。

      ☞ La Croisade des enfants :Récit du lépreux フランス語原文

               *      *      *

     舊約のヨブ記を手元に置いて讀むならば,
     これは非常に示唆的な詩片だと思う。
     自らの生まれた日にちを呪うヨブと,
            「わたしが大地を据えたときお前は何處にいたのか」
     と,問う神。その關係の疵謬に對する逆説的な解の一ですらあるよう
     に思えるのだ。 
     と,さはさりながら・・・・。 
     自ら “大地をすえた”,“人に息を吹き込んだ” とのたまいし
     アブラハムの徒の 神よりも,南アジアの風土とヒンズー敎の合一,
     サンカン・パラニン・ドウマデイ
     Sangkan paraning dumadi “いのちは何處から生じ,行き着くところは何處か”
     この命題,に牽かれ,しだいに一神敎より遠ざかってしまった。
     また,佛教のśūnyatā),その 無端無住の軛に繫がれるようになってからは,
     宗教的な意味でも,文學表現においても,キリスト敎にすっかり興味がなくなって
     しまった。
     とは言え,このシュオッブの 『少年十字軍』 とりわけ癩(レプラ)の章は,
     ひさしぶりに讀み返せば,今も,澎湃と熱いものが渤し來たる。
     やはり深い感動を覺えるのだ。また,この詩情はキリスト教徒の信仰に
     照らしても,
     決して“異端的” なものでなく,異教徒にとっても親密に兩の腕に
     受けとめられる類だ,と思った。
     とりもなおさず,“普遍性がある”,ということ,これが言いたいだけなのだが。 
     もっとも,M・シュオッブの文學を,キリスト敎異端の文學だ,と捉えている
     それじたい,わたしの勝手な,偏ったみたてにすぎないかもしれない。

    MARCEL SCHWOB
       MARCEL SCHWOB  le 26 février 1905 mort à Paris



    癩病の癩は漢語だが,北條民雄*の小説を讀むと,
    かつたいという言葉が
    頻繁に出てくる。
    じっさい「(かったい)の瘡(かさ)うらみ」という,意味するところの非常に慘酷な,
    かつ,音の哀しげに美しい日本語のいいまわしもある。

    司馬懿 草書 “白”ちなみに「癩の瘡うらみ」,
    瘡(かさ)は梅毒やみ,のことである。
    近頃の辭書には載ってないか,あるいは,
    「すこしでも自分よりよい境遇をうらやむこと」
    とある・・・・!?驚いたな。
    イミを矮小化するにもほどがある。
    (だから,日本人はことばを,そまつにしている
    日本語が豐かでなくなれば,ひいては日本人。
    の感性を減じしまいに滅ぼす,というんだ
    (ッタク)

    ・・・・。
    この “かつたい” の語原をご存知の方がいらしたら,
    是非ぜひ敎えていただきたくおもうのだが,上田敏かたかたいはせるという譯語は,
    “かつたい” の音をうまくつかった玄妙の表現なのか。
    あるいは “かったい”自體が,日本では,“かたかたいはせて” いたのか,
    (さらに踏み込めば,“かたかたいふ”,だから,“かったい”なのか)。 
    ちなみにシュオッブの原文では拍子木,あるいはカスタネットのようなイメージの
    言葉がつかわれる。(secoué un cliquet de bois dur.ラチェットの堅木を揺らせ)

     *北條民雄= (1914年9月22日京城 - 1937年12月5日)
      ハンセン病により隔離された全生園での生活の中で小説を書いた。
      日本文學の歴史のなかで,絶對に忘れてはいけない作家である。
      その,代表作 いのちの初夜(1936),これこそ國語の敎科書に
      積極的に採用されるべきだと,わたしは心の底からおもっている。
          ☞ いのちの初夜 北條民雄

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    Marcel SchwobⅡ『少年十字軍』法王の祈禱

    Marcel Schwob “La Croisade des enfants”
     その,“Récit du Pape InnocentⅢ. ”『少年十字軍』法王の祈禱上田敏譯


    法王イノケンティウス三世(1161 - †1216)
    1198年から第一七六代ローマ教皇。Lotario de' Conti di Segni 
    ローマのコンティ家出身。この,M・シュオッブの“少年十字軍”
    の悲劇があった(1212年)時の敎皇。またカトリック諸國を糾合した
    連合軍による『ナバス・デ・トロサの戰い』はムワッヒド朝のカリフに
    壊滅的な打撃をあたえた。この闘い(La Batalla “あの戰爭”と呼ばれる)
    が以降のマグレブ地方の衰退をまねくことになる。
    (所謂レコンキスタ=失地回復)。強權的な敎皇は南フランスの異端
    カタリ派)の彈壓(アルビジョア十字軍)をも躊躇しなかった


    ちなみにイノケンティウス三世のウィキペデイア(日本語版)の記述はちょっと意味不明
    うそ八百といっても過言ではない。ちょっとあきれた。

    敎皇イノセンティウス三世
    Pape Innocent (Innocentius Ⅲ)


    餘語
    十字軍や異端信仰の,中世と最初の千年王國の末世,を描く比較的有名な映畫は,イングマール・ベルイマン( Ingmar Bergman)の【第七の封印】
    (1957年 The Seventh Seal ) がある。
    黒死病(ペスト)と癩(かつたい),どちらも中世,十字軍とは切り離せない,
    また“聖” と “穢れ”の因縁のひとつにほかならない。
    聖女聖者の奇蹟。 王が行う瘰癧さわり。
    『少年十字軍』 のとりわけ 『巡禮』,“聖と穢れ”に關連して特化すれば。
    ルイス・ブニュエル Luis Buñuel の【銀河】La Voie lactée 1968年)という
    サン・ジャック(聖ヤコブ)・デ・コンポステッラへの巡禮の旅を描いた映畫
    がある。

    この映畫の公開と,シュオッブ『少年十字軍』を學生時代に講読した時期が同じだったため強烈に結びついてしまい印象にある,ということもあるのだが。
    パゾリーニ風の,諧謔に満ちたロードムーヴィーといった
    おもむきだが,ジツは,
    パゾリーニ映畫の代表的男優であるピエール・クレマンティの友情出演があったり
    マルグリット・デュラス【インディア・ソング】
    【去年マリエンバードで】の主演女優デルフィーヌ・セイリグ
    出演したことでも話題になった。
    非常に好きな監督,俳優たちもぞろぞろの,キリスト教異端に題材をとった
    おもしろい映畫だった。
    たしか三百人劇場だったか,さっぱりイミ不明・・・なところもたくさんもあったが
    ・・・・面白くてはまってしまい一日中座って觀てたことを覺えている。
    (ということは入れ替えナシだったんだろーな・・・・。)

    そもそも何でこんな記事書いてるかと言うと・・・・
    八月黨系の南アジア系インド小説の連載書評,がすごくおもしろいから。
    (ナゾなw)

    アルビジョア十字軍兵燹
    La Croisade Contreles Albigeoi 1209

    Et moi, Innocent, je ne sais pas, je ne sais pas.

     あきらかならしめる,即 “白い” である。
     Innocent も 白 Je ne sais pas も
     “白”
     J’ai(癩病みの女) la tête couverte d’un capuchon blanc 
     Je(幼兒) ne sais pas; il (かれ=神)est blanc.
     Seigneur, ce sont tes petits innocents.
     Et moi(法王インノケンティウス), Innocent,

     いらへる幼兒の
     癩病みの女の
     法王インノケンティウスの,獨りごと,
     みなが一樣につぶやく
     je ne sais pas, je ne sais pas.
     ―しらない,しらない―

     獨白。(白は漢語で述べる,話す,陳ぶだ)
     知る,知らない,これも白である。
     あきらかならしめる,このことを意味する語,,
     ほかのことも,東西共通なのかもしれない。
      “白い” そして無知
     また,潔白。空白。照白。明白。獨白。告白。  

    法王の祈禱
      マルセル・シュヲブ  上田敏譯

    香煙と法衣とより離れて,わが殿中の一隅金薄(きんぱく)の脱落(はげお)ちた
    この一室に來れば,ずつと氣やすく神と語ることが出來る。
    こゝへ來ては,腕を支へられずに,わが老來(おいらく)を思ふのである。
    彌撒(ミサ)を行ふ間は,わが心自づと強く,身も緊しまつて,
    尊い葡萄酒の輝やきは眼に満ちわたり,聖なる御油(みあぶら)に思も潤ふが,
    このわが廊堂の人げない處へ来ると,此世の疲れに崩折(くづを)れて,
    (くゞま)るとも構ひない。

    「見よ,この人を。」(Ecce homo !
    主は實に訓令と敎書との莊嚴を介して,其司祭等の聲を聞取り給ふのでは
    あるまい。
    紫衣も珠玉も絵画も主は確かに嘉し給はぬ。
    唯この狹い密房の中より發するわが不束な口籠りならば,
    或は愍み給はむも知れぬ。
    主よ,かゝる老の身の予は,今こゝに白衣を着て御前に伺候し奉る。
    予はインノセンスと呼ばれて,君の知ろしめすが如く,何もえしらぬ。
    而して予が法王の聖職に在ることを容(ゆる)し給へ,
    聖職は始より既に制定せられ,予は唯之に從ふのみ。
    予がこの高位を設置したのでは無い。
    予は先づ日の光を,色硝子の莊麗なる反映(てりかへし)に窺はむより,
    寧ろこの円形の玻璃板に透見るを悦ぶ。
    世の常の老人の如く,予をして哭(な)かしめ給へ,永遠の夜の波の上に,
    辛らく差上げたこの蒼白の皺顏を君の御前に向け奉る。
    わが世の終(はて)の日數の經ちゆく如く,
    この痩せ細つたる手指をそうてわが指金(ゆびがね)も滑べり落ちる。

    神よ!
    予はこの世に於ける君が御名代として,信仰の淨い葡萄酒を湛へた,
    このわが凹めたる手を捧げ奉る。

    世に大なる犯(をかし)がある,極めて大なる犯がある。
    吾等は之を赦免し得る。
    世に大なる異端がある,極めて大なる異端がある。
    吾等は仮借せずに之を罰せねばならぬ。

    白衣を着て金薄も脱落したこの密房に跪く時予は烈しい苦悶に
    悩んでゐる。
    主よ,
    世の中の犯(をかし)と,異端とは,壯大なるわが法王職の領分に屬するか,
    或はまた,
    一介の老人が單に合掌するこの光の圏内に屬するかを判じ難いからである。
    また君が御墓についても惱んでゐる。
    御墓はいつも異教徒にとり巻れてゐる。
    これが恢復を計る者も無い。
    今はたれも聖地に向つて君が御くるすを導くことなく,
    われらは皆昏昏として眠つて居る。
    騎士は物の具を収め,國王は指揮を忘れた。

    主よ,われはまた胸をうつて,自ら責めてゐる。
    弱い哉,老いたる哉。
    廊堂のこの狹い密房に立ちのぼる,このわが囁に聞き給へ,
    而して御諭を授け給へ。
    わが臣下等は,フランドル(Flandres),獨逸(Allemagne)の國々より,
    馬耳塞(Marseille),ジエノア(Gênes)の市市に亘つて不思議の報知を
    送つて來る。
    今までに無い異端の宗派が生じた。
    處處の市市は默したる裸形の女人等が走り歩くを見た。
    この恥知らぬ啞の女等はたゞ天に指すばかり,
    又數多の狂人は朝いちに立つて,世の破滅を説く由。
    修道の隱者,流浪の學生たちは,いろいろの噂をしあふ。

         

    而していかなる心の狂惑にや七千有餘の小兒等は,
    それとなく心ひかれて家を棄て出た。
    御十字架(みクルス)と杖とをもつて旅に出でた者が七千人もある。
    何の武器も有つてゐ無い。
    頼るべ無き幾千人の小兒等よ,われらの恥辱よ。
    彼等は真の敎を辨へてゐない。
    わが臣下どもが尋ね問ふと,一齊に答へて,聖地の恢復の爲,
    イエルサレム(Jérusalem) へ行くといふ。
    さりとて海は越されまいと訊けば,否,海は波をわけて干上り,通路を開くに
    相違無いと答へる。
    信心深い,世間の親たちが,彼等を引留めても,夜の間に閂を破り,
    垣を越えて了ふ。
    小兒等の多くは貴人の落胤である。
    不憫極まる者どもかな。

    主よ,是等の嬰兒は皆破船の憂目を見て追つて,モハメット(Mahomet)
    の宗門に渡される。
    バグダット(Bagdad)の帝王は遠い其宮殿に待伏してゐる,或はあらくれの
    船乘の手に落ちて人買に賣られる。

    主よ,敎法の掟に從つて,言上する事を,容し給へ。
    必定,この小兒十字軍は善い業(わざ)で無い。
    之が爲に御墓の恢復は思ひもよらぬ。
    唯正しき信仰の外端(へり)に徜ふ浮浪の徒を増すばかりである。
    わが司祭等は之を保護しえまい。
    あの憐れなる者どもには確に悪魔が憑いた。
    彼等は山上の豕の様に群を成して斷崖の方に走つて行く。

    主よ,君のよく知り給ふ如く,悪魔は好んで幼兒を捉へる。
    曽つて,彼は鼠取の姿を假りて,其笛の音にハメリン(Hamelin)の町の
    子等を誘つた。
    子等は皆ヱ゛ゼル(Weser) の河中に溺れ死んだとも言ふ。
    又は,或る山の中腹に封じ籠まれたともいふ。
    信仰無き者の呵責される處へ,悪魔が幼兒等を導かぬやう,
    用心せねばならぬ。

    主よ,君のよく知り給ふ如く,信仰の改變は善い事で無い。
    信仰は,ひとたび燃立つ叢に現れて,直ぐに幕屋の中に収められた。
    後また,髑髏(されかうべ)が丘*の上,君が唇に洩れたことはあるが,
    之を聖體の器と筺とに蔵せよとの神慮であつた。
    今是等の稚い預言者等は君が敎會の大厦を破碎しさうである。
    これは是非禁遏せねばならぬ。

    見よ,油にて淸められたる吾等は君に奉仕して白衣と長袍とを摩り耗らしつゝ
    救を得ん爲の一心に,諸の誘惑に抗(はむかつ)てゐる。
    さるを今,己が爲す行いの何たるを辨へぬ彼等をも嘉し給はば,
    即ちわれ等司祭を,貶しめ給ふに非ざるか。
    もとよりこれらの幼兒を,君の御許に到らしめたい,但し君が御教の道に,
    依らねばならぬ。

    主よ,君が御掟に從つて,かくは言上し奉る。
    是等の幼兒は,此儘にして終に死すべきか。
    願はくはインノセンスの治下に新しき幼兒インノセンスの戮殺あらしむる勿れ。

    噫,神よ,この僧冠を戴きて君が御諭を乞ひ奉る事を恕し給へ。
    老衰の身顫はまた襲ひ来る。
    この憐れなる手を見給へ。
    老い朽ち果てたる此身かな。
    幼兒の信仰はもはやわが心に無い。
    この密房の壁に歳を經た其金色は,らみ果ててゐる。
    御空の日の円影まるかげもらんでゐる。
    (ころも)白い,涸れたわが心(むね)は淸い。

    君が御掟に從る。わが心,今疲れ倦んで惑ふ。
    或は罰も下し難く,また赦免も與へ難いのであらうか?
    われらの過去を憶へば決斷に躊躇する。
    此身はまだ奇跡を見たことが無い,心の暗を照し給へよ。
    或はこれが奇跡なるか?
    主は如何なる休徴*(しるし)を彼等に與へ給ひしぞ?
    時は今來たか?
    わが身の如き老いたる者も,君の淸き幼兒のやうに白かれ
    御意し給ふか?

         

    噫,七千人!
    たとひ信仰に無知なりとも,七千人の幼兒インノセンス無知を罰し給ふか?
    われも亦,インノセンスといふ。

    主よ,われも彼等の如く罪は無い
    老の極(きはみ)のこの身を罰し給ふ勿れ。
    彼等の願望は決して成就しまいと,永い歳月は予に敎へる。
    それとも,これが奇跡であらうか?

    他の冥想の時の如く,密房は今寂としてゐる。
    現身に立出で給へと求め奉る事の無益なるは勿論ながら,
    わが老年の高みより,法王職の高みより祈り奉る。
    願はくは教へ給へ。

    今は何にも解らぬ。
    主よ,彼等は君が憐れなる幼兒インノセンスである。
    而してわれ,インノセンスには,すべて,わからぬ,わからぬ。

     


      *休徴=よきしるし。めでたきしるし。祥兆,瑞兆
      *髑髏が丘=sur le Golgotha ゴルゴタの丘

       ? と!太字に強調は,上田敏譯文にはない,
       行段落は原文とあわせて,對照しやすいようにした。

     ▼フランス語原文

    続きを読む»

    《感懐 寒氣》 五古

     冷冷痛愛,疼疼惜冬 

     《感懐・寒氣》   Hanqì

       身痛風冷通    身痛,冷たい風が通る
       胸中無音息    胸中の息,音もない
       敢低誦沈吟    低く誦んじ沈吟するに
       憂募觀哀色    憂い募りて觀るは哀色
       詩句只奔沌    詩句はただ沌として奔り
       倫質徒太直    倫質の徒らに直にすぎる
       情話奪健氣    情話は健氣を奪い
       義言枉性力    義言は性力をむなしくす
       爾大小雅    たまにはあり。大雅,小雅
       往常黄仲則    つねにあるは,黄仲則詩
       平生雜擾擾    平生雜として擾擾 
       從今單黙黙    ただ,今ひとり,黙黙
       此靜在暫時    これ靜けさはもとより暫時
       夜闌更感惑    夜たけなわ,さらに惑う
       倘爲少同意    もし少なくも同じい意,あらば
       一語發充足    一語。發すれば充ち足りる
       可以宥慰我    宥しかつ我を慰めん
       否即微死仄    そうでなければ微かな死と仄けさ
       不雖弱倚賴    弱くもなしと雖も 倚り賴るか
       冬嚴到來帶    冬がつれてくるものは嚴しい 

         (韻,末二句韻)

                 2013-10-31 



       《想霜》 Xiang shuang 

      冬始孤沈塞   Dōng shi gū chén sè
      凍疼過憶   Dòng téng gū yì cè
      冷氛一沫露   Lěngfēn yī mò lù
      想土恩雨   Xiang tu ēn yu yù


      沈=沁。しみいる
      淢=古は “惐”に通じる,悲痛,愀愴惻惐
         また古同“洫”,

      冬の始めは孤として沈み塞ぎこむ。
      霜を想い,凍りつくような疼きを憶い惻す
      冷氣も一沫の露なら孤。
      土を想ったり恩洫の雨を想ったり。 

     入聲 塞,惻,淢

               2013-11-30 04:52


     

    《戀詩絶句》  楞伽山人と龔璱人 七言近體 二首

      自找麻煩

     戀詩絶句

      其一
     入楞伽山淥水亭   Léngjiāshān Lùshuǐtíng
     歇心飮水找明燈   Xiē xīn yǐn shuǐ zhǎo míngdēng.
     此聲嚮往愔倡和   Cǐ shēng xiàngwǎng yīn chàng hé
     風雪一更如夢程   Fēngxuě yī gèng, rú mèng chéng


                          平聲十八 亭明燈程 

     大意; 淥水亭納蘭性德(容若,號;楞伽山人) 
    の居室。
      彼の『飲水詞』 の淸澈(*下枠↓)何處に找(さが)す,入楞伽經。
      此聲,神韻,ひたすら戀戀,嚮往するも可惜我無悟。

     *歇心= xiēxīn 心情安閑と死心。斷念
     *嚮往= xiàng wǎng  憧憬,敬仰,酷愛
     *愔=yīn  安静と喜悦。静寂,幽深。 沈默無聲。愔翳
     *倡和=chàng hé 先發聲は倡と爲す,後,應聲は和と爲す。
          一人首倡,他人相和,互相應答また詩詞を相互いに酬答すること。
     (嚴密に注すと,唱和 chànghè は他人の詩詞の韵律に同じくし,答和す)

        風一更,雪一更,  聒碎郷心夢不成,   故園無此聲  

          *      *     *     *     *     *

      其二
     羅什清明幹什麼   Luóshén qīngmíng gànshénme
     璱人戒火因維摩   Sèrén jiè huǒ yīn wéimó
     我心玉礫石混淆   Wǒ xiōng yù lì shí hùnxiáo
     詩囚忉忉一娑婆   Shī qiú dāo dāo yī suōpó


                         平聲十四麼摩婆

     大意;  璱人(定 )は言う,“『維摩經』は淸らかだ” と。ゆえん戒詩,
          他,一婆娑 yī pósuō, 忍土に逍遥し
          經籍爲灰,篇章爲炭**,戒而破戒,看破紅塵,成す 『破戒草』

          わが胸は瓦礫玉石混淆さながら垃圾(ゴミ)屋敷。何惹塵埃!
          詩囚となりぬる 碌碌庸庸一娑婆 yī suōpó
      *火=生氣,怒,また紅の意も
      *維摩經=羅什(鳩摩羅什,四世紀),が漢譯した。    
      *一婆娑 =yī pósuō 。婆娑は悠揚,委婉の形容。
        逍遥や閑樂自得の意もあれば流滴,衰亡の意。蓬鬆,散亂,
        はては耄碌の意もあるというから不思議。
        また佛教語の娑婆。その意は忍土。また忍界。
     **《戒火文》曰 “經籍爲灰,篇章爲炭”
        龔自珍 は火災で藏書のおおくを消失
     
    《維摩詰所説經》:用西夏文字見證泥活字印刷 
     
                  『維摩詰所説經』  
               “Liàn shī”  YuanshanMiaozi  20140113



      『能斷金剛般若波羅蜜多經』
      वज्रच्छेदिकाप्रज्ञापारमितासूत्र' Vájracchedikā prajñāpāramitā sūtra
      『維摩詰所説經』 (唐朝玄奘三藏 『説無垢稱經』ともいう)
      विमलकीर्ति निर्देश सूत्र Vimalakīrtinirdeśa sūtra  
      『入楞伽經』 लंकावतारसूत्र Lankāvatāra sūtra 

      姚秦三藏鳩摩羅什が四世紀に麦積山石窟第123窟維摩詰像(西魏)
      漢譯した,多くの佛教經典。
      その,一ついわゆる『金剛經』
      三三五五集まった人びと(衆生)に,
      いまだ若き佛の敎え,
      を説きたもう世尊ブッダ。
      二つの偈の清明
      初期大乘經典のうち,
      大部のものではなく,
      明るい光りにあふれ素樸な
      ことばはみずみずしく,淸澈

      又『維摩經』< では,
      その闊達なかけひきは,時に
      反逆的でさえあり,かえって
      誠實の切裂き,ふてぶてしさも
      魅力がある。“信任”の淸新

      『楞伽經』 。菩提流支ほか譯。
      嚴しさをふくむ調子にも激しさを見いだし
      獨特の雰圍氣にとまどい幻惑される。
      偈頌も詞(ことば)清冽

     甘粛省天水縣麦積山石窟 維摩詰像(विमलकीर्ति )Vimalakīrti ヴィマーラキルティー▲

    *淸明,淸澈,淸新,淸冽 同じ清きことを言うが強調されるところがちがう。

    淸明 qīngmíng 明朗,明晰,清澄。 朝の “新鮮的朝氣,淸明的曙光”
    淸澈 qīngchè 水淸而透明。水面想えば鏡に通ず。 “輕羽渉池,清澈微激”
    淸新 qīngxīn  氣調新鮮,淸爽の空氣。山の神氣を想う “亂山深處吐清新”
    淸冽 qīng liè  寒冷淸涼。聲音の淸冽は激越をいう。 “商聲清洌羽聲亂”



       この三つのお經の魅力は汲めどつきぬのだ。 佛敎の深みに,ズルズルと,
       はまりこみながら,いつしか身邊から手離せなくなった。

      敦煌冩經 『大乘入楞伽經』

                  敦煌冩經 『大乘入楞伽經』  ←クリック擴大

    中國歌謡①

      同胞受苦,河山待復。沈愔淸奏,靜穩起來

      何度か引用したことがある詞句。 曾,我我の同胞である日本人が
      長年にわたって,彼の地,にもたらした兵燹,災禍
      これは,彼らの抵抗のうた。
      應該自衛。佳い歌だと思う。
      絶不輕言戰鬪 ぜったいあきらめない
      中國人の心,河山天地そのものであるという本實がある。
      その意思,とは。

      日本にこのような歌ありますか?
      自衛とはこういうこと(日本人不知道“自衞”戰爭)
      “絶不輕言”  

       

     
    《我是中國人》  Wo shi zhongguo ren (主唱 :鳳飛飛) 


    沈默不是懦弱      Chénmò bùshì nuòruò
    忍耐不是麻        Rěnnài bùshì má
    儒家的傳統思想,   Rújiā de chuántǒng sīxiǎng
    帶領我們的脚      Dàilǐng wǒmen de jiǎo
    八年艱苦的抗戰,   Bānián jiānkǔde kàngzhàn
    證實我堅毅的民    Zhèngshí wǒ jiānyìde mín
    不到最後的關    Bù dào zuìhòu de guāntóu
    絶不輕言戰       Jué bù qīng yán zhàndòu



    忍無可忍的時,      Rěnwúkěrěn de shíhòu
    我會挺身而        Wǒ huì tǐngshēn ér chū>
    同胞受,河山待   Tóngbāo shòu ,Héshān dài
    我會牢牢記         Wǒ huì láo láo jì zhù
    我不管生在哪裡,      Wǒ bùguǎn shēng zài nǎlǐ
    我是中國人           Wǒ shì zhōngguó rén

    無論死在何,        Wúlùn sǐ zài hé chù
    誓做中國魂           Shì zuò zhōngguó hún

         宋韻 魚模韻 木歩族出苦復住處
             尤侯韻  候頭鬪 

    沈默は懦弱ではない
    忍耐は麻木(愚鈍)ではない 
    儒家の傳統思想が我我の脚歩を帶領(引導)した
    八年,艱難辛苦の抗戰
    堅毅の民族は實證した
    最後の關頭にあったとて戰鬪を輕がるしくは言わない(絶對放棄しない)
    忍びがたきを忍ぶ時候我,挺身して出(いず)るをおしまぬ
    同胞は苦しみを受けとめ山河は復すを待ちつづけた
    我は牢牢記住(ぜったいわすれない)

    我是中國人
    我らどこに生まれ生きようと我是(われは,)中國人
    もちろんどこに死のうとも誓わん中國の魂たることを



       換韻結句風,“人”,“魂”,もまた悽其寥寥として凄烈・・・・  意譯玄  



    その罪深さをおもえば。この句の意味,歌の成り立ちをおもえば,刺耳。
    痛みを感じ,初めて聴いたときは涙があふれた。 
    美しい旋律ゆえいっそう。
      
    險しく嚴しい中國的愛國。 詞の風格は淡雅,樸素。
    戰後長年うたわれてきて中國や臺灣の音楽業界,中國映畫,香港電影などに,
    少少詳しい日本人なら,耳にしたことがあるだろうと思う。

    ひとりの中國人と親しくなってから,あるときこの歌をおそるおそる口ずさんだ。
    一抹の不安も覺えながら。でも歌うことをよしとしてかつ倶にあわせてくれた。
    我記得很清楚。志趣相投,成爲好友LiLi 謝謝妳 
    詩餘 句裂 偈

    詩囚

    Author:詩囚

    自作の詩ほか
    五言絶句を中心に四句偈,詩餘
    ふくめ中國舊體詩を紹介します

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